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【アストロ光学(株)その3】その製品について  投稿者: 青色つきこ 投稿日:2018/10/14(Sun) 21:11 No.11394

みなさま、こんばんわ。

アストロ光学(株)の望遠鏡について、書いてみたくて、「その3」
を作ってしまいました。

設立直後の1955年の代表的な機種は、S5です。(理振法準拠)
最大の特徴は、架台が赤道儀にも経緯台にも簡単に変更できる
点でしょうか。その架台は「赤経台」と称されています。
価格も五藤光学研究所のウラノス号の半値です。
輸出向けに大量生産しているので、安く提供できるとのことです。

1955年6月に日食が日本で見れましたが、アストロ光学(株)
(豊島区千早2丁目30番地)の近くにあった平和小学校に多数の
天体望遠鏡を貸し出しています。

T8モデルも写っています。輸出向けだったのでしょうか。
「Re: 「5pに外れなし」は真実か?
   CharlieB - 2018/06/22(Fri) 07:08 No.11206」
にちゃんとした写真があります。

添付した広告は、1955〜56年の「月刊教材教具」に掲載されたも
ので、「月刊教材教具」においては1955年7月号に初めてアストロ
光学(株)の広告が載ります。(真ん中のもの、右は1956年のもの)

アストロ光学(株)の登記上の住所は、先にエド様が調査して
いますが、要町3丁目30番地での営業活動は登記以前より始まっ
ています。(1955年8月号では住所は要町です)
取引銀行は勧業銀行池袋支店でした。





Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   エド - 2018/10/15(Mon) 00:50 No.11395

青色つきこさま ガラクマ様 皆様 

アストロその3はまたいろいろな発掘、発見(副産物含)がありそうで楽しみです。

理振法を追い風に、学校や学生に大量に販売をしようとする意気込みがその宣伝から感じます!
しかし、代表機種 S-5型で3万6千円、というのもなかなか高価なものです。
昭和30年当時の若年者の手取月給の4ヶ月分相当ですから、今の価格に換算すると約70万円!
同時期、カメラでは二眼レフブームが起こり、低価格でベストセラーとなったリコーフレックスの値段が6300円ですから、リコーフレックスが5〜6台買える値段だったといえます。

客が欲しいと思う(購入できる)価格との乖離が詰まるのに、あと10年の経済成長と樹脂整形の製造革新が必要だったと今いうのは簡単ですが、
当時の小島氏ほか、アストロ光学の面々は望遠鏡を100台もズラッと並べて、メーカーの社員冥利につきる瞬間を味わっていたことでしょう。
こういうバブリーというか、イケイケな時代が日本のメーカーにもまた来てくれとイイですね!

ところで、「その2」で日吉光学の杉並工場というのが出てきました。
私の地元ですので(気になっていまして)調べたのですが、
且O井光機製作所という会社が杉並区和田本町に双眼鏡メーカーとして起業したのですが、
しかもここなら小島氏の自宅から徒歩圏だし、何か関係があるかな、、、
と思ったのですが、この会社は現在でも場所を変え、2代目社長さんが立派に経営されており、
日吉光学に吸収された云々ということは無い感じでした。
杉並区はどちらかというと電気電子関係の会社が多いエリアで、光学関係は記憶にありません。
岩崎通信機(久我山)、山水電気(永福町)などは大手ですが、昭和50年代までは住宅地に中小企業もけっこうありました。




Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   ガラクマ - 2018/10/15(Mon) 22:25 No.11398

garakuma.gif 青色つきこさん。

 ページの最後に飛ぶように設定できないので、長くなると何かとご不便をおかけして、切り返し、スレ立てていただきありがとうございます。
少し集中力を切らしてしまったら、みなさんについていけなくなってしまいました。
それにしても「月刊教材教具」って貴重な情報の宝庫ですね。知りませんでした。私は、「科学画報」に魅せられて集めておりますが、ちょうど1955(昭和30年)は0で、子供の科学1955年12月号ありますが、アストロの広告はありません。残念です。

林商会のパンフを添付します。ここに載っている望遠鏡は、海外のサイトではたまに見ますが、国内で見ることはほとんどありません。

エドさん。
日吉光学さんは、気になりますね。いつかお伺いしたいものです。突撃しますか。





Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   エド - 2018/10/16(Tue) 21:04 No.11399

皆様 こんばんは!

その'56年の「月刊教材教具」中の宣伝で、ラジオ東京の「星へのいざない」という番組を宣伝しています。
小島氏シンパの野尻先生、村山先生がレギュラーでしゃべると書いてあります。
ということは提供は間違いなくアストロ光学ということでしょうね。
なんか、今(FM東京)V社提供でシ○ラーがやってる「街角天○台」、、、あれの走りとなりますか。
小島氏は本当にアイデアマンだったんですね!
しかし、まだ誕生したばかりの小企業がラジオ番組を持つというのは、相当な無駄使いだったハズです。
ところで、その宣伝ではどうしていつもの“ASTRO”のレンズマークを使っていないのでしょうか?
示された3回とも使っていないというのは、単なる偶然ではなく意図的なものに感じます。。。

ガラクマさま

日吉光学ですが、今でもご子息と思しき方が社長さんとして立派にやられているようですので、
前スレで原さまが提案されたように、まずはメールで簡単に質問をされてはいかがでしょうか?
現社長さんが、当時の状況を記憶されてらっしゃるようなら“突撃”もイイと思います。
“アストロ光学”の情報(記憶)も全く知らないということはないと思います(思いたい)です。




Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   エド - 2018/10/18(Thu) 21:26 No.11401

青色つきこさま 皆様 こんばんは!

「その2」の最後で、アストロ光学が出ていった後の(千早町2丁目30番地)貸家に日吉光学が入った云々の話が出てきました。
要町のアストロ光学社屋はかなり昔にマンションに建替えられていることは現地を見て知っていましたが、アストロ光学発祥地である千早町のほうは今どうなっているのか、見てきました。

現地訪問前に、再度古い昭和の住宅地図と最新のマップをつき合わせて番地の振り方を調べたところ、
千早町2丁目の中でだいたい2ブロック(100m弱)くらい変更されていることがわかりました。
旧:千早町2−30は現:千早町2−37でした。

それを元に現地を捜索したのですが、予想どおり該当のエリアは完全に住宅地でした。
唯一、住宅地には不釣合いなほどフル操業しているメッキ屋さんがあっただけです。(写真2)
で、消去法で見ると、やはりこのメッキ屋の角地が怪しいかったので、一応写真を(写真1)。

ふと周りを見ると「千早地域文化創造館」とか「区立千早町図書館」があり、聞き込みをしましたが、全くの不漁。。。
その図書館の入り口には鉄人28号の大きな人形があり驚き(原作者の横山光輝氏が住んでた)、しかし区内の産業史のような本がたくさんあったのですが、光学関連の記述はなく、私の大先輩にあたる府立高女の生徒が勤労動員で海軍の軍服を縫製している写真にしばし見入ったり。。。
そこで、“古いゼンリンの地図”で確認しようと思い立って聞いてみると、池袋の中央図書館ならあるとのこと。
で、ありました!昭和56年のゼンリン地図(豊島区)のちょうどページの端でしたが、思ったとおり、メッキ屋の角地に“白吉光学”の文字。(写真3右隅)
まあ、手書きですので、日と白を書きまちがえたのは愛嬌として、現在メッキ屋の駐車場と化しているエリアでアストロ光学がうぶ声を上げ、そのあと、日吉光学が誕生した場所を特定できた次第です。





Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   青色つきこ - 2018/10/18(Thu) 23:59 No.11402

エド 様、ガラクマ 様、みなさま、こんばんわ。

エド様、現地調査ですねぇ。住宅地図も、もっと古いものがあれば良いですよねぇ。
国産の望遠鏡の聖地みたいな気がしてきて、写真をみただけでも昭和ぽさが感じら、
気持ちも昭和30年代にタイムスリップしました。
ありがとうございます。

星野次郎氏が「昔の望遠鏡と今の望遠鏡」『天文と気象』1971年12月号p-13で
「当時は、小屈折はもちろん経緯台でした。これにくらべて、現在のタイプは赤道儀が
普通で、むしろ経緯台の方がめずらしくなりました。
 これは戦後いち早く小屈折赤道儀の量産普及に先べんをつけた、故小島修介氏の先見
の明におうところが大きいと思います。そして小型赤道儀の普及が35mm判カメラの天体
写真隆盛の基ともなったものといえましょう。」

当時の経緯台として、五藤光学のウラノス号、野尻抱影氏のロングトムを挙げています。
この星野氏の小島修介氏の評価ですが、まさにそのとおりだと思います。


不完全ですが、昭和40年頃の千早町付近の光学会社を挙げておきます。

 日吉光学(株)      千早町2-30 双眼鏡、天体望遠鏡 S25.12.5創立
(有)清水光学レンズ製作所 千早町2-18 P型双眼鏡接眼レンズ製造
(有)千早光学製作所    千早町2-31 プリズム製造加工 S30.9.1創立
 東亜光学工業(株)    千早町1-7  双眼鏡、スライド映写機 S23.9創立
 白光精機(株)      千早町2-9  ライフルスコープ、双眼鏡製造 S26.7.7創立
 平林光学製作所      要町3-14 双眼鏡調整組立




Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   青色つきこ - 2018/10/21(Sun) 10:26 No.11403

エド様、ガラクマ様 みなさま、こんにちわ。

まだ、整理がつきませんが、とりあえず載せておきます。

@ エド様の賢察とおりラジオ東京のアマチュア天文夜話「星へのいざない」
 はアストロ光学(株)の提供でした。(写真左「月刊教材教具」1956.12)
  アストロ光学(株)は、天文の普及にとても力を入れていたんですかねぇ。

A アストロ光学(株)の製品は、改良がなされています。それを販売してい
 るのが、アストロ販売(株)、でもアストロ光学(株)です。
  (写真 真中「月刊教材教具」1959.6)
  エド様の調査でわかった第三のアストロ光学に連なるものでしょうか。
  1959.6なので、登記上、アストロ光学(株)の解散直前でしょうか。
  でも、ちゃんと営業活動をしていたんですねぇ。

B マクロ光学工業(株)です。(写真 右「月刊教材教具」1958.7)
  アストロ光学(株)の製品に似ています。
  エド様の調査で1957.11に小島修輔氏はアストロ光学(株)代表取締役を
  降ります。その後、日本テレスコープ(株)を設立することになってい
  ましたが、その前に、マクロ光学工業(株)の取締役に就いています。
  
  1954.11    アストロ光学(株)設立、代表取締役社長
  1958.6以前   マクロ光学工業(株)設立、取締役
  (1958.3頃かなぁ)
  1958後半or1959 日本テレスコープ(株)設立

  1960年以前の米国スイフト社の製品、鏡筒へのファインダーの取付具合
  赤道儀のスタイルから、マクロ光学工業(株)が納品していたのでしょう。
  米国スイフト社の製品に付いている∞のマーク、マクロ光学工業(株)の
  マークです。でも、マクロ光学工業(株)については、よくわかりません。
  この辺は、ガラクマ様の専門領域でしょうか。
  cloudynightsの写真からは、スイフト社=マクロ光学工業(株)の製品と考
  えて良いと思います。

  https://www.cloudynights.com/topic/527598-swift-registry-reboot/

  小島氏の日本テレスコープ(株)とマクロ光学工業(株)の関係がわかりま
  せん。マクロ光学工業(株)が解散して、小島氏は日本テレスコープ(株)
  を立ち上げた。または、小島氏が独立して日本テレスコープ(株)を立ち
  上げた。

                        謎は深まるばかりです。





Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   ガラクマ - 2018/10/21(Sun) 20:47 No.11404

garakuma.gif 青色つきこ様、エド様

 みなさんのご努力で話が、相当深くなってきましたね。過去の情報を整理する必要があると思い、とりあえず小島氏の部分に限って書き出してみました。
ご確認ください。

1958年前後が特に謎ですね。

 青色つきこさんのご紹介のマクロ光学工業、確かにSWIFTの831とかにある∞マークですね。
ただ、SWIFT似の望遠鏡は1980年近くまで、エイコーやダウエルで売られており、そのキャップには東邦光学のマークがあったので板橋合作と思い、突き詰めていくのはあきらめていました。
http://yumarin7.sakura.ne.jp/swts831.html

 エドさんの情報で1957(S32)年11月の時点では、まだアストロ光学の代表ですが、その後破綻する1959(S34)年11月までの間で、どこで辞めたかという情報はございましたっけ?
小澤氏が1958(S33)年2月にアストロ光学工業鰍設立して、アストロ光学の製品を引き継いだということは、アストロ光学を小島氏(技術・鏡製・供給)と小沢氏(販売・経営)が分けたということではないかと、怪しんでしまいます。
 
マクロ光学工業も分かりませんが、日本テレスコープも全く分かりません。





Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   エド - 2018/10/21(Sun) 21:34 No.11405

青色つきこさま 皆様 こんばんは。。。

晩年の小島氏についてまた謎を呼ぶ提示、ありがとうございます。
次から次へといろいろ出てきて、小島氏の“多動力”には少しあきれてしまいます。

@アストロ販売株式会社についてですが、その広告ではあたかも“アストロ光学”の販売会社のように見受けられますが、1959年なら小島氏の“アストロ光学”は既に事実上解散状態だったハズです。
所在地である日本橋本石町4丁目は“アストロ光学工業”が本社を構えた大手町の野村ビルから線路を挟んですぐ近所です。(徒歩2分くらい)
そのエリアの土地柄は証券会社の巣です。望遠鏡屋としてはちょっと場違い?なエリアです。
場所から推察するに、アストロ光学社内でのアンチ小島氏一派(主に販売部門)が分社的に別れ、
アストロ光学工業へ移行する母体となった、と推察いたします。
前スレの“挨拶状”の年代との整合はいかがでしょうか?

Aマクロ光学という名前が新たに出てきました。(初めて聞く名前です)
大田区上池上。。。大田区はご存知のように町工場の巣のようなエリアですが、
いすゞや三菱自動車の工場が近く、自動車部品関係が多い印象です。

昭和56年の望遠鏡、双眼鏡製造者リストで見ますと、大田区には下記のような会社が載っています。
潟Lャノン JB104 大田区下丸子3−30−2
褐機舎  JB21  大田区田園調布22−10
丸高工業梶@JB160 大田区田園調布南14−5
大森綜合光学JB74  大田区池上2−8−10
東洋実業梶@JB138 大田区久が原2−11−20

おお〜意外にありました。大田区にも光学一派があったんですね。(上記全部JBナンバー企業)
特に工場の場所はキャノンに近いです。

今度は大田区の法務局へ行かねば。。。




Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   エド - 2018/10/21(Sun) 21:59 No.11406

ガラクマさま 修士論文執筆でご多忙のところありがとうございます。

登記簿によると、小島氏は昭和32年(1957年)11月に取締役を他の数人と同時に辞任していますので、
私はこの時点で小島氏の事実上の「退社」&「会社解散」とみています。
一方、登記簿上の記載日時より実際の変化のほうが早いと見るのが自然と思います。

アストロ光学が販売部門と技術部門に分裂した時期があるという推察は、ガラクマさんと一致しました。

私の大田区内法務局行きは決定ですね。今週行ってきます。




Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   エド - 2018/10/22(Mon) 19:54 No.11407

皆様 こんばんは!

マクロ光学工業の件で東京法務局城南出張所(大田区)行ってまいりました。
今回はきれいな登記簿があっさり出てきました。

代表ほか取締役はその広告どおり4名です。
監査役:浅岡力蔵
会社設立は昭和33年3月11日となっています。
発行株式:4千株(1株5百円)
資本金:百万円
解散:昭和35年2月20日
この時点での小島氏の住所は相変わらず中野区仲町です。

小島氏他界の年の2月に解散しています。会社設立から2年足らずでした。。。
しかしその時点では既に小島氏は“日本テレスコープ”を興して、マクロ光学とは関係ない?ハズですが、、、





Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   青色つきこ - 2018/10/23(Tue) 00:00 No.11408

エド様、ガラクマ様、みなさま、こんばんわ。

エド様、調査,早いですねぇ。興味深いです。
小島氏抜きにしても、輸出がうまくいっていれば、会社としてもやっていけたと思う
のですが。資金調達がうまくいかなかったのでしょうか。
それとも、小島氏が早々に抜けて、立ち直れなかったのか。
1958年3月に設立ですか。1958年5月には、堀口恵助氏が堀口光学を設立しています。
「月刊教材教具」誌上におけるマクロ光学工業の広告掲載は、1958年6月号から始まり
ます。6月号から8月号までは、先に掲載した広告です。国立国会図書館の蔵書には欠
号もありますが、広告は1959年3月号までは確認できます。但し、1959年4月号が欠号
なのですが、1959年5月号には掲載がありません。「月刊教材教具」の東亜通信社も
経営が良くないのか、休刊になっていくのですが。
(写真左は1958年11月号、右は1959年1月号です。先の広告よりも望遠鏡の写りが良い
ので比較し易いと思います。)
6月号から8月号までの広告は、会社の重役の名前が入っています。小島氏が重役にな
っていることをアピールしているかのようです。もしかしたら、早々に抜けたのかも
しれないですねぇ。「天文と気象」1958年11月号には、「月面図」の発売予告があり
ますが小島修輔氏の肩書は日本天文学会会員になっています。「最新 月面の地図」
(地人書館 1958)は1960年の「天文と気象」での広告には日本テレスコープ社長
小島修介になっています。調査不足なので、いつからかは、はっきりとわかりません
が、日本テレスコープ社長の肩書は付かなくなっています。

本スレで「マクロ光学」をキーワードにワード検索したところ、原様がマクロ光学の
鏡筒をお持ちのようです。マクロ光学の銘が入っていて国内向けだったのでしょうか。
スイフト・ブランドではないので、∞マークが違います。

ガラクマ様、小島氏の肩書の変遷については、後ほど、まとめてみます。





Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   エド - 2018/10/26(Fri) 00:19 No.11409

青色つきこさま 皆様 こんばんは!

先ほど近所の教会での観望会にR76持参で参加していました。
上品なクラシックカーのような、それでいてちょっと個性的な3インチ赤道儀です。

それと、“日本テレスコープ工業”の件で法務局練馬出張所へ行ってきました。

結果、会社登記の痕跡はあったのですが、登記簿そのものは“編纂替えにより”会社名一行を記録するのみでした。(ちなみにこの編纂替えが昭和43年、12月4日)
役所としても、そういう消えた昔の泡末会社の資料を保存、ましてや電子化する意味はないのでしょう。
まあ“日本テレスコープ工業”は小島氏が中野から練馬へ引越してから興したという事実は確認しました。(残念ながら年代は不明ですが。。)

ところで、そのマクロ光学の605型はアストロ光学&光学工業の“定番赤道儀”とよく似ていますね。
それを見ると、昔、若かりし大野裕明氏が自作10センチ短焦点ニュートンを載せて写真を撮りまくっていた風景を思い出します。

輸出で順調だったハズのマクロ光学が短期間で解散したのはとても不思議です。
“アストロ光学”と違って、登記簿もきれいです。(社内のゴタゴタがないです)
時代背景として考えるに当時、異常なほど労働運動が過熱したようです。
現場作業者がしょっちゅうスクラム組んで経営者側と“闘争”した時代だったようです。
結果、労働者は権利を守り、地位(賃金)を向上させることに成功したようですが、
やりすぎて生産性が低下したり、経営状態が悪くなったり、最悪経営者がやる気を喪失したり、、、

私は社会人1年目の5月に旗を持って訳もわからずメーデーに参加させられた最後の世代です。




Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   青色つきこ - 2018/10/26(Fri) 22:03 No.11410

エド様、みなさま、こんばんわ。

エド様、遂に日本テレスコープ工業(株)に調査の手を入れたのですねぇ。
会社名だけですか、残念です。でも、存在が確認できたので、良かったです。

マクロ光学工業の登記簿には官報掲載とありますので、もしかしたら日本
テレスコープ工業(株)も官報掲載の可能性はあるかもしれません。
ただ、探すのが大変そうですし、徒労に終わるかもしれません。

アストロ光学(株)は、千早から要町3-30に移転しますが、新社屋
そのものは要町3-28に建設され、その後はここが本社になります。
新社屋は1956年12月には完成し、披露会を行っています。
その際には、各界の名士を招いており、野尻抱影氏、原田三夫氏も
招かれています。
(写真 左「月刊教材教具」1956.12 写真 中「月刊教材教具」1957.1)

小島氏の1957年の年頭挨拶(写真 右「月刊教材教具」1957.1)





Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   エド - 2018/10/27(Sat) 20:40 No.11412

青色つきこさま 皆様 こんばんは!

また新たな広告の発見、すごいです。
まるで小学校のような立派な社屋と中庭。
300名は多少盛った数字としても、その写真では相当な人数が交通の不便な要町に来てくれたことがわかります。
小島氏にとって人生のクライマックスだったかもしれません。
しかし、この新社屋落成から1年足らずで“アストロ光学”は事実上空中分解してしまうなんて、なんとも皮肉です。

その社屋のあった場所の今の姿が写真1です。ちょっと年季の入った普通のマンションです。
しかし、その108mm屈折をデモしている空地の写真からすると、結構な広さの前庭があったことになり、その3丁目28番地の北半分ほどを占めていたことになります。

現在の要町3丁目界隈の地図(写真2)ですが、交差点付近が区画整理されて地下鉄が通っています。
今は要町3丁目44番地と変更されています。
バタヤ部落のあった交差点に面した区画は“LIFE”という大きなスーパーになっています。

千川小学校も少子化のせいか既に廃校になっていて、特別老人ホームになっています。





Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   青色つきこ - 2018/10/28(Sun) 10:02 No.11413

エド様、みなさま、こんにちは。

アストロ光学・アストロ光学工業がかって在った所の現状写真の掲載
ありがとうございます。千川小学校も、もうないのですか。
変わっていきますねぇ。もう、忘れられてしまうのも時間の問題でし
ょうか。


今回は、アストロ光学(株)のH-5型の広告を載せておきます。
(写真 左・中「月刊教材教具」1957年5月号より)
1957年春に新発売となった、この望遠鏡は、接眼筒に既に一眼レフ
カメラを取り付けられるようにアタッチメントが付いており、望遠
レンズとしても使えるというものです。直焦点撮影でも、月・太陽
には十分だと思います。とても、意欲的な製品だと思います。
赤道儀は中折式、フードも特徴的です。

それから写真 右は、自作用セット(接眼部と枠付きの対物レ
ンズ、接眼鏡)が載っている広告です。
(「月刊教材教具」1956年7月号より)
対物レンズは40mmの二枚玉アクロマートでR-6型はf=610mm、N-6型
はf=500mmです。接眼部は筒の引き抜きです。接眼鏡は、R-6には
R-20mmが、N-6にはMH-25mmが付きます。
「子供の科学」1956年8月号には、これを使っての天体望遠鏡自作
の記事があります。執筆者は、もちろんアストロ光学(株)の小島
氏です。





Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   ガラクマ - 2018/10/29(Mon) 21:38 No.11414

garakuma.gif 青色つきこさんのH-5型、昔から気になっており、cloudynightを見てるのですが、ちょいちょい見つかります。
赤道儀は憧れだったアストロ光学工業のLN-6Eの初期型と、赤道儀似てますね。
十数年使いまわしたことになります。

海外は、国産望遠鏡の宝庫。浮世絵などの日本画と同じように、海外の方の方が価値が分かってるようです。





Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   青色つきこ - 2018/11/04(Sun) 23:37 No.11418

エド様、ガラクマ様、みなさま、こんばんわ。

アストロ販売(株)の「月刊教材教具」における広告は1960年10月号
までは載っているのが確認できます(写真 左)が、国立国会図書館に
は「月刊教材教具」1961年1月号から1963年10月号が欠号です。
1963年11月号からはアストロ光学工業が載っています。(写真 中)
1965年1月号の広告にはサービスセンターも併記されています。
(写真 右)

アストロ光学(株)は、1958年2月にアストロ光学工業(株)が設立
された後も製品の供給者として存続し、アストロ光学工業(株)以外にも、
アストロ販売(株)を自社の販売部門として製品を供給していたのかも知
れません。要町の工場は、アストロ光学(株)ということでしょうか。
この辺の事情を語っていただける方は、もうすでにいらっしゃらないと
いうことですかねぇ。


1958年〜1960年頃のS-5型のスペックが知りたいところです。
アストロ販売は、S-5Aを販売しています。
(S-5型の改良型、フレキシブルハンドルが付いています)
これに対して、1959〜60年のアストロ光学工業(株)のS-5型がどう
なのか知りたいところです。

「月刊教材教具」においては、アストロ光学工業(株)が広告が載り
始めるのは1961年1月号以降でしょうが、いつからなのか確認できま
せん。小島氏と東亜通信社(「月刊教材教具」の出版元)との関係の強
さから、小島氏が亡くなるまでは広告を載せれなかったのでしょうか。





Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   ガラクマ - 2018/11/11(Sun) 18:20 No.11419

garakuma.gif 話の腰をおるようで申し訳ございません。あまりに放置もなんですので、経緯台兼用赤道儀架台について、書きかけているものをひとつ。

ただ、読み直すと、いろいろ疑問が湧いてきます。

***********************************************************

経緯台兼用赤道儀架台の出現

 古くは望遠鏡が贅沢で珍しいものであった時代は、一般市民にとって、たとえ天体望遠鏡でも地上の風景を見ることも重要な購入目的であった。その為に市販天体望遠鏡においても地上用の接眼レンズが付属し、架台は地上の風景を見るには適していた(安価であったという理由もあるが)経緯台式のものであったが、天体の日周運動を追尾するには不便であった。西洋では18、19世紀から赤道儀式架台として多くの型式が発案され、小型望遠鏡においてはドイツ式赤道儀の採用が多かった。
 そのような中、国産小型天体望遠鏡においても戦後、赤道儀式架台の採用が始まった。ドイツ式赤道儀架台を採用した小型天体望遠鏡の出現と共に、国内では経緯台式と赤道儀式を簡単作業で切換できる架台が考案された。
 まず、五藤光学研究所で1936(昭和21)年「単軸赤道儀」という名称のものが考案された。考案者は小島修介氏であり、1938(昭和23)年改良型の実用新案が申請された。その時の出願人は五藤斎三氏であった。
 販売は1939(昭和24)年から1943(昭和28)年までの間で、口径42o(カストル号)、口径60o(エロス号)と、75oのものがあった。

五藤光学は反射望遠鏡についても工夫をし、“クロフォード伯のパララックス据付法”を元に南天赤道儀を開発した。

 昭和30年台になると五藤光学の小型屈折望遠鏡は単軸赤道儀や南天赤道儀を捨て、ドイツ式赤道儀のみとなったが、単軸赤道儀を考案した小島脩介氏は、ドイツ式赤道儀の改良にて経緯台兼用赤道儀架台を設計し、五藤光学を辞め転々としながらこの架台を広めた。





Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   青色つきこ - 2018/11/11(Sun) 18:54 No.11420

ガラクマ様、エド様、みなさま様、こんばんわ。

小島氏関係の特許について調べていましたが、良くわかりません。
ガラクマ様が掲載した写真右の実用新案公報の1枚目の左上の番号・記号につい
てですが、104は、「第104類光学装置」、Dは「望遠鏡、双眼鏡、潜望鏡」、
63は「架台」ですねぇ。

特許庁編「日本特許出願人総索引」1962というのがあり、個人名で小島修介を
みると2件記載があります。因みに、五藤斉三9件、五藤光学研究所3件です。
アストロ光学は、ありません。(写真 左)
というか、104光学装置、Gその他の光学装置、0その他の光学装置です。
昭和32年の9442号。
114は教材関係だったような。104しか頭になかったので、区分についてはもう
一度後で調査。
対象期間はS23.1〜S36.12です。
国立国会図書館/送信参加図書館で閲覧できます。

特許庁編「特許分類別総目録 自 明治18年8月 至昭和31年12月」技報堂1958
というのがあって、区分項目ごとに特許番号が記されています。
架台の項の182443は、五藤斉三氏の簡易赤道儀です。(写真 真ん中)
単軸赤道儀のことでしょうか。
1970年頃?以降は、特許情報プラットホームの検索から見れるのですが。
ご存知かもしれませんが、天体望遠鏡で検索を掛けると結構出てきて、おもし
ろいですねぇ。3Bのチビテレもありますし。東和光器、大一光学も。
アストロ光学工業(株)の特許で会社住所が中央区銀座になっているのがある
のですが、移転したこと、ありましたっけ?

先にアストロ光学の1955年6月20日の日食時の広告を載せてますが、その基にな
っている朝日新聞の記事を載せておきます。(写真 右の2枚)
記事の中では、アストロ光学は輸出用望遠鏡会社と記されています。確かに、
この頃の望遠鏡は、輸出が主だったのでしょうが。
小島氏は1950年には東亜天文学会会員ですが、いつから日本天文学会会員なのか
は不明です。この記事の中では小島氏を日本天文学会会員と言っています。
1955年以降でしょうか、でも「天文月報」には小島氏は出てこないんですよねぇ。





Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   エド - 2018/11/11(Sun) 22:18 No.11421

ガラクマさま 青色つきこさま 皆様 

特許出願の記録という切り口、いいですね!
月日やその時点での所属が正確に記録されていますので、貴重と思います。

その“南天赤道儀”は天頂以北にはちゃんと向けられないという欠点があるものの、
高倍率を使う惑星は全て南天ですし、月もそうですから、都会の観測者にはこれでも役に立ったかもしれません。
機械的な観点から言えば、ドイツ式赤道儀のような“両面軸穴加工”や“長リーマ通し”という軸受け加工の必要もなく、
赤緯赤経両軸の垂直精度も必要ないので、微動付経緯台と同程度の加工工数で赤道儀を実現するという“涙ぐましい”工夫を感じます。
ある意味、小島氏がアマチュアにも赤道儀を普及させたいという熱意を感じます。

小島氏の出願が2件というのも、実績からすると少ないですが、戦争を挟んでますし、もともと特許戦略よりむしろ“自分のアイデアを広く使って欲しい”と思っていたのかもしれません。

しかしその日食は残念でしたね〜




Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   青色つきこ - 2018/11/12(Mon) 07:48 No.11422

エド様、ガラクマ様、みなさま、こんにちわ。

小島氏の特許、五藤光学時代1件、アストロ光学時代1件というところでしょうか。
アストロ光学時代、もっとあってもいいのかと思っていたのですが。少ないです。
実用新案の方は、残念ながら調査範囲外です。




Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   エド - 2018/11/13(Tue) 20:29 No.11423

青色つきこさま ガラクマさま 皆様

既に別スレでも報告いたしましたが、ジモティーで入手した古い木箱入りの経緯台はアストロ光学のものでした。
なんという偶然でしょう!

まずは全体から紹介いたします。

写真1は同じく4センチF20のミザール・コロナ型との2ショットです。
f=910mmで細身のアルミ鏡筒により、コロナ型より長く、長い伸縮脚により一回り大きく見えます。
写真2は特徴的なボール雲台部です。
蝶ナット1本の締付けで鏡筒バンドと上下左右のフリクション調整を兼ねています。
実に合理的な設計ですが、こんな小さなボールでちょうど良いフィーリングが得られるんです。
比べては悪いのですが、隣のコロナ型は上下動にどうしてもガタがありますが、そういったガタは一切なく、とてもスムースに動作させることができます。
心配していた鏡筒の左右倒れも実際は起こりませんでした。

三脚はパッと見直脚に見えるのですが、内側の細足が任意に伸びるタイプです。(高級です!)
しかし、他の機種には絶対ある“開き止め”の機構がなく、代わりに石突きが尖っていて開くのを防いでいるとしか思えません。
三脚開き止めにも一家言あった小島氏の作としてはちょっと?です。

ドローチューブもガイド部が異常に長く、よってガタなくスムースに出入れできます。(写真3)
新品時はもう少しフリクションがあったのではないかとも思います。
というのも、スコンスコンだからですが、ちゃんとストッパーねじも備えているので大丈夫です。

別スレでも書きましたように、この固体はどうも“R5”型の廉価版経緯台として試作されたか、
どこかの学校に納めるために少数製作されたものと現時点では思っています。
(試作っぽいと思わせる箇所がありますが、後日詳細にて報告いたします)
しかし「アストロ光学」製か「光学工業」製かは判然としません。
特に両者の過渡期(1957〜61年頃)には製品もキャリーオーバーされたと思うので、カタログで一致する機種を発見しない限り断定できません。

どなたか初期のアストロ光学工業のカタログをお持ちでしたら、ぜひご紹介ください。

次回は各部の詳細について報告いたします。





Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   ガラクマ - 2018/11/13(Tue) 21:53 No.11424

garakuma.gif エドさんの 探しましたが、残念ながら見つかりません。
少なくとも、経緯台架台は同じものがどっかにあったように思います。

紙の資料ですと、レンズのスペックとしてはR-7が近いですが、残念ながら自作キットでして実際のところは分かりません。
昔、cludynightsでアストロの4pで対物レンズ枠に光軸調整機構がついている望遠鏡が出て話題でした。4cm FL=910oはいろいろなバージョンがあったかもしれません。興味深いですね。

 それと、アストロの焦点距離が変るアイピース、初めてみました。五藤光学にも同じように組みなおすと焦点距離が変るアイピースありましたが、それを引き継いだものでしょうか。おもしろいですね。小島氏のアイデアでしょうか?

 南天赤道儀は、小島氏の設計でしょうか? 少し時期がずれているような気がします。アイデアは引き継がれていたかもしれませんが。





Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   エド - 2018/11/14(Wed) 20:43 No.11425

ガラクマさま 青色つきこさま 皆様 

やはりガラクマさんもお持ちではないと。
引き続きどなたかの投稿を期待いたします。

さて、焦点距離切替え式のアイピースについてです。
このアストロの切替えアイピースは、写真1に示す3部品でH20とR13を使いわけます。
切替えは簡単で、眼レンズは共用し、視野レンズを交換するだけです。
ハイゲンスとラムスデンの視野レンズは凸側が逆になっています。(写真2)
眼レンズを共用するので、大きくは焦点距離を変化できないハズです。
どちらも案外シャープに良く見えるのですが、H20では眼レンズのピントが視野レンズにあり、視野レンズのゴミが拡大されて見えてしまいます。
どちらも超狭視界で、まるでトイレットペーパーの芯を覗いているかのよう、、、これは時代的に仕方ないでしょうネ。
収納時には写真3のように組みます。

一方、本家?の五藤光学の切替えアイピースについては、昔ガラクマさんが紹介してくださっている画像をそのまま頂きました。(写真4)
こちらはとても凝っていて、A,B,C 3枚のレンズをA&B,B&Cと組合わせを替えています。
つまり、レンズBは短焦点時は視野レンズとして、長焦点時は眼レンズとして使うので、理にかなってはいますが設計的に工夫が必要です。(流石です!)
また、五藤光学のほうはどちらもハイゲンスです。

特許侵害に対してうるさい五藤光学です。(銘板にパテントナンバーを羅列するイヤラシさです)
それを承知したうえで、アストロ光学は簡易的な方法として請求範囲を逃げたか?
そもそもは小島氏の発明(発案)だったので、心配することなく販売できたのか?
ハイゲンスとラムスデンという具合に形式が変わることで請求範囲を回避できたのか?
パテント切れか?
いずれにしても“物資の乏しい”敗戦国日本らしい発想という気がいたします。
たった豆レンズ1枚が省略できるというだけで、とっても面倒です。。。

青色つきこさま この切替えアイピースのパテントはいつ誰が発案しているのか、調べることは可能でしょうか?





Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   ガラクマ - 2018/11/14(Wed) 21:32 No.11426

garakuma.gif H20oは昔から、どこのメーカーも同じようなもので、金枠の対物側に外レンズをねじ込むタイプですね。
 12.5oまでは目当て側の金具に固定しておりましたが、H20oは確かに外レンズが大きくなるのと、同焦点にしようとすると、負のレンズですので対物側に寄せる必要があって金枠の前に固定するのは理にかなっていると思いましたが、鶏か卵か、そういう利用方法があったかと、納得しました。
 H20oを考えるとき初めから考えていたのでしょうか?初めから考えていたら凄いですね。

それより後と思われるミザールのH20oが手元にありましたので、UPします。

ちなみに、南天赤道儀ですが、やはり小島脩介氏が絡んでおりました。
経緯台兼用赤道儀に執念を燃やし、いろいろ試行錯誤していたのがよくわかります。

https://www.j-platpat.inpit.go.jp/web/PU/JPC_176112/A2726D7FA1F3953F29EB4E4B1F9CA238

後、五藤のアイピースの方も特許番号なんか分かればいいのですが、手元に資料ありません。残念!

[管理者修正]





Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   青色つきこ - 2018/11/14(Wed) 22:29 No.11427

エド様、ガラクマ様、みなさまこんばんわ。


五藤光学研究所のアイピースの件は、「星夜の逸品」に詳しく
書かれていますよ。

https://www.domenavi.com/ippin/2014/10_5.html

こちらに載っている五藤光学研究所のスバル号に通じるするものを
エド様の望遠鏡には感じてしまいますが、如何でしょうか。


ガラクマ様、特許情報プラネットにありましたか、気が付きませ
んでした。すごいです。




Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   (^0^)コメト - 2018/11/14(Wed) 22:34 No.11428   HomePage

utyuujin1.gif ガラクマさん、皆さんこんばんは

実際にこの交換・組み合わせ式接眼レンズを使った覚えですが、
確かウラノス号に付属していたと思いました。(^0^;
実用的には視野レンズの組み替えが面倒で、やる人も少なかったのでは?

また、五藤光学はNikonからの暖簾分けと見て、社風としては独自性を
強調したかった。。結果、このような相違工夫が各所に取り入れられた
ように思います。
特許に付いても今風の差別化を計り、教材としての価格を抑えたかった
のかもしれません。(^0^v




Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   エド - 2018/11/14(Wed) 23:12 No.11429

皆様

早速の情報レスポンス恐縮です。(こわいくらいですネ!)

組合わせアイピースの実用新案は昭和21年に五藤斉三氏(考案)によって実用新案として出願されていますね。(正式に権利化されて後10年有効?)
ということは、“アストロ光学”としてはそっくりそのままは真似できなかったということになりますネ。(光学工業になると時期的にパテント切れます)
しかし、その実用新案公開をパッとみますと(読めないですが)、“五藤式”の凝った方法で出願されているように見えます。
よって、この権利を回避するために、わざわざ簡易的な交換方法を採用したと思います。。。
ひょっとしてこのブツは“アストロ光学”のスパンのものかも??




Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   青色つきこ - 2018/11/15(Thu) 00:18 No.11430

エド様、ガラクマ様、みなさまこんばんわ。

特許情報プラットフォームの使い方がよくわからなかったので、そのままにしてました。
先に小島氏の特許の登録番号を載せておきましたが、
検索してみると顕微鏡と計算尺でした。

それから、簡易赤道儀ですが、
特許発明明細書(C) 182443 で検索すると出てきます。
小島氏の発明です。




Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   エド - 2018/11/15(Thu) 22:37 No.11431

青色つきこさま ガラクマさま 皆様

特許情報の検索、便利ですね。
試しに自分の名前で検索すると6件でてきましたが、、、若い頃の苦い思いでありで懐かしいですネ〜

昨夜はとても透明度の良い空でしたので、このアストロ4センチのファーストライトしました。
焦点内外像は内像が若干イガイガあるものの、きれいな丸い同心円。
外像は絵に描いたような完璧な同心円でした。
うん、セオリーどおりのまじめなアクロマートです。
恒星像は教科書どおりのきれいな明るいエアリーディスクのまわりに1本、ジフラクションリングがあって、これだけ見ていても飽きないくらい美しい。(どっかのブログみたいですが)
そして深夜、オリオンの大星雲は「ちゃんと翼を広げてる」ように見えましたし、
トラペジュウムもちゃんと4個、きれいに見えました!
この4重星のいちばん暗い7.5等星のヤツは6センチでも都会ではギリギリだったりするのですが、
まったくあっさり見えてしまいました。(Or 12.5使用)
ミザールのコロナ型も意外に良く見えますが、この4センチもすごいです。
ちなみに、このアクロマートには珍しく第4面のみ単コートが施されています。

さて、この鏡筒の生い立ちの謎として、上でガラクマさんが紹介されたカタログ(昭和31年版)の右ページにキット部品として引抜き式ドローチューブの写真と、この筒のドローチューブがまったくの別物だという点です。
普通に考えれば、ラックピニオン式から引抜き式に変更する場合、手持ちの部品を使うハズです。
そのキットのものはガイド部が短いですが、価格からして低級品という訳ではないと思います。
(国家上級公務員の初任給が8700円の時にキットで2800円してるんですから)
さらに、その三脚も独特な形状で、アストロのカタログには使っている機種がありません。
下請け(OEM)メーカーからの“提案品”とか、とにかくちがうところから部品をもってきているということです。
ひょっとして、アストロサービス(西巣鴨製)とか“日本テレスコープ”製かもしれないな〜
それも怖いです。




Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   青色つきこ - 2018/11/16(Fri) 00:24 No.11432

エド様、ガラクマ様、みなさまこんばんわ。

エド様、
4cm長焦点屈折と言っても、レンズの当たりはずれや、そもそも良くない物もあると思います。
今回のアストロと推定される4cm屈折は性能面でも作りでも大当たりでしょうか。
対物レンズの第4面は、コーティングされているとのことですが、それって、すごいですねぇ。
1956年〜60年頃は、小口径の対物レンズはノンコートが当たり前だったと思うので。
それとも、アストロ光学の対物レンズは普通にコーティング面があった?

この頃、4cm屈折を販売していたのは、五藤光学、日本精光、旭光学、日野金属。
それ以外にも、いろいろあったと思います。
コーティングから思いつくのは、旭光学との関係です。
旭光学時代に小島氏が設計したと思われる16cm屈折赤道儀の対物レンズにはハー
ドコーティングが施されていますから。

見ずらいとのことでしたので、既にご覧になったかも知れませんが、「高低二様〜接眼鏡」の
実用新案の文書を添付しておきますねぇ。

なお、小島氏の発明は、
単軸赤道儀、南天赤道儀、簡易赤道儀装置、計算尺、立体顕微鏡、太陽熱利用炊飯器の架台
でしょうか。
計算尺と立体顕微鏡の1枚目だけ載せておきます。

右端が立体顕微鏡ですが、発明者は小島氏ですが、出願人は千葉勝雄氏です。
エド様が調査報告しているNo.11299のアストロ光学の登記簿に載っている方で、アストロ光学
の設立メンバーの1人で、昭和32年11月12日には代表取締役になっています。

Download:11432_1.pdf11432_1.pdf Download:11432_2.pdf11432_2.pdf Download:11432_3.pdf11432_3.pdf Download:11432_4.pdf11432_4.pdf





Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   エド - 2018/11/16(Fri) 22:21 No.11433

青色つきこさま ガラクマさま 皆様

パテント公開文書のPDF、ありがとうございます。
やはり「高低二様に接眼鏡」は製品の仕様ズバリで出願されていることが確認できました。
小島氏の特許出願が少ないのは実用新案が多いからかもしれません。
“特許”より“実用新案”のうが通りやすいですから、権利が10年間でもいいなら実用新案で出願したでしょう。
また、出願人として千葉氏のご指摘、ありがとうございます。
計算尺とか炊飯器とか、本業以外のアイデアを出願するなんて、時代ですね。
小島氏のようなアイデアマンは日々いろいろなアイデアが浮かんできたと思います。

さて、この4センチが「試作品」ではないかと思う理由を挙げてみます。

 @アストロ光学のカタログにない。その後の“光学工業”の製品にも残像が残っていない。
 Aドローチューブがアストロ社内にある既存部品ではない。
 B鏡筒にも木箱にも銘板が無い。
 C開き止めが無い。(量産した完全な製品ではない)
 Dドローチューブユニットの取付けが治具を使わず現物合わせで穴加工してある。
   (よって穴位置が正確に120度振り分けになっていない)
 E天頂プリズムにあるアイピース取付けノブボルトが邪魔で木箱のフタが閉じない。

コーティングの件で青色つきこ様の意見を読むと、小島氏が旭光学時代に作った試作品という線もあながち否定できない気になります。
確かに、最小口径の廉価版にコーティングは贅沢すぎます。
そこで思うのは、当時のカタログにはコーティングについて一切コメントがないということです。
対物レンズのコーティングが強力なセールスポイントとなりうる頃なら、カタログに謳うハズです。
しかし、後年のカタログ含め、フルコーティングなら書いてありましたが、1面のみだと謳わない場合も多かったとも思います。(業界の暗黙の了解?)
すみません。書いていて自問自答になってしまいました。結局わからないんです。
どなたか、対物レンズのコーティングが始まった時期について教えてください。




Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   - 2018/11/16(Fri) 23:09 No.11434

反射防止膜は、戦前の日本はソフトコートで潜望鏡への実施実験止まり。アメリカとドイツは双眼鏡などへの実用に至っておりました。(アメリカ空母は真空蒸着釜を積んでメンテも出来たとか)

日本では、戦後にカメラレンズへ、ソフトコートを表面に露出しない面に処理し始め。
1950年ごろにニコンがハードコートを実用化して外気露出面に用いることが出来るようになり、その後普及・・・くらいだったはずです。従って1950年より前と言うことは無いという程度です。


それから先日京都で「アスコの古いアイピースが五藤製と作りが同じ」という話題を某メーカーさんに質問したところ、アスコの社長さんか誰かが元・五藤の社員?で、その人脈で・・・というお話でした。(後期は谷光学さんの流れのアイピースになっていますが)


添付写真はアスコの初期のアイピースですが、五藤やニコンと同じでアイキャップがネジ式です。内部の絞りの構造も五藤と同じでした。





Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   ガラクマ - 2018/11/17(Sat) 09:59 No.11435

garakuma.gif 青色つきこさん。エドさん。情報ありがとうございます。

 実は、先の南天赤道儀については児玉さんからの情報から、リンクさせて頂きました。私も検索の方法が今一つで、なかなかたどり着けなかったところでした。

原さん。ご紹介のアイピース。確かに五藤光学似ですね。他にもあったかもしれません。
天文夜話には、以下のような記載があります。

***********************************************************************

東洋光学のこと   不況下の苦労

 当社のアイピースを一手に供給してくれた東洋光学の創業者鈴木秦一氏は、もと今日のオリンパス光学の前身高千穂製作所におられたが、のち京都の島津製作所から引き抜かれしばらく京都におられた。その後、東京に帰り顕微鏡の製作を始めたいと考えられ、私が御相談を受けた。そこで僅かに千二百円の金と旋盤一台を無償でお貸しし、接眼鏡の納入のたびに、その二割を償還するという約束であった。当時は何しろ非常な不況時で仕事をもらいたいという工場が多く、東洋光学より三割引きで納品するという他の工場が続出し、遂に東洋光学は貸金旋盤代の半分を回収したところで他工場に変更し債権の半分は放棄したが、それがのち、私の工場の為には利潤を増す所以となった。なおこの東洋光学は北海道大学の助教授の協力を得て日本初の位相差顕微鏡を開発した。
*******************************************************

ただ、昭和4,5年の頃の話なので、東洋光学とは関係ないとは思いますが、顕微鏡の業界と望遠鏡の業界は古くの関係がよくわかります。たくさんの接眼鏡メーカーがあったようです。
位相差顕微鏡の日本国内での製品化は、1949年に高千穂光学によってなされたとWikiにはあります。

それらも含め、個別の事柄はおいといて、当時のアウトラインをみなさんの情報を頂き、文書にしてみました。(長いですが)

○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
 昭和初期までの天体望遠鏡メーカーである、日本光学や五藤光学も、まず自社での生産を基本とし、自社では製作困難な部品や、外注したほうがコスト的に安い部品についてはのみ外注し組み立てていたメーカーであったが、小島氏は戦後急激に輸出産業として伸びて行った双眼鏡を中心とする光学製品のネットワークを積極的に利用する方式をとった。
 その状況は、アストロ光学の初期のカタログにあった。

     アストロ光学とアストロ望遠鏡 
 アストロ光学は、永年の経験に富む熟練技術者の集団で、独自のきわめて優秀な工作規模と機能をもっている50数社の専門工場が、カルテル的結合をもって組織されている特殊な天体望遠鏡メーカーです。
アストロ望遠鏡は最も新しい設計と高度の技術により制作され、すべて日本工業規格JIS B-7123に合格した品質の材料を十分吟味のうえ使用し、加工、組み立てを入念に行ってできたものですから、美しい形と丈夫な構造をもち、かつ厳密な検査に合格しています。

なお、戦後の双眼鏡を中心とする光学機器の製造状況については、私の個人的に作ったHP用に、元ビクセン光学社長の斉藤彰氏から頂いた文書、これは「板橋区の光学産業」として、板橋区リーディング企業ガイド2007にも掲載されたものである。

昭和 20年、敗戦となって、軍需工場として繁栄した大きな会社はすべて業務縮小を余儀なくされ、それらの会社をリストラ(当時は<馘首>と呼ばれました。)された多数の従業員、或いは復員して来た大勢の兵隊達、更には元特攻隊の生き残り兵等も含めて、彼等は戦争のためではなく祖国の復興のためまだ焼跡が点在する町並みの中にそれぞれの小さな一歩を踏み出したのでした。生活を賭けた新しい戦いが始まった感じでした。 板橋界隈にあった光学会社も同じ状況でした。会社を去った大勢の若者達は身につけた技術をもとに新しく加わった元兵士達などと共に新しい民需用の光学製品生産に向けスタートを切ったのです。大半はカメラ関係へ、そして双眼鏡関係等々へと雪崩を打ったように集まりそれぞれが自由に全く新しい小さな会社を立ち上げたのです。又、大きな軍需工場の下請けとして戦前から続いていたこの道の老舗工場も新会社とは別に民需に向けての新しい担い手になったのは勿論でした。双眼鏡関係で云えば、軍需工場でレンズを作っていた者は「レンズ屋」を、ボデイを作っていた連中は「鏡体屋」を、プリズム研摩をやっていた者は「プリズム屋」をそれぞれ立ち上げたのです。但し、レンズ屋といっても更に細かく区分され「接眼屋」「対物屋」「芯取り屋」「コート屋」「バルサム屋」等に分かれ、鏡体屋も「ダイカスト屋」「旋盤屋」、もっとこまかく「中心軸(昇降軸)屋」「メッキ軸(多条ネジ)屋」「キャップ屋」等々に分かれました。以下、更に、必要とされた部品部材のための業者は----「彫刻屋」、「アルマイト屋」、「梨地屋」、「塗装屋」、「プレス屋」、「皮張り屋」「エボナイト屋」「板金屋」「メッキ屋」・・・・そして、「エキセン・間隔環屋」「プラスチック屋」「化粧箱屋」「仕上屋」「穴あけ屋」「ビス屋」「エーテル屋」「接眼油・基軸油屋」・・・・・etc。そして最後に「調整屋」・・・・・ここが終着点なのですが、とにかく、いろんな分野に、元兵士達を巻き込みながら、大勢の若者たちが専門メーカーとして猛烈に活躍しだしたのでした。その結果、一匹オオカミの連中が造り出した生産のネットワークは一体どこまで細分化されていたのか、今では見当もつかない程徹底的な分業組織になって完成したのです。言わばそれは自然発生的なネットワークでした。無論、それぞれは〇〇株式会社 有限会社XXX、なんとか商工、とか、規模は小さくとも立派な社名のある法人・個人会社で、たまたま扱っている商品名で通称そう呼ばれていたケースが殆どでしたが・・・・。ネットワーク完成の効果が利いて、最も生産台数の多いツアイスタイプのスタンダード7x50、及び8x30等のいずれかを、輸出業者から受注した最終工程者の調整屋が、必要な台数をまず「鏡体屋」に発注すると、加工上がり一式が自動的にアルマイト屋、塗装屋、皮張り屋・・・と流れて、何日後かに完成部品がセットになって、台数分揃って「調整屋」の自宅に届くシステムが実現したのです。同じようにレンズ関係は各レンズ屋から、その他の部品もそれぞれのルートから都合よく届くようになったのです。「調整屋」は大きな会社に「1台いくらの受け取り制」で多数雇用されている例もありましたが、全体としては独立した零細企業が大半を占め、親父さんとおかみさん二人、よくて若い衆数名抱えて二階屋に住むケースが多く、場所は窓から遠くに銭湯の煙突の見える所が最高とされていました。大体300メートル離れた煙突の太さが角度で約3分の幅、光軸を合わせる条件として最適の標的になったからです。調整屋は、場合によってはLCの関係で徹夜の仕事も多く、2階への階段下にはラーメンの丼が重ねられて置いてあったり、下から声をかけるとステテコはいたオヤジが鉢巻き姿で降りて来たり、と、そんな風情は当時は当たり前の光景として受け取られていました。

 双眼鏡については、当時のほとんどがツアイスのコピーで、大部分が「7x50」や「8x30」のポロ(T)型であった。、それに比較し天体望遠鏡は、小型の口径4cm程度の卓上型屈折経緯台から口径10cm以上の据付型赤道儀タイプまで、同じような図面で作れる双眼鏡と同様に、というわけにはいかないが、まだ当時は特殊なものとして生産量が少ない天体望遠鏡の部品を、設計から工作までよく知る小島氏だからこそ、××屋を選び、指導し天体望遠鏡を完成させることができたと考えられる。この生産スタイルは1960年代、成長期に生まれた多くの天体望遠鏡メーカーに受け継がれ、メーカーブランドと実際の生産者が一律には説明できない複雑な製品を生むことになった。小島氏の設計した多くの天体望遠鏡はアストロ光学製として売り出したが、その部品を作ったメーカーが他のブランドにも、その部品やデザインを売り込んだため、スタイルが似た天体望遠鏡があちらこちらに見られた。ただ、それらの生産は国内でとどまった為、海外ブランドとしても輸出されたが、一目で日本製と分かる望遠鏡となった。
一方、見込み生産として発注された部品は、戦後の生活に余裕が十分では無かった黎明期の時代においては、時に余剰を生み、経営を脅かしたと思われる。
その状況は、現在も天体望遠鏡の世界的ブランド、高橋製作所創業者、高橋喜一郎氏の手記にも見て取れる。

星の手帳 1980冬 高橋喜一郎氏
当社がTS式のブランド名で、天体望遠鏡を送り出したのは、昭和42年10月のことで、65o屈折赤道儀が初陣を切って市販された。その屈赤の設計者は、当時著名なアマチュア天文家であった故小島修介氏で、同氏が設立し、社長でもあった、日本テレスコープ社で製造され、米国のスイフト社に輸出されていた。当社は、そのころ鋳造業者として日本テレスコープ社より受注していた。昭和30年初めのことで、20年以上前のことである。
 そのころは現在のような宇宙ブームはなく、天文ファンの数も少なく、私は小島氏から、作った望遠鏡が売れないので、氏自身が担ぎ売りに小売店回りをした苦労話を聞かされた。話にははるかに遠大な計画もあったが、惜しくも小島氏が急逝し、会社はストップしてしまった。そこで弊社が、望遠鏡の発注先であったスイフト社の依頼をうけ、残っている半製品を整理し、完成品にした。それが望遠鏡業界に踏み込む発端になろうとは夢想もしなかった。・・・・・・・・
[管理者修正]




Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   - 2018/11/17(Sat) 10:48 No.11436

http://www.jah.ne.jp/fukushi-pc/nerima/hp/2003/a3/takamura/suzuki/glass.htm
現在ケンコーの工場となっている光栄精機製作所の話ですが戦後の様子がよく分かります。天文夜話とも整合高い内容です。ビクセンの古老が持っていた協力工場の電話帳は各部材、加工種ごとに何十かの企業名が記載されていたことを思い出します。




Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   エド - 2018/11/17(Sat) 22:19 No.11437

皆様 こんばんは!

原さま、早速のご教示ありがとうございます。
アイピースは刻印ひとつでいろいろな会社に供給できるので、付属するアイピースでは断定できないかもですね。
アイピースにしろ部品にしろ、相当“使いまわし”をしないと量産効果が出ないほど天体望遠鏡の販売台数は限られていますから。

対物レンズのコーティングですが、その後の小口径大衆機では第3面にのみ施されている場合が多かったと思います。
どちらが理にかなっているかは別として、その点で何か時代同定、メーカー同定ができないかな〜と思った次第です。

あとはその特徴的なボール経緯台を使っている仲間の発見のみというところでしょうか。
なんか見たことあるな〜という意見に期待いたします。




Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   青色つきこ - 2018/11/18(Sun) 20:08 No.11438

エド様、ガラクマ様、みなさん、こんばんわ。

小島氏関係の特許は、前述したもので、ほぼほぼ調査終了です。
実用新案については、五藤光学時代のものは確認しましたが、
アストロ光学時代は不明です。少なくとも、1956年12月までの
分類104Dでは確認できませんでした。
特許庁編「実用新案分類別総目録U」技報堂1959は、明治38年
7月〜昭和31年12月の実用新案が載っています。
ちょっと見ずらいかも知れませんが、貼付しておきますので、
ご活用ください。
天体望遠鏡の項目がありますが、日本精光研究所の小林栄道氏
によるものです。ユニトロンのターレットレボルバーもありま
した。

因みに29-13574の場合は、1954-13574として検索してください。
(実用新案登録番号)

特許については、1961年までの分については、小島氏関連で出
てきた方の名前をめくってみましたが、見つけたのは先の千葉
勝雄氏だけでした。(五藤斉三氏は別として)
小林栄道氏の名前もありませんでした。

1957年以降についても調査したいですが、目録がどうなってい
るのかわからないので、ここまででしょうか。

エド様の4cm屈経ですが、鏡筒を鏡筒バンドで受けて架台に取り
付ける方式です。これも特徴の一つだと考えております。
赤道儀については、アストロ光学、日本光学、日本精光も鏡筒バ
ンドで架台に取り付ける方式ですが、経緯台でこの方式は珍しい
と思いました。





Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   エド - 2018/11/18(Sun) 21:47 No.11439

青色つきこさま ガラクマさま 皆様

引き続き実用新案のことで調査いただき恐縮です。

その目録をザッと見ますと、いくつかの項目において昭和29〜31年にたくさん出ている感じがします。
昭和29〜31年は、“アストロ光学”が起業から新社屋へ移転した時期に重なります。
これら増えた実用新案出願が“アストロ光学”のものでなく、五藤光学からの出願であれば、
五藤斉三氏が危機を感じて出願していたのかもしれません。
いや、それは考えすぎで、その頃ようやくこの業界が“パテント”というものを意識しだしたからかもしれません。

簡素な経緯台は、鏡筒を架台へ直接ネジで固定するタイプがほとんどですが、鏡筒の迎角が大きくなってくるとバランスが悪くなってきて、筒を前へ移動したくなります。
その点、バンド式なら自由にスライドできるので便利です。
おっしゃるように、ネジで固定するよりずっとコスト(鋳物)がかかり、“高級”ですので、
その後は迎角に左右されないフィーク式が主流となったと思います。
と書いたところで、昔のケンコーのKAを思い出しました!
以前私所有していましたし、この板にも愛用者が何人かいらっしゃるようです。
ガラクマさんも以前、絶賛されています↓
http://yumarin7.sakura.ne.jp/kenko/kakds.html

これは2軸微動が付いた超高級経緯台ですが、鏡筒バンド下側のノブボルト1本で締付けるのは同じです。




Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   エド - 2018/11/22(Thu) 21:50 No.11440

青色つきこさま ガラクマさま 皆様

そもそもこのスレは古いアストロ光学(〜工業含)の製品についてなので、小ネタをひとつ。

添付写真は数年前に入手したアストロ光学工業製4センチファインダーを正立タイプに自作改造したものです。
別体フードがなく、ほとんど対物セルのみというデザインですが、
このスレの上のほうでガラクマさんが提示された古いカタログ中のN−4型卓上4センチの対物セルそっくりです。

面白いのは、このセル、どうもエボナイト製くさいんです。
最近では万年筆の軸ですら他の樹脂でできているものが多いと思うと、黒光りするセルがとても貴重なものに思えてきます。

さらにこのファインダー、対物キャップはアルミ製の帽子型なんです。
コストを考えれば寸胴状に作るハズですが、先端側が丸く膨れているのがオシャレなんです。
これがセルに対してまるで茶筒のようにしっくり嵌るんです。

あと、調整ネジでキズが付かないように金属製の溝付バンドが付属していて、さらにこのバンドの内側にフェルトが貼ってあったり、、、
レンズは箔分離型でコーティングもあります。
もう“良心のかたまり”のようなファインダーなんです。

アストロ光学の望遠鏡は中学時代のあこがれでしたが、
ファインダーひとつとっても廉価なOEM品にはない物づくりの良心を感じてしまします。





Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   NGC1999 - 2018/11/23(Fri) 11:08 No.11441

みなさんこんにちは

 エドさんの望遠鏡ですが、このアストロ光学(株)カタログ(昭和31年6月)のR3ではないでしょうか?
 口径40mmf910mm、接眼部は引き抜き式、そして架台は自由雲台経緯台なので、合っているような気がします。





Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   エド - 2018/11/23(Fri) 21:04 No.11442

皆様 こんばんは!

NGC1999さま、ありがとうございます!
付属アイピースでの倍率、木箱のサイズも表のR3型と一致しております。
“アストロ光学”の“R3”と鑑定がでました〜

しかし昭和31年のカタログにあって32年のカタログに無いとは、、、不思議かつ希少ですね。

60年以上経過した美品が今、偶然舞い込んでくるなんて、、、怖いくらいです。
「博物館」に寄贈してお祓いでもしてもらおうかな。。。




Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   青色つきこ - 2018/11/23(Fri) 22:34 No.11443

エド様、NGC1999様、みなさま、こんばんわ。

アストロ光学の初期の製品だったんですねぇ。
NGC1999様のカタログには、多くの製品が掲載されていて、興味深いです。
1956年12月 アストロ光学は新社屋が完成しますが、それに伴い、製品の
見直・整理があったのでしょうか。
それにしても、この望遠鏡の持ち主の方は、どのような方だったのでしょ
うか。




Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   エド - 2018/11/23(Fri) 23:57 No.11444

青色つきこさま 皆様 

昭和32年のアストロ光学は、要町の新社屋に移転しているものの、社内ではゴタゴタが始まっていたと想像できます。
この年の4月には、代表取締役が小島氏と浅原氏の2名になっています。
なぜ製品のラインナップが大きく整理されたか?確かに逆行する感じですが、既に部品メーカーへの支払いで不渡手形を出してしまい、一部の部品納入がストップしているからかもしれません。

新社屋もラジオ放送も小学校への貸与も人口衛星もすべてスバラシイ業績なのですが、
納入会社への不渡は株式会社として非常にマズイです。
小島氏の“評判の悪さ”はこのへんにあったのではないかと想像しています。
つまり「好き勝手に花火をあげて、地に足が着いていない」という。。。

それにしてもアストロ光学の意味不明な製品型番はそのまま光学工業へと受け継がれたんですね。
RとかTとか、、、口径もFも型式から想像できない暗号のような。。。




Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   NGC1999 - 2018/11/24(Sat) 09:01 No.11445

みなさん こんにちは

 60年以上前の望遠鏡が、このような綺麗な状態で保存されていたなんて、信じられません。
覗いてみたいものですですいね。昔が見えるかも!
 さて、このカタログの存在そのものも、不思議なんです。
古本を扱うHPで、「天体望遠鏡」のキーワードで検索すると、「アストロ天体望遠鏡・・・」が出てきます。だいぶ前に、これを入手したのですが、しばらくすると、また同じのが、出続けています。紙質を見るとコピーでもなさそうですので、複数存在しているようです。大昔の販売店向けカタログの一部かもしれないと、考えています。(一部修正)




Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   青色つきこ - 2018/11/25(Sun) 20:18 No.11446

NGC1999様、エド様、ガラクマ様、みなさま、こんばんわ。

NGC1999様、早速、アストロ光学のカタログを注文してみました。
ここの古本屋さん、以前、「天文と気象」を買ったことがありましたが、アストロ光学の
カタログもあったとは、全然、わかりませんでした。
まだまだ、わからないことだらけです。
モデルNは、「入門用」、モデルSは「スタンダード」、モデルHは「ハイグレード」
モデルKは「要町工場開発」、モデルTは「千早町工場開発」、モデルRは「レトロタイプ」?

先に、「アストロ光学2/小島修介」で触れた日吉光学とスイフト社との関係ですが、
特許関係を調べていたら、1件、関係を見つけました。発明者の西沢さんは日吉光学の方
で、出願者はスイフト社です。時期は1980年代なので、ちょっと最近のものですが。

アストロ光学(株)提供のラジオ東京「星空へのいざない」ですが、昭和32年3月(1957.3)
で終了しています。最後の演者が串田孫一さんでした。どんな繋がりだったのでしょうか。
タイトル「星の採取」です。

Download:11446_1.pdf11446_1.pdf





Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   エド - 2018/11/25(Sun) 22:07 No.11447

青色つきこさま NGC1999さま 皆様 こんばんは!

アストロ光学の型式ですが、少し謎が解けた気がいたします。
T:卓上型(または卓上型からの発展型)
R: refracting の4番目のスペル
LN:reflecting の4番目のスペル+NewtonのN

屈折と反射、どちらもスペルがRから始まっていますので、fの次のスペルを用いたと思います。
これ以外については難解です。。。

日吉光学とスウィフト社の共同特許があるとのこと。
またジグソーパズルのひとつを見つけましたネ!
やはりアストロ光学と日吉光学は親密な関係にあったと言えるでしょう。
型式のHは“日吉光学”製というのはどうでしょう。

ラジオ放送の調査、流石です!
すごくためになる内容ですが、昭和32年になるとアストロ光学の資金が無くなったんだと思います。残念です。

NGC1999さまの「昔の望遠鏡を覗くと昔が見えるかも」というのは素敵な発想です。
どなたかそれを題材に映画の脚本を書かれてみてはいかがでしょうか?

大名の長大な遠メガネを覗くと戊辰戦争が見え
戦前の五藤式を覗くと銀座のモボモガが見え
砲隊鏡を覗くとノモンハンのソ連戦車が見え
ロングトムを覗くと放浪詩人のマンドリンが見え
板橋の双眼鏡を覗くとGHQと風呂屋の煙突が見え
アストロ光学のR3を覗くとバタヤ部落と小島氏が見え
ミザールのコロナ型を覗くと小学生の我々が見え。。。




Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   エド - 2018/11/26(Mon) 21:50 No.11448

青色つきこさま 皆様 こんばんは!

提示いただいた、日吉光学の西沢氏考案の特許公開、面白く読ませていただきました。

ポロタイプのプリズム双眼鏡の視軸調整方法は対物レンズのダブルエキセンで行うタイプが多いですが、
調整が終わって止メ環を締めるときにどうしてもエキセンが共回りしたり、ガタ分動いたりしがちです。
もうひとつの主な調整方法はプリズムシート(直交した2個のプリズムをユニット化したもの添付写真)の傾きを3箇所のネジの押引きで光軸を動かす方式ですが、ネジの力でシートが変形してプリズムが欠ける欠点があったと書いてあります。
この特許はその問題を改善するためにバネと押しネジによる方法にしたものですが、調整は筐体外側から行う必要があるため、調整ネジを斜めに当てるというものです。

私は後者のプリズムシートで調整するタイプのほうが好きです。
プリズムユニットを筐体に入れる前に外の治具でキッチリ直交が出せるメリットがありますが、
対物レンズと接眼レンズの位置があらかじめ正確に出ている必要があります。
好きと言ったのは、慣れてくると視軸の調整が案外楽にできるからです。

写真2は以前minoruさまから譲っていただいたヒフミ光学のφ70双眼鏡ですが、プリズムシートの傾き調整がさらにやりやすく設計されています。(どのネジでどうなるか理解しにくいですが)

各メーカー、視軸の調整方法に工夫をし始めた頃、ダハ式が出てきたのは皮肉と言うべきです。

青色つきこさま 私のところへ舞い込んだ“R3”ですが、聞きましたら個人所有品だったようです。
学校備品ですと古物商が買い取りして、どうしても高値でリサイクルされてしまうのが残念です。





Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   青色つきこ - 2018/11/27(Tue) 00:52 No.11450

エド様、みなさま、こんばんわ。

昔がみえる望遠鏡、いいですねぇ。それなら、私も一台ほしいです。望遠鏡の
かっての持ち主が、どんな物を見ていたのかも、見せてくれればいいのになぁ。
R-3は、個人所有ですか。どんな方だったのでしょうか。学校の先生でしょうか。
もしかしたら、どこかの令嬢が、贈物としてもらったとか。

1956年代の物と推測されますので、アストロ光学が輸出メインでやっていた頃
でしょうし、それを考えると、国内にあるのも珍しいと思います。

アストロ光学の望遠鏡の型番の件ですが、反射式については、シンプルです。
LNはニュートン、LCはカセグレン、Aはアストロカメラ。屈折は、思いつきで
しょうか。
アストロ光学というよりも、小島氏についてもは屈折式望遠鏡というイメージを
なんとなく持っています。輸出用は屈折式というイメージかあり、五藤光学だ
って屈折式メインだし、日本光学もそうだし、輸出メインの日本精光・旭光学工
業も屈折式だし、輸出用は屈折式という幻想?を抱いております。
アストロ光学は、屈折式も反射式も取り揃えていたというのは、やっぱりすごいです。
西村製作所は、反射式ですし、屈折も反射もというのは、やはりアストロ光学が
最初でしょうか。

双眼鏡に関しての特許は、結構あります。先に示した望遠鏡関係の特許にしても
天体望遠鏡については少ないです。




Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   ガラクマ - 2018/11/29(Thu) 23:09 No.11451

garakuma.gif みなさんこんばんは。話についていけていない管理人です。

「5cmに外れなし」にT3をアップしておりましたが、もう一台持っているアストロもボール型ですね。ブッシュネルもアストロっぽいですが、手掛かりになりそうな刻印が良く見えません。
4cmの写真も保存しておりましたので(これは持っておりません)、参考まで。

特許は調べて行くと面白いですね。それと反射と屈折という話なら、ミネルヴァ光学もそんな感じでした。

それと小ネタをひとつ。
数日前、県内の大先輩、小島先生(修介氏と血縁無)におよばれして、お話を聞いてきたんですが。
昭和25年3月16日、山本一清先生の田上天文台の助手募集の話を聞いて、単身出向いた時(結局採用されなかったそうですが)、小島修介氏が来られており、山本先生に月の本を見てもらっていた。とのことです。
ライブで、話した人が近所でいてびっくりしました。ただ、その後はお話していないとのことです。





Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   青色つきこ - 2018/11/29(Thu) 23:56 No.11452

ガラクマ様、エド様、みなさま、こんばんわ。

アストロ光学のModel Tシリーズですねぇ。D=50mm f=500mmの起源は、アストロ光学でしょうか。
既にあった旭光学のジュピターはD=50mm f=600mm。国産メーカーの50mm屈折の起源は、五藤光学?
でしょうか。

先にNGC1999様が、紹介していました某古本屋さんから、アストロ光学望遠鏡一覧表が届きました。
(NGC1999様が掲載してくれました一覧表です。)
裏表の1枚ものの表ですが、裏側が面白いです。
添付しておきますので、ご覧ください。
こんなに種類があり、歌い文句どおりの数でびっくりです。
中でも、カタディオプトリック式が、どんなものなのか興味があります。ここに載っている製品を、すべて確認できれば最高です。
R3型は、エド様が紹介してくれました。T3型はガラクマ様が紹介してくれました。まだまだ、国
内のどこかに眠っているかも知れませんねぇ。
Model MというレンズがD=50mm f=800mmのシリーズもあります。
ますます、ネーミングの基準がわかりません。
このスペックの5cmは、その後、各社から出てきたと思います。
R-51は、アストロ光学の系譜にはないf=750mmで、アストロ光学工業の系譜なんですかねぇ。

アストロ光学には、自作用として対物レンズと接眼筒のセット品(N6型、R6型)があり、「子供の科学」1956年8月号に「天体望遠鏡の作り方」という記事が掲載されています。また、反射鏡面自作セットもありました。こちらについても、「科学画報」1956年7月号〜9月号に「反射望遠鏡の製作ガイド」が掲載されています。
執筆者は、もちろん小島修介氏です。1956年は自社の望遠鏡の宣伝を活発にしているのが、みてとれます。

小島修介氏は、1950年頃は東亜天文学会月面課員として活発に活動していたと思われます。
まだ、五藤光学研究所員でした。
「天界」1950年12月号に「月面観測について」という記事が掲載されていますし、この頃、
「月面図」が地人書館から出版されています。

Download:11452_1.pdf11452_1.pdf





Re: 【アストロ光学(株)その3】その製品について   エド - 2018/11/30(Fri) 21:09 No.11453

青色つきこさま ガラクマさま 皆様

その裏面、確かに面白いです。
“天文研究家用”というのがアストロ光学の高級品ですが、付属アイピースの種類がその倍率から想像できます。
K32mm K40mm K50mmなんていう“高級”アイピースが付属していたなんて、、、
また、カタログの住所が要町2−30となっているので、新社屋へ引越す前のほんの1年弱の期間のものです。貴重です。

ガラクマさま 写真をアップされた“スカイローバー”のエンブレムの右ハジに“OTC”の小ロゴがありますが、これはどこのメーカーでしたっけ?


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