冨岡光学研究所 投稿者:
Stew 投稿日:2021/04/15(Thu) 02:16 No.12714 |
|
ガラクマさん、みなさん。 おはようございます。
前回の質問から大原さんについて多くのことを学びました。 富岡正重さんと日本工業での仕事について読んだことがあります。 富岡さんは大正13(1924)に日本工業を去ったようです。 そしてS7(1932)に富岡光学研究所を設立。 彼はレンズとカメラを作った。 彼は双眼鏡を作った。
五藤誠三さんは富岡さんにS5-S13で望遠鏡用のアクロマートレンズを作ってもらいたかったそうです。 彼がそうしたのか、それともニコンコガクのレンズを作ったのかはわかりますか?
ありがとうございました。
シチュー |
|
|
Re: 冨岡光学研究所
(^0^)コメト - 2021/04/17(Sat) 22:18 No.12721 | |
|
|
Hi!Dear・Mr.Stew
富岡氏について記述した文献はあまり多くないようです。 検索すると以下のものがヒットしますが、これは五藤光学の レンズを手掛ける切っ掛けとなったものです。(^0^; ttps://www.domenavi.com/ippin/2015/13_01.html
元々は写真関係のレンズを設計していた方のようで、旧海軍の 専属顧問であったように聞きます。 勿論、Nikonや富士写真グループにも関係し、未だこのレンズを 使う方も多いようです。(^0^v |
|
|
Re: 冨岡光学研究所
Stew - 2021/04/18(Sun) 22:00 No.12728 |
|
コメトさん、
ありがとうございました。児玉様のドメナビの記事は、富岡さんが後藤さんのレンズを作っている主な参考資料です。こちらはカメラレンズ製造のサイトからです。日本語に翻訳しました。
http://camera-wiki.org/wiki/Tomioka
「富岡、現在京セラオプテックは日本の光学会社です。主にレンズメーカーですが、1930年代にカメラのプロトタイプも製造しました。
戦前と戦時 創設者の楠木正重(冨岡正重)は、1913年に東京物理学校を卒業し、陸軍砲兵隊の光学工場に勤務し、1917年から日本工学校に勤務しました。[1] 1924年、荏原(品川区荏原)品川区に冨岡光学研究所(冨岡光学研究所)を設立し、民間レンズを製造するためにこの会社を辞めた。
長年の研究を経て、1932年11月に雪ヶ谷大森区に製造工場が開設され、初のラウザー(ローザー)4要素テッサー型レンズが発売された[2]。同年12月に商工省(商工省)から補助金を受けた[3]。同時期に社名を冨岡光学機械製造所(冨岡光学機械製造所)に変更しました。[4]
1938年1月付けの広告では、f /4.5およびf / 3.5 Lausarについて言及されており、f /4.5バレルおよび拡大レンズの次のリストが示されています。[5]
300mmバレルレンズ、290円。 250mmバレルレンズ、220円。 210mmバレルレンズ、95円。 180mmバレルレンズ、80円。 105mm拡大レンズ、25円。 75mm拡大レンズ、20円。 50mm拡大レンズ、20円。 広告には株式会社が株式会社と記載されており、富岡レンズの販売元は島屋飯田であるとのことです。会社が合資会社として言及されている別の広告は、販売代理店を日栄商会として提供しています。[6]
同社は2m望遠カメラを含む軍用光学兵器を製造する必要がありました。[7]神奈川県鎌倉市の大船と呼ばれる場所に、主に双眼鏡を生産する二次工場を開設した[8]。戦後、この工場は本工場から分離され、大船高学になりました(対応ページ参照)。
終戦に向けて、主要な植物工具の一部が東京都西多摩郡の小曽木村の別の場所に避難し、後に都市に統合されました。大梅(青梅市)。[9]これにより、1945年5月24日の航空爆弾による主要プラントの完全な破壊にもかかわらず、会社は戦争を生き残ることができました。[10]
戦後 戦後、1945年10月に大曽木村に新工場が開設された[11]。 1946年1月、富岡は光学精密機器製造業協会(光学精機工業協会、光精機工業協会、光精機工業協会)の17の創設メンバーの1人でした。[12]同社は、ヤシカやロイヤルカメラなど多くの日本のカメラメーカーにレンズを供給しました。 Lausarに加えて、他のタイプとブランド名には、Tominon、Tominor、Tri-Lausar、Tomi-Kogaku、Auto-Tominon、Tomi-Yashinon、Yashimar、Yashikor、Yashinon、Heliotar、Lumaxarが含まれます。 (ヤシノンレンズは高品質で定評があります。)
富岡は1968年にヤシカに買収され、名前を富岡光学株式会社に変更しました。 (冨岡光学御、富岡光学株式会社)1969年。[13]富岡工場は、コンタックスのようないくつかの日本のカメラで使用するためにカールツァイスのライセンスを受けた光学系を作りました。これらは、少なくともいくつかのツァイスの工具と人員で作られました。[14]富岡は、京セラとヤシカが合併した後、1983年に京セラグループの一員となり、1991年に京セラオプテック株式会社(京セラオプテック株式会社)となった[15]。噂によると、カールツァイスは徐々に生産施設を管理し、工場を閉鎖しましたが、間違っているようです(ツァイスのライセンスレンズの生産ラインは明らかに停止しています)。[16]現在(2008年)の会社はまだ存在している」と語った。
五藤光学用に作られたレンズについては言及されていません。 |
|
|
Re: 冨岡光学研究所
Abbebe - 2021/04/25(Sun) 19:50 No.12738 |
|
Stewさん、皆さんこんにちはAbbebeです。 富岡光学はカメラ業界では有名なレンズ会社ですね。確かに最近まで京セラオプテックだったのですが2018年に京セラ本体に吸収されて解散となって今は存在しないようですね。 Stewさんが書かれているとおりレンズ専業会社としてスタートしてその後ヤシカ傘下になり、その後ヤシカがカールツァイス傘下になったことでカールツァイスレンズの日本製造会社として有名で、そのままヤシカが京セラ傘下になって京セラコンタックス用カールツァイスレンズの工場でしたね。京セラコンタックスがカメラから撤退した後はカメラレンズ用モールド非球面レンズ玉の3番目の供給会社(パナ、HOYAに次ぐ)として頑張っていた印象が有ります。製品はトミノン、ヤシノン、加えてカールツァイスだった訳ですから間違いなく名門だったと思いますが、カメラ業界ももう存在しなくなりつつある状況なので吸収解散もしかたがない結果とも思います。 |
|
|
Re: 冨岡光学研究所
ガラクマ - 2021/04/26(Mon) 21:50 No.12740 |
|
|
私は「天文夜話」で過去拝見しましたが、あまり詳しくありません。
この機会に少し調べてみると 「山田幸五郎回想録 -日本の光学工業の父-」に関係の記載がありましたので、ご紹介いたします。
*****************************************************
株式会社富岡光学機械製造所顧問となる
『日本の光学工業史』編集会議の時に山田は富岡光学機械製造所社長富岡正重と度々顔を会わせるようになった, 富岡は大正2年(1913)に東京物理学校を卒業し陸軍砲兵工廠精器製造所光学工場に勤務していたが,大正6年(1917)に日本光学が創立されて日本にもいよいよ光学工業が勃興するという気運が見えて来たので日本光学に入社した。 ところが大正11年(1922)に海軍蚕縮が実施されるようになったので,日本光学も最初計画した規模を縮小するようになった. そういう情勢を見て,富岡は日本光学を退社し,大正13年(1924)11月に富岡光学研究所を設立し,事業が順調に栄えて行ったので昭和8年(1933)に研究所を解散し,株式会社富岡光学機械製造所を創立し,レンズおよびプリズムの大量生産を行なった。 さて山田は昭和30年(1955)1月にシェル石油株式会社を辞職し,同年2月顧問として富岡光学に入社した。 当時この会社ではF/3.5,f=50mmの写真レンズ・トリプレットを大量に製造していたが,山田が入社してからF/2.8の写真レンズの要求が出ていたので,このレンズの設計を行なった。 また富岡ではトゥワイマンの著書によりレンズおよびプリズムの加工法の研究を行なっていたので,既に述べたように,山田は富岡と協同でこの著書の全部を翻訳し,それを出版発行した, 当時富岡は理研(リコーの前身)光学工業株式会社取締役を兼任していたので,理研の作業会叢に出席していたが,山田も冨岡光学の顧問としてこの会議に出席した。
略年譜
1955年 昭和30年2月1日~1959年 昭和34年11月30日 株式会社富岡光学機械製作所技術顧問 写真レンズの大量生産で当社はわが国一位となった
****************************************************
五藤齋三氏とほぼ同時期に退社し、同じころに会社を起こしたことが分かります。 こちらにも、関係の資料がありました。 https://www.city.ome.tokyo.jp/uploaded/attachment/10086.pdf
ところで、ちょうど昭和32年の光学産業名鑑があって調べましたが、山田幸五郎氏は経営には参加していなかったようです。
|
|
|
Re: 冨岡光学研究所
Abbebe - 2023/06/14(Wed) 16:12 No.13407 |
|
Abbebeです。 2018年に京セラ本体に吸収されて解散、今は存在しないと書いてしまいましたが、 確認したところ、2023年現在、京セラの青梅工場として 球面レンズ、モールド非球面レンズ等含む光学部品関連を生産しているようですね。 レンズ関係光学部品はまだまだ需要は有るようです。 大変失礼いたしました。 |
|
|