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【アストロ光学(株)その5】設立前後について  投稿者: 青色つきこ 投稿日:2018/12/26(Wed) 00:48 No.11524

みなさま、こんばんわ。

アストロ光学(株)の設立直後の広告がありましたので、添付しますねぇ。
左から「月刊教材教具」1955年2月号、続いて3月号、4月号です。
3月号の左下にあるのが、先のスレでエド様が紹介してくださいました。
R-3型です。(D=50mmとなっているのは、誤植です。)
また、アストロ光学(株)の製品の型番ですが、最初のラインナップ(2月号参照)
から、ASTROに因んだものと思われます。
A型 105mm屈折反射
S型 60mm屈折 地上・天体用望遠鏡
T型 50mm屈折 地上・天体用望遠鏡
R型 40mm屈折 天体用望遠鏡
O型 50mm写真望遠鏡

この後、H型、K型、Y型が出てきますが、これも会社の重役の方々に因んでいる
と思います。
H型は堀口氏、K型は小島氏、Y型は谷田貝氏

2月号の掲載文で小島氏は、アストロ光学(株)の経営理念・体制・方針を述べ
ていますが、すごいアイデアマンだと思います。
でも、ここに倒産の遠因があったのかもしれません。
アストロ光学(株)は、18の専門工場を協同経営者に例えていますが、協力工場
という意味合いかもしれませんが、非常に興味深いです。
私的には、高橋製作所ももしかしたら、この時点で鋳物の専門工場として協力し
ていたのではないかと推測されますが、はっきりしません。
高橋喜一郎氏が、昭和30年初めに日本テレスコープから発注を受けて云々と言っ
ております。(先の【アストロ光学(株)】アストロ光学工業にあらず】参照)
日本テレスコープにしてもアストロ光学にしても小島氏が設立しました。
昭和30年初めという点を重視すれば、小島氏のアストロ光学から発注を受けたと
も考えられます。この18の専門工場がどこだったのか、そこから天体望遠鏡のメ
ーカーとして一本立ちしていった工場が、他にもあったかもしれません。

Download:11524_1.pdf11524_1.pdf Download:11524_2.pdf11524_2.pdf Download:11524_3.pdf11524_3.pdf





Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   ロッド - 2018/12/26(Wed) 07:05 No.11525

青色つき子 様
大変貴重な資料ですね!ありがとうございます。
長年の謎が少しずつ解けて行くような気がします。
こちらの画像は昭和44年に買った全天恒星図より。
当時この機種はもう販売されていなかったので、どこのメーカーなのかわかりませんでした。
後年なんとなくアストロっぽいな、と思っていましたが。

多くの協力会社が製品を作る。
今では当然の事ですが、アストロ光学はそのパイオニアだったのですね。
西村とか五藤のような大型望遠鏡メーカーは受注生産ですから、単品生産で手づくりだったと思います。
ネジのような部品は市販品を使ったり、鋳物など外注する事は当然あったはずですが、組織的な大量生産という発想は無かったと思います。

しかし、大量生産ならではの問題点も大いにありますよね。
それは在庫負担です。在庫というのは売れなければ借金と同じです。
作るための資金は銀行から調達しているわけですし、
完売するまでは銀行から借金をしているのと同じ事になりますから、金利負担もちゃんと計算に入れなければなりません。
倉庫を借りるための家賃負担も大きいです。
売れるかどうかわからない品物を「見込み生産」するわけですから大きなリスクです。
そのリスクを協力会社全体で背負うわけです。

この資料にも書かれていますが、輸出だと1000台単位だが、国内販売だと50台そこそこ。
当時は国内市場が成熟していなかったので、輸出に活路を見出すしかありません。輸出が軌道に乗るまでは大変だったと思います。

私たちが子供の頃に国内販売されていた”昔欲しかった望遠鏡”は、輸出で売れ残った物だったかもしれませんね。
昭和30年代に国内販売を想定して作られた望遠鏡は無かったと思われます。
(ごく一部のお金持ちは五藤や西村から買ったでしょうけど)
各メーカーが本格的に国内向けに新製品を投入したのは、70年代からだったと思います。
1ドル360円の時代が終わって、輸出が苦しくなりましたし。





Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   ガラクマ - 2018/12/26(Wed) 23:30 No.11526

garakuma.gif 青色つき子 様

素晴らしい資料ですね。

冨所社長によると、アストロの命名は以下とのことですが、後付感がします。
「アストロも命名も当時のトンチ教室の石黒敬七、藤原○○の面々が「明日を取る」で縁起が良いと
云ったとか、云わないとか。野尻抱影先生も一役買ったとか、なかったとか...」

ロッドさんのご推察どおり戦後ある時期までは、国内向けは少なかったようです。
戦前は国内向けだけではありましたが、面白い資料を見つけグラフ化してみました。





Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   エド - 2018/12/26(Wed) 23:41 No.11527

青色つきこ様 ロッド様 ガラクマ様 &皆様

再度時間を戻してアストロ光学の創業期のスレ、また面白い資料をありがとうございます。

その1955年(S30年)2〜4月の広告ですが、会社はまだ千早町にあり、ちょうど3月に新株発行により増資しています。
“カルテル”というと、あの悪名高い“闇カルテル事件”を思い出してしまいますが、
狭義的には会社の利益を守るため、他社と製品価格や納入数量を調整する、という意味です。
小島氏の言うカルテルはちょっと意味が違って、健全な“協力企業”の意味だと私も思います。
協力企業としての部品メーカー他から適正価格&適正数量で部品を仕入れ、
アストロ光学自体はレンズと完成アセンブリーだけ行うので、社員数が少なくて済む
→よって間接費が少なく、原価そして販価が安く抑えられる、と読めます。
さらに勘ぐれば、その新株を分担して購入させられたことにより、アストロ光学と一蓮托生的な関係になったことを意味しているのかもしれません。
以前書きましたとおり、千早町、千川町界隈には一応まとまった光学会社、部品会社がありました。
前スレで写真をお見せしたメッキ屋さんなどは隣ですから、絶対そのうちの一社と思います。
私が入手した「R3」の雲台ボールのハードクロムメッキはそこで施されたのでしょう。

ところでその頃はまだ、会社のマークが数年前の個人会社時代のものと同じです。

国内の販売数を増やすべく早速月賦販売を始めていますが、面白いのは信販会社ではなく
日本勧業銀行の池袋支店が信用販売を担っていることです。
大手である“日本信販”はS26年創業ですので、この時点で既に世間に浸透していたと思います。
テレビやミシンなどの高額な耐久消費財の拡販に果たした役割は計り知れないと、どこかに書いてありました。
見方をかえれば、勧銀の池袋支店はアストロ光学のメインバンクであり、さらに「入ってくるお金も握っていた」と言えます。

アストロ光学の意味不明な型式のナゾが解けました〜ありがとうございます。
そんなトンチは真面目に考えてもわかるハズありません。





Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   青色つきこ - 2018/12/27(Thu) 00:44 No.11528

ロッド様、ガラクマ様、エド様、みなさま、こんばんわ。

コメント、ありがとうございます。
アストロ光学(株)の18の協力工場を突き止めることができないか、
考えております。推測の域でしかないですけど。

やはり、アストロ光学(株)の近辺にその専門工場があったと考え
るのが妥当でしょうか。
千早町・要町近辺からでしょうか。

1950年代の書物の中には、天体望遠鏡は信用ある会社から買った方
が良いとか、お薦めはここだとか、購入案内的な記載があります。
記事を書いているのは、もちろん、アマチュア天文家の方々です。
後で、ちょっと参考までに載せておきますねぇ。
おもしろいことに、マクロ光学も挙がっていました。残念なのは
、名前だけで詳しいことは記されていません。




Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   ロッド - 2018/12/27(Thu) 08:38 No.11529

皆様おはようございます。
話がいよいよ面白くなってきましたね!

こちらの画像ですが、アストロのT型と共通パーツが使われている、60年代のエイコーの50mm地上望遠鏡です。このサイトの昔のエイコーのカタログに掲載されています。
私が小学校4年生の頃、父親と一緒にカタログを見て「どれにする?」迷った機種です。幸運にも数年前に入手できました。
白い筒のほうはニコルス60mmです。70年代の天文ガイドに広告が出ていました。

両者を組み合わせるとアストロT型ができそうです。
エイコーの回転部軸受はテーパー状になっているので嵌りませんが、ちょっと削れば嵌ります。

あと下に止めネジ2本の鏡筒バンド部分が特徴的ですが、このパーツはうちにある人工衛星観測用望遠鏡にも使われています。
80年代に秋葉原のアトムで、レンズなしのジャンク品を入手しました。

型代節約という事ですね。何と言ってもコスト的には型代が大きいですから。
この鋳物を作っていたのは高橋製作所かも。
昭和30年頃に作られた型を元に、いろんな機種に使われていたので経済的です。
これを設計したのは小島修介氏でしょうか。
すべてのルーツは黎明期のアストロ光学にあったのかもしれませんね。

あと地理的な立地条件は。今日以上に重要だったと思います。狭い範囲に集まっていた。
当時はまだ自家用車を持っている人は限られていましたから、
とくに資金的に苦しい零細企業が多い光学業界ですから、資材の運搬はリヤカーだったのではないでしょうか?
実際、リヤカーに望遠鏡や双眼鏡を積んで売り歩いたという苦労話を聞いたことがありました。

しかし、天体望遠鏡は双眼鏡やカメラに比べると10倍以上の大きさですから、運搬や保管場所の確保には苦労しただろうと思います。
昔の物は皆、木箱入りですが、当時はダンボール箱が無かったのでしょうか?
ユニトロンなんかは10cmF15屈赤も複数の木箱に分かれて収納されていました。

調べてみました。ダンボールは1950年代からだそうです。
https://zendanren.or.jp/content/history/history1951.html
これを境に「木箱屋」という商売もすたれていったのですね。

スイフト社の広告ですが、ここで昔見つけた資料だったと思います。
真ん中の経緯台はR3型に外観は似ています。
口径は明記されていませんが、40X,60という事ですから60mmらしいです。
左側は50mmで700mm f. l.
これは高橋の50mm屈赤と同じスペックです。
しかし50mmに232Xというのは暴挙ですね(笑)

接眼部と対物部の金物は私のアストロR-51と同じです。
赤道儀も形は似ていますが、よく見るとこれは微動装置がありません。しかし目盛環が付いています。国内では見かけない珍しい品物ですが、R-51のパーツをそのまま使えば作れそうです。
右側のは接眼部と赤道儀がエイコー77mmに似ていますが、対物部は国内では見られない形で、原田光次郎氏の望遠鏡とまさに同じです。

追記です。
別売アクセサリーの所にトリプレーン6mmが掲載されています!
国内では珍しかったTPですが、たぶん大量に輸出されていたのですね。





Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   エド - 2018/12/28(Fri) 00:54 No.11530

青色つきこさま ロッド様 ガラクマ様 皆様

私も18の協力工場について、ちょっと考えました。
1955年(S30年)というと、ロッドさんおっしゃるようにまだ自動車(ライトバン)は普及以前で、
もっぱらリアカーを頑丈な自転車で引いていた時代と思います。
リアカーをスーパーカブで引くのが流行ったのはもっと後です。(我々の子供時代ですね)
軽自動車のライトバンタイプが各社一斉に発売されたのが1961年です。
そうすると、鋳物屋→旋盤屋→塗装屋→アストロ光学 などと回ってくることを考えれば、
それらは半径5キロ以内が望ましく、せいぜい頑張っても10キロというところと思います。
もちろん近ければ近いほど便利です。追加工とかよくありますし、雨の日もありますし。。。
そして5キロなら、千早町から板橋の光学エリアをほとんどカバーしてしまいます。
ですので、話しは千早町界隈に限定されないかもしれません。
板橋もそうですが、千早町界隈の光学関係のリストから、双眼鏡関係を除くと数はグッと少なくなります。

 千葉光学  豊・西池袋3−22
 藤井光学梶@豊・南長崎5−9−11
 滑ヨ島光学目盛工業所 豊・千早町2−5−7
 (有)千早光学製作所 豊・千早町2−31
 (有)清水レンズ製作所 豊・千早町2−18
 白鉱精機梶@豊・千早町2−9

*アストロ後にできた会社も混じっている可能性あります*

塗装屋、旋盤屋、木工屋、木箱屋ほかについてはハローページ的資料が必要かもしれません。

私はやはり今度あの隣のメッキ屋に突撃して聞いてこようと思います。(来年早々くらいの予定)

ところでロッドさまに聞きたいことがあります(その雪景色がイイですね!)
@エイコーやケンコーなどの量産していたメーカーでは、望遠鏡の生産ロットは1ロット何台くらいだったのでしょうか?
A在庫で苦労されたようですが、問屋というか、一次代理店みたいなものは無かったのでしょうか?
町のメガネ屋は直接メーカーに1台づつ発注していたのでしょうか?

宜しくお願いいたします。




Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   ロッド - 2018/12/28(Fri) 02:31 No.11531

エド様
私は営業畑で、しかも中途半端な知識です。
その範囲でお答えします。

問屋は私の時代(80年代)はもうあまり機能していませんでした。半分はメーカー直販でした。
文具問屋とか理科教材店などはありました。一番売れるはずのホームセンターへの売り込みは敷居が高く厳しかったです。

全部平等の卸値にしたいところですが、昔からの商習慣があり実際には不平等でトラブルが多かったです。
とくにカメラ業界は某大規模店の安売りが価格破壊をリードしていて、各界への影響が大変でした。
カメラ店はすごい安売り競争で、25%引きは当たり前。利益がたったの3%でも売るようなダンピング競争でしたから、地方の小規模店は大変です。
売った後でバックマージンとか集金値引きとかの裏技、さらには人材派遣(店員として派遣)により人件費で支払うとか・・・
すごい世界でした。今はもっと厳しい世界だと思います。
しかし、昭和40年頃の地方の販売店では定価販売がほとんどでしたね。
昭和50年代に大都市に専業店ができて安売りをするようになり、状況が変わりました。

昭和40年代までは、たとえば五藤光学は大手の内田洋行が代理店になっていましたし、その頃はメーカーは技術開発とか製造に力点を置いて、、、そういうこともできたでしょうが、80年代に至っては大変厳しい環境になりました。
メーカーが問屋(商社)の機能も兼ねるようになりました。
望遠鏡はもはや儲かる産業ではなくなりました。

メーカーにとって在庫負担は一番の悩みです
望遠鏡メーカーは小規模企業ばかりですから、販売店のたとえばメガネ店とかカメラ店には力関係では負けてしまう場合があるのですよ。
80年代の話ですが、在庫負担は小売店に押し付けるわけにはいかず、メーカー側が負担している場合が多かったです。
つまり売れ残ったら返品になって、メーカーが負担を負いそれの検品と再生に大変な人件費がかかります。不良品でもないのに返品なんてひどい・・・
販売力がないのは商店の責任なのに。

商談は非常に厳しい力関係です。
夏休みやクリスマスセールの広告ちらしを打つ場合にも、費用はメーカーと折半で、
という話になってしまいますが、それではなかなか採算がとれません。
1回数十万円の折込ちらしの広告費用を、望遠鏡の販売だけではまかないきれません。
そんな関係でも長年お付き合いしている販売店ですが、採算がとれなくてもゆる〜い人間関係で、なんとか綱渡り状態で続いています。
それを断ってしまったら、地方のお店には天体望遠鏡が無くなってしまいます!
利益度外視、社会的使命だと思って望遠鏡メーカーの社員は頑張っています。
とにかく、販売店様は神様なのですよ。

メーカー本社に直接買いに来たお客様にも、近くの小売店に買いに行っていただきました。
小売店に利益をもたらす、これが商売繁盛の基本なんです。メーカーの販売力には限界がありますから。
皆さんで協力して売っていただき、皆さんに利益をもたらす、それが社会全体に認知される本当に良い製品なのだという考えです。
品質・性能だけでなく、価格やアフターサービスや、そういうソフト的な物すべて込みでの”製品の価値”だという認識です。

町のメガネ店などでは10万円以上の天体望遠鏡はもちろん、500円のルーペでも1個ずつメーカーから仕入れていました。
送料のほうが高くなってしまう場合も多いです。
それでも何十年と良好な関係を保ってきました。

私がいた会社はそういう方針でしたが、たとえば地方の小さな販売店まで浸透していたエイコーなんかはもっと厳しい姿勢で商売をやっていたかもしれません。
これも昔々の話です・・・
今はどうしているのか、わかりません。

結論から言えば、昔の高橋製作所のようなメーカー直販が、私は一番理想的と思います。
あまりたくさんは売れないでしょうが、堅実な会社経営ができると思います。

1ロットどのくらいの数量?
これはわかりません。
60年代のアストロ光学などでは月産1500台とか言っていましたが、真実はわかりません。

製造や仕入れの事は極秘というわけではなかったと思いますが、社員でも知ることはできませんでした。
どこの下請けで作っているのか?
仕入れ担当者のみが知っている情報でした。
私の会社では高級機は自社生産でしたが、廉価な機種は他から仕入れていたようです。

80年代当時、円高でしたが輸出が好調でした。
日本製品が高品質だという評価が定着したので、高価でも売れたんだと思います。
やはり小島修介氏らの時代の先輩たちが、良い仕事をしてくれたおかげで評価が高まったのだと思います。

国内販売と違って輸出は、まとまった数が大量に売れて、返品がないのがメリットです。




Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   エド - 2018/12/28(Fri) 22:25 No.11532

ロッド様 皆様

早速の回答、ありがとうございました。
業界にいらした方のみ知る、貴重な裏事情を聞かせていただき、予想以上に望遠鏡販売が厳しかったことがわかりました。

我々が好んで通ったヨ○バシやビッ○カメラの功罪もわかりました。
それにしても望遠鏡メーカーの立場が弱いのは、やはりあまり売れないからなんでしょうね。
キックバックや売れ残りの返品なんて、、、
国内販売がそのような状態では輸出に頼るほかなかったでしょう。




Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   ロッド - 2018/12/28(Fri) 23:25 No.11533

エド様、こんばんは。
嫌な思い出も今になると懐かしいです。
望遠鏡メーカーだけでなく、カメラメーカーも軒並み経営難に陥ってしまったのは、量販店が掟破りの安売り合戦を繰り広げたせいだと思います。
自分で自分の首を締めたような形です。
やはり販売価格は値崩れさせてはいけません。
地方のメガネ店では同じ品物でも定価販売なんですから、お客様にとって不公平です。
ジャンク市もいけませんねぇ。
キズものや展示汚れ品など安易に出してしまうと、新品・良品の販売数が減ってしまいます。

中間マージンを省いて薄利多売という事ですが、問屋を省いてメーカー直で、しかも卸値は値切りに値切る。
表向きは地方のカメラ店と同じ卸値なんですが、裏でいろんな特別な事をやっていました。そうでないと、あんな安値では売れません。
でも、どこの業界もそうだと思います。これは商人として当たり前の事なんです。
商人はあの手この手ですごい知恵を使い、シタタカです。
大手カメラメーカーから販売員が派遣されていましたが、弱小の望遠鏡メーカーも同じようにしないといけません。
量販店の仕事はすごくきつく、不慣れなため勝手がわからず、これが一番大変でした。
これがきっかけで辞めて行った人も多かったです。

小島修介氏の時代、古き良き時代でしたね。
アストロの冨所さんも、しみじみ語っていました。
「昔は良く売れたなぁ・・・」
銀座の松島眼鏡店ではLN6Eなど高額商品が飛ぶように売れたそうです。
眼鏡業界は値引きなしの定価販売が原則。
それでも売れたのは”宇宙時代”のブームと、銀座という土地柄でしょうか。
月々1500台なんて夢のような話ですよ。(これは輸出の話だったと思いますが)




Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   青色つきこ - 2018/12/29(Sat) 08:38 No.11534

みなさまこんにちわ。

ロッド様の書き込み、たいへん参考になります。
また、エド様、ロッド様のやりとりからから、教えられることが多々ありました。

天体望遠鏡の輸出については、検査機関の検品を受け、その上で輸出していたのだ
と思いますが、その後は、直接、海外の取引先に送り出したものなのでしょうか。
それとも、商社が介在して、一旦、商社が預かった上で、商社が海外の取引先に送
り出したものなのでしょうか。考えると、どういう仕組みだったのか、疑問に思え
てきて、しっくりきません。

小島氏達が、アストロ光学(株)を立ち上げるにあたっても、海外への販路という
か、取引先を探しておかなければならなかったかと、思いますが。
どういう、つてをたどって、販路を確保したのかも、疑問です。
旭光学はキャノンより敷地を買い受け、新たに本社・工場を建て、1953年頃より望
遠鏡の輸出を始めています。この時期、小島氏は、旭光学に勤務されていたので、
そのつてを活用したのかも知れません。
もしかしたら、1955年頃からの旭光学の天体望遠鏡の一部は、アストロ光学が納め
ていたとも考えられなくもないかなぁ?

 アストロ光学 → (旭光学工業へ納品) → 旭光学商事が海外の取引先に輸出

アストロ光学が、直接、海外へ輸出することが、可能だったのでしょうか。
(日本精光研究所を横目にして考えればいいのでしょうか)

旭光学が望遠鏡(天体望遠鏡・地上用望遠鏡、ライフルスコープもかなぁ)を作り、
輸出をはじめた頃の資料はないものでしょうか。
旭光学の社史は、みれないものでしょうか。
後は、スペースアートの第一人者のI氏にお聞きするしかないと思います。
I氏は、小島氏とも関係をお持ちのようなので、是非、小島氏についてのお話しを
お聞きしたいところなのですが.............。

鈴木幸三郎さんという方が、結構、小島氏が書いた記事の中に出てこられます。
旭光学工業 天体部に所属していた方で、1953年頃から設計に着手し始めた六寸
屈折赤道儀(海上保安庁の勝浦水路観測所に1955年頃に納品)で月面・月食の写真、
月面スケッチをとっておられます。旭光学の特許にも名前が出てきます。
「天界」にも寄稿しています。ご存命ならば、お話しをお伺いしたいものです。

アストロ光学の前段階として、旭光学についても、調査しないといけないと感じて
います。

谷田貝氏については、私も五藤光学に関係のある方と思っていました。
先のガラクマ様の書き込みから、五藤光学とは関係ないとのことなので、そこも
考えを改めて、取り組まないといけないのかなぁ。
谷田貝氏は、アストロ光学の設立にあたっては、ご自身と旭光学から2名、堀口氏
と他に云々と語られています。(小島氏は除いてという意味なのか、文脈からはちょ
っと読み取れないところです)
この旭光学から2名というのが、小島氏を含んでなのか、含まないでなのか。
いずれにしても、旭光学の流れの方が複数名おり、旭光学との関係がどのようなも
のだったのかも気になります。
旭光学を円満に退職したのか、どうかでも違ってきますし。

天体望遠鏡を取り扱う商社としては、相互実業という会社があり、1959年9月の米国
スイフト社の日本支店の設立に関わっています。スイフト社の日本支店は、相互実業
の中にありました。
小島氏の日本テレスコープ、その後は高橋製作所がスイフト社に納品していますが、
この相互実業について、まだよくわかりません。(わかっていることは、先のスレに
書いています。)
アストロ光学は、こことも関係があったのかも知れません。
アストロ光学を退いた小島氏はマクロ光学工業に取締役として就いています。
マクロ光学工業についても、まだ情報が少なくて、わからないことだらけです。
エド様の会社登記調査からわかったこと、月刊教材教具の広告からわかったこと、
それから中野繁氏が1958年の「科学画報」で、推薦しているメーカーの一つに挙がっ
ていること。
草下英明によれば、草下氏、小島氏、中野氏は野尻門下の三羽ガラスと言われていた
そうです。中野氏は、まだ無名に近い設立早々のマクロ光学工業をあえて取り上げた
とも考えられます。

みなさまの情報をお待ちしています。

長文になってしまいましたが、アストロ光学の夜明けについても調査したいです。




Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   ロッド - 2018/12/29(Sat) 09:43 No.11535

青色つきこ様
私の高校時代からの友人で、中国語が堪能で住友商事の中国駐在員をしていた人がいます。80年代にマツダの自動車の輸出の仕事をしていました。
当時は外国との通信はテレックスでした。盛んにテレックスでやりとりをしていたようです。

私がいた会社の輸出部門は、専務と秘書の2人だけで切り盛りしていました。秘書の方はたぶん元大手商社の社員。盛んにテレックスを打っていました。
やはり大手商社で身につけた独自のノウハウがないと輸出の仕事はできないと思います。
私が入社するとき専務に輸出の仕事をしたいと言ったら、君には無理だと言われました。

毎年1回ヨーロッパへ出かけ、フォトラマ(巨大な見本市です)へ出品して商談をしていました。
外部の商社を通さずに、自前で取引をしていたので効率が良かったと思います。

しかし、小島修介氏はどうだったでしょうか?
外国へ行ったという話はあまり聞きませんし、輸出は専門の商社にまかせていたのではないでしょうか。
私は五藤光学ではなく、短期間いた旭光学での人間関係が大きな役割を果たしていたのでは?と思います。
旭光学の情報が一番重要なカギを握っていると思います。
谷田貝氏は元は旭光学の関係者ではないでしょうか?
天体望遠鏡の対物レンズとはまったく違う、カメラレンズや双眼鏡のアイピースなどの製造ノウハウ、これは旭光学の得意分野です。
アストロ光学を技術的な面でも、営業・販売面でも支えていたのは旭光学から来た人材だったかもしれません。

旭光学の天体望遠鏡はビクセンや高橋とは一線を画し、どちらかと言えばアストロやケンコーの派閥のように思えます。
たしかに昭和40年代の製品はアストロに似ている物がありますね。

この前ご紹介された双眼鏡産業の歴史の資料には、板橋界隈の光学メーカーの輸出を仲介する商社がいくつかあったようですから、その線ですね。




Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   - 2018/12/29(Sat) 12:32 No.11536

既出の情報が多いですが
戦後の望遠鏡業界と双眼鏡輸出の歴史 - 一般社団法人日本望遠鏡工業会
www.jtmas.jp/data/pdf/postwar_industry.pdf
P8にS26の輸出協会立ち上げ時の話題


東京瓦斯電氣工業株式會社製のプリズム双眼鏡 ... - 国立科学博物館
https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20181229114203.pdf?id=ART0009202286
巻末の年表に大正8年からの旭光学の動きが追跡できます。ここに出ている企業名の数も凄そう


http://www.uforeader.com/v1/se/E02298_0050AVHN_4_0.html
こっちは株屋のHPで紹介されていた旭光学の沿革


http://www.ricoh-imaging.co.jp/japan/pentax/pentaxhistory/course/
本家の歴史だが、双眼鏡や望遠鏡はちょっと・・・


1950・60年代の双眼鏡工業とアメリカ市場 ... - 大阪大学リポジトリ
https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/57113/oep063_1_151.pdf
鎌倉光機と旭光学の仲とか、組合設立時の話とか


戦後復興期における中小企業の生産ネットワーク化と輸出競争力
http://portal.dl.saga-u.ac.jp/bitstream/123456789/118081/2/fukushima_200903.pdf
小西六の下請けレンズ工場だった旭光学の話など。


日本カメラ産業における輸出マーケティング史
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/45103/1/10158404.pdf
日本のカメラのマーケティングの話だが事業規模など小規模が多かったとあり、双眼鏡と近い感じ


日本の軽工業と輸出検査制度
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sisj1986/2001/16/2001_16_83/_pdf/-char/ja
双眼鏡の検査の話題

零細工業の存立形態
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjhg1948/14/4/14_4_262/_pdf
板橋区の分布図が凄い 巻末の参照資料とかも参考となるか


会社の図書館で調べてもキャノンの社史とかは見つかるけど、ペンタが無かった・・・




Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   ガラクマ - 2018/12/30(Sun) 23:05 No.11540

garakuma.gif 原さんの板橋の分布図、凄いですね。
私もそこそこ調べてますが、知りませんでした。

輸出産業を調べて行くと、輸出望遠鏡のロゴとか、相手先業者を調べないといけません。
海外のマニアも日本の情報を知りたがっております。
SWIFTのスレは、Cloudynightsで何回もたっておりますが、リストを作ろうとしているスレがありまして、1960年には500台前後が輸出されたことが分かります。1961年には少し分からなくなります。
https://www.cloudynights.com/topic/527598-swift-registry-reboot/

ロゴも2種類です。





Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   青色つきこ - 2018/12/31(Mon) 12:55 No.11543

ガラクマ様、原様、ロッド様、エド様、みなさま、こんにちわ。

情報提供、ありがとうございます。

別スレで、ロッド様がマクロ光学の工場に触れられておりますが、
大田区池上には大森総合の工場もあります。小島氏の死後でしょうが、同じ池上
ですが、ちょっと離れますが、アストロ光学工業を離れた小森幸正氏の日本アス
トロドームがあります。
マクロ光学は、スイフト社に輸出していたと思います。
マクロ光学の製品は、鏡筒へのファインダーの取付が独特です。

書きかけですが、1958年の望遠鏡メーカーの表を付けときます。
それから、1968年のアストロ光学工業のカタログには、ところど
ころに特許。実用新案・意匠登録とか記されていますが、実際に
みつけれたのは1つだけでした。
出したけど、却下された? 私の探し方が適切でなかった?。
考案者の市原様は、市原光学と関係あるのかな?
出願は1958年12月で、アストロ光学工業も新しいものを出してき
たのでしょうか。

それでは、みなさま、良いお年をお迎えください。

Download:11543_3.pdf11543_3.pdf





Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   ロッド - 2018/12/31(Mon) 17:10 No.11544

原さんご紹介の資料はとても面白くて、夢中で読みました。ありがとうございます。

やはり日本の光学産業の黎明期の頃は、皆さん活気に溢れていて夢がありましたね!

青色つきこ様
「様」と「さん」を使い分けているのは、直接お会いしたことがある親しい方は「さん」という事で。

アストロ光学の昔の事を調べると、日本の天体望遠鏡産業の歴史そのもので感慨深いです。
あと、アイピースの話は無限大に面白いですね。

マクロ光学のファインダー脚ですが、60年代の天文と気象を見ると清原光学のカセグレンにも使われています。

こちらの画像ですが、反射もやはりアストロが良いという事で。
しかしスイフト社の広告には反射はないですね。

木辺成磨氏の本に、LN-4Eの前身の10cm反赤が掲載されています。
ピラー脚になる前には伸縮脚だったのでしょうか?
私が知る限りではこういう機種はありませんでした。
木辺氏が特別に入手した輸出用でしょうか?

※昔のLN-4Eには、木辺鏡が装備された特別製の物が存在しました。

昭和50年頃のLN-4Tは直脚でした。
私のLN-4Tを木辺氏のと同じように伸縮脚で組んでみました。なかなか美しい姿です。
R-61Dの三脚を流用です。
鏡筒は未塗装、主鏡は112mmに交換してあります。もちろんアストロの純正パーツです。

それでは皆様、良いお年を。
来る新年もアストロ光学をご愛顧のほど、宜しくお願い申し上げます。





Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   エド - 2018/12/31(Mon) 18:24 No.11545

青色つきこ様 ロッド様 ガラクマ様 皆様

確かに「特許情報プラットフォーム」でその番号を検索しても出てこないですね。
カタログの誤植だと思います。意匠登録のほうはケタ数自体を受け付けないです。。。

特許申請は中小企業にとって非常な負担です。現在の費用を参考まで↓
http://www.nakamura-pat.com/pdf/ryoukin.pdf#search=%27%E7%89%B9%E8%A8%B1+%E7%B6%AD%E6%8C%81%E8%B2%BB%E7%94%A8%27
費用対効果という点で、よほどすごい発明(市場を占有できる)でもないかぎり望遠鏡の世界で特許申請し、それを毎年維持するのは無意味ともいえます。

話はちょっとセコイ話ですが、中小企業は申請までして公報が公開されたら、それ以上申請作業を進めません。
それでも他社さんはその公報を読んでいますが、その後申請を取下げたかどうかまではすぐにはわかりませんので、
短期間であるにせよ、他社への抑止力になる訳です。
さらにずるい人は公報の番号をちゃっかりカタログに載せたりとか、、、何か言われたら「申請中」と言うでしょう。

今年1年、“アストロ光学研究”のお手伝いができてとても楽しかったです。
偶然きれいな“R3”が舞い込んできたり。。。
そしてアストロ光学繁盛期の部分はかなり実態が見えてきましたが、設立期と解散後については来年のテーマでしょうか。

特に古い情報をお持ちの方の投稿を切に望みます。(PCの環境に無ければ、若い方へ伝えてください)
ではまた来年も宜しくお願いいたします。




Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   - 2019/01/01(Tue) 11:40 No.11546

実用新案と意匠登録ですが、意匠登録は最初に S30- とか、昭和何年かの番号をつけるルールです。1968年=昭和43年ですので、43〜40年を見ましたが登録に至っていないのが何件かあり、未登録は見えないようです。該当するものもありませんでした。特許も意匠も出願後の対応が必要ですが、判っていない人が出すだけ出して未登録で終わるケースは数多いです。
「〜願」と書かれている二件はそのままだったのかも。




Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   青色つきこ - 2019/01/03(Thu) 09:59 No.11547

みなさま、あけましておめでとうございます。

小島修介氏がアストロ光学(株)時代に出願した実用新案を添付しておきます。
昭和31年1月17日に出願して、公告されたのが2年後の昭和33年7月31日です。
そのため、出願者は、マクロ光学工業(株)になっています。

Cloudy Nightsで、千早町時代に製造・輸出されたS-5型を見つけましたので
そちらも添付しておきます。

スイフト社が販売していた望遠鏡は、50mmはf=700mm、60mmはf=810mm、77mmは
f=1000mmなので、アストロ光学(株)のよりもfが短くなっています。
これは、日本テレスコープの設計なのか、高橋製作所の設計によるのか。
日本製の望遠鏡をスイフト社が扱うようになったのは、Cloudy Nightsのスイ
フトの表からは1960年でしょうか。
なお、スイフト社の日本支店ができたのは1959年です。

Cloudy Nightsでスイフト社の77mmに小島月面図が付属していたという記載が
あります。1960年の初めに小島氏の日本テレスコープから輸出されたものかも
.........。(スイフト社への輸出が小島氏によって行われたのか、そのまえに
小島氏が急死し、高橋製作所の高橋喜一郎氏が替わってスイフト社への最初の
輸出をおこなったのか)

疑問が湧いて、調べることは尽きません。

Download:11547_1.pdf11547_1.pdf





Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   ガラクマ - 2019/01/03(Thu) 12:24 No.11548

garakuma.gif 皆様。明けましておめでとうございます。
 例のごとく、お話が多岐に渡り、全ての方面にフォローできませんので、本年もみなさんご自由にお極めください。よろしくお願いいたします。

Sky&Telescopeの初版から2000年代までが掲載されているDVDを持っておりますが、うまくメニューページが動作せず、ひとつづつファイルをページを開けないといけないので、たかなか大変です。

それで少し調べましたが、アストロらしき製品の広告は1957年あたり(要追加確認)から”Lafyette”ブランドで広告が載っておりますが、SWIFTは1962年からです。
広告を添付します。





Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   ロッド - 2019/01/03(Thu) 13:53 No.11549

皆様、本年もどうぞ宜しくお願いします。

↑のPDFファイルの赤道儀は60年代のミザールアポロ型に似ています。ニューアポロの初期型までは同じでした。
つまり鏡筒バンドは閉じたリングなので、鏡筒の取り外しができない。
バランス調節は2本の止めねじを緩めて、鏡筒をスライドさせます。
どうしても取り外したい場合には対物レンズを外します。

人工衛星用望遠鏡も同じ構造でした。画像はそのパーツを利用して改良した私のカートン光学の経緯台です。
ビクセンの60年代のジェミニエーターやエクスターも同じ構造でした。
しかしこれらは鏡筒を外すのに不便なので廃止になりましたね。
三脚をグルリと反転させて格納するのは良いアイデアですが、これも現在は採用されていませんね。

これは昭和33年。
ということは亡くなられる2年前です。この短い期間にすごく多くのお仕事をされたのでしょう。
五藤斉三氏は「酒に溺れて死んだ」とか散々な事を書いていますが、今で言う過労死ではなかったでしょうか?

マクロ光学ですが、
最初のアストロ光学を設立したものの、経営がうまく行かなかったのでマクロ光学に軸足を移したのでしょう。
そして輸出に本腰を入れようと頑張った。
マクロ光学の輸出部門を独立させて日本テレスコープ社を設立した。
スイフト社で販売されていた製品はアストロとは一線を画し、エイコーに酷似しているのも何かそういう事情があったものと思います。
そうなるとアストロとエイコーの関係よりも、高橋とエイコーの関係を調査する必要がありますね。
(冨所氏はエイコーとは関係ないと言っていました)
輸出用は別仕様という事で別製したのだと思います。一部ダブっている部分もありますが。

しかしわざわざfの違うレンズを作るのはコスト的に無駄です。
同じfなら同じ研磨皿、同じニュートン原器で製造できるのに。
ただ、50/700は後に60/700(R-63)になったでしょうし、60/810は800(ペンタックス)と同じでしょう。10mmぐらいの誤差は許容範囲内ですから、表示だけ微妙に変えるのは別のメーカーの製品であることをアピールするための常套手段です。
ちなみに、60年代にアストロは60/910ですがエイコーは60/900と表示されています。高橋は65/900でした。
77/1000は後にミザール68/1000や五藤65/1000になったかもしれません。

豊島区千早町の刻印があるアストロS-5は貴重品ですね!
画像の清原光学カセグレンにはマクロ光学と良く似たファインダーが付いています。





Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   ロッド - 2019/01/03(Thu) 16:53 No.11550

私も高橋喜一郎氏の手記は読みましたが、
小島氏が急死されたときにはパニックだったのではないでしょうか?
つまり大量に作った鋳物製品がデッドストックになり、代金回収できないとなれば経営危機に陥ってしまいます。

それで半製品を売れる状態に仕上げる事が急務となり、各方面を走り回ってなんとか目鼻をつけたのでしょう。
それこそ必死だったと思います。
喜一郎氏は熱心な天文マニアでしたが、けっして好きで引き受けた仕事ではなかったと思います。

このときのご苦労が、後にTS式天体望遠鏡という一流ブランドに成長する根っこの所だったのかと思うと、感慨深いです。
エイコーやミザールの天体望遠鏡販売も、このときに本格的に始動したのではないでしょうか?
そのへんの所を調査する手段はないものでしょうか?
ミザール(日野金属)も元々は金属材料卸だったらしいですからね。
この問題にからんでいた可能性は十分にあります。




Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   青色つきこ - 2019/01/03(Thu) 23:25 No.11551

みなさま、こんばんわ。

日野金属産業(株)が望遠鏡メーカーになった経緯は「天文と気象」に載っていますので
抜粋ですが、参考までに添付しておきますねぇ。

小島修介氏が亡くなったことについては、五藤斉三氏や野尻抱影氏が文章を残しています。
野尻氏は死因については触れておりませんが、草下英明氏は、「小島氏は2,3の光学会社
(現在のアストロ光学の前身)を設立、超人的な働きの最中過労で倒れて1960年、不帰の客
となってしまった。」と記しています。
(「野尻抱影先生を偲ぶ」『天文と気象』1978年1月号より)





Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   ガラクマ - 2019/01/03(Thu) 23:38 No.11552

garakuma.gif SWIFTの831や839の画像を見ておりましたら、1960年と1961年以降(1961年の831の画像が見当たりません)と銘板のロゴが違います。
1960年はマクロ光学だったでしょうが、1961年以降の○にAMAは高橋製作所だとは思いますが、決め手となる資料がありません。

ちなみに、以前どこかで記載しましたが、キャップにTTTを円形に配したマークの77oFl=1000oのエイコーっぽいのは、東邦光学マークとのことです。

カートンの初期のカタログでアストロと同じ望遠鏡があるのを、カートンさんに問い合わせのメールを送りましたが、返信がございません。





Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   青色つきこ - 2019/01/05(Sat) 18:51 No.11553

みなさま、こんばんわ。
○にAMAのマークですが、Cloudy NightsではAVAと記されていたりしますが、
双眼鏡をかたちどっているように見えるのは私だけでしょうか。
Cloudy Nightsでは、高橋製作所と言っていますが......。
それだったら、最初から高橋製作所もTSのマークにしておけば、良かったのに。
もしかして、日本テレスコープのマークなのかも。
二本の望遠鏡に、みえませんか。二本テレスコープ。

しかし、日本テレスコープは、実態が見えてきません。

まずは、旭光学の望遠鏡ジュピター (1958年に商標登録されています。)と六寸望
遠鏡 (先のスレでも触れてありますが、勝浦水路観測所に納品されています。)
の情報を探ってみたいと思っています。

古スコ広場の過去スレには、アストロ光学(株)につながる情報もありましたので
改めて読み直してみたいとも思っています。

【Danchyka】  投稿者: みどりのKORO 投稿日:2008/10/01(Wed) 10:17 No.3584

ですが、これはアストロ光学(アストロ光学工業かも)の自作用セット R-6 でした。
みどりのKORO 様 (Danchykaの写真)、ガラクマ様 (アストロ光学のカタログ)、お
借りして貼っておきます。





Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   ロッド - 2019/01/05(Sat) 22:51 No.11554

青色つきこ様
昔の製品は4cm屈折でも本格的な光軸調整装置付だったのですね!
レンズも最高級のようで、一切手抜きが見られません。
素晴らしいと思います。
当時のアマチュアの手の届く口径が4cmだったのでしょうか。6cmは高嶺の花・・・

ガラクマさん、このベンツマーク(画像)のようなのが、Tが3個で東邦光学とは知りませんでした。
東邦光学はネット検索しても出て来ません。
同名の会社がキャノンの下請けからスタートして昭和56年創業で、その後(株)エイブルと改名されてさいたま市にありますが、昭和28年創業の東邦光学とはまったく別でしょう。

当時の住所を調べると、昭和50年代に高橋製作所の営業所があった板橋本町の近くです。

マクロ光学と東邦光学は、アストロ以上に関連性が高いと思います。
アストロ光学工業の製品は、小島氏の設計を基盤にしてはいますが小島氏の手を離れてまったく別の人たちによって発展してきたようですね。

小島氏はマクロ光学のほうに軸足を移し、輸出に本腰を入れようと新しい生産ラインを立ち上げ、本格的に稼働し始めた矢先に急逝した。
その後を継いだのが高橋製作所と東邦光学、エイコーだったと思います。
アストロ光学工業は、まったく別の独自路線を歩んでいたのではないでしょうか?

日本テレスコープ社という社名は高橋喜一郎氏が書いていますが、実際には存在しなかったかもしれません。
つまり小島修介氏が生前に語っていた”設立予定”の話だったかも。
いや、半分稼働し始めた所で、小島氏の急逝により頓挫した。喜一郎氏の手記からはそのように読み取ることもできます。

マクロ光学のマークが輸出品に見られるのは興味深いですし、AMAのマークは何を意味するのか?
しかし、製品の外観はほとんど同じですね。つまり同じラインで製造されたが、担当者(担当会社)が変わった。

当時の高橋製作所はまだ鋳物専業工場だったでしょうし、喜一郎氏もまだ若く30歳前後だったので、お父様が社長だったはず。
会社の経営にどの程度の権限を持っておられたか疑問です。
自社マークを付けて輸出するほどの力があったでしょうか?
ただ、縁の下の力持ちであったことは確かだと思います。

山本製作所も輸出が主体だったそうですから、一枚噛んでいるような気がします。
所在地は板橋区大原町で高橋製作所のすぐ近くです。
製品の外観は初期のアストロやマクロ光学によく似ています。
まったく同じと思われる6cm屈経もあります。(この画像)
f=800mm(810mm)というのは輸出仕様ですね。
昭和43年にエイコーからも同じ物が販売されていました。しかしこれはf=910mmでした。
デパート等で実物をよく見かけました。

ただ、調べようにも情報がほとんどありません。
現在板橋区内に同名の会社が2社ありますが、別の会社だと思います。
昔この掲示板に、昔の山本製作所を直接訪問して工場見学したという人の書き込みがありました。
木造で油の滲みた床だったそうですから、赤道儀など組み立てていたのだと思います。





Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   エド - 2019/01/06(Sun) 00:42 No.11555

青色つきこ様 ロッド様 ガラクマ様 皆様

確かにその“AMA”マークは望遠鏡を背中合わせに並べた図案にも見えます。
それで二本テレスコープとはまたすごいトンチですが、小島氏ならありえる話と思います。
ガラクマさんが提示された銘板を見ると、マクロ光学時代のものはアルマイト仕上げで、
“AMA”マークのものはエッチング銘板です。(凸凹があって高級感があります)
高橋製作所の初期の製品も、これに良く似た楕円形のエッチング銘板を使用していましたね。

今の私は、断片的な情報を知れば知るほど疑問が出てきて頭が混乱していますが、
ひとつだけハッキリしたのは、マクロ光学が解散した理由として、スイフト社が仕入先を小島氏の日本テレスコープ社に変更したことが原因だと思います。
しかし、小島氏がマクロ光学を辞して独立した理由も、スイフト社が鞍替えした理由もまだわかりません。
この小島氏の晩年の不可解な行動が、後に世界の“タカハシ”を生むキッカケになったのですから面白いです。




Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   ガラクマ - 2019/01/06(Sun) 20:13 No.11556

garakuma.gif 二本テレスコープとは、思いつきませんでした。

昔から放置のページがありますが、高橋製作所で買ったというSWIFT831には銘板がありませんでした。
外して売ったのか、無でSWIFTに納入していたのか分かりません。
http://yumarin7.sakura.ne.jp/swts831.html

東邦光学が入っているリストを添付します。個人情報もあるので、一部消してではありますが。
ちなみにJupiterの写真も添付します。最初からの機種ではありますが、古い年式のものかどうかが不明です。手掛かりになりませんねえ〜。





Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   青色つきこ - 2019/01/09(Wed) 00:23 No.11558

みなさま、こんばんわ。

「検査年報」工業品検査所(通商産業省)という資料があります。輸出用の光学機
器は双眼鏡、顕微鏡が主として検査対象となっていて、天体望遠鏡については地
上用望遠鏡やライフルスコープとともに単眼鏡として扱わていたりします。天体
望遠鏡という括りがないです。
でも、ところどころに天体望遠鏡についての記載がありますので拾ってみました。
昭和30年(1955年)前半ににアストロ光学が輸出を開始し、天体望遠鏡が飛躍的
に輸出されたのかと思っておりましたが、文面からは、そこまでは読み取ませ
んでした。
ガラクマ様が載せてくれた卓上型のジュピターですが、ラックピニオン式で片側
のみのハンドルが特徴的ですよねぇ。


昭和30年度(1955)〜昭和40年度(1965)版を調べてみました。

昭和30年度 P-22
(4)望遠鏡
望遠鏡は相変えず小型望遠鏡が圧倒的で、約31,140本、天体用望遠鏡は539本、
ライフルスコープが約5,105本で昨年度に対してそれ程の増減は見られなかった。
天体望遠鏡が安定していることと、価格の点で今後相当伸びる可能性がある。

昭和31年度 P-22
屈折望遠鏡の検査件数 東京地区 5件

昭和32年度 P-27
屈折望遠鏡の検査件数 東京地区 18件
 
昭和32年度 P-28
(3)屈折望遠鏡(単眼鏡)
輸出量は漸増の傾向にあり、新設計により機種も多様となって来たので、従来
の輸出標準に大幅の改正を加え実情に合うものとした。なお33年2月から輸出
検査法の施行に伴い(財)日本望遠鏡検査協会において輸出検査を行うことにな
った。

昭和34年度 P-40
単眼鏡については天体用その他について漸増の程度であるが、地上(正立用レ
ンズを用いたもの)の小型のものが一時的に輸出量が多く注目を浴びた。

昭和35年度 P-66
次に単眼鏡の本年度中指定検査機関が表示を行った数量は39万1千個であり、
これも34年度の44万6千個に対して12.5%の減となった。これは34年中に正立レ
ンズを用いた地上用(対物レンズ径が30mm程度のもの)が異常に多かったためで
、その他のものは増加している。殊にガンブームに刺激されたためか射撃照準
用のものが急増しているのが注目される。

昭和37年度 P-34
前年度における双眼鏡、望遠鏡関係の輸出は価格の不安定、生産過剰等の原因
により伸び悩みの傾向が見られ、倒産したメーカーもあらわれて、いろいろの
問題を残したが、本年度にはいって、数量的にも、価格的にも安定をみたこと
は、誠によろこばしい。

昭和38年度 P-33
過去数年間、双眼鏡、望遠鏡関係の輸出は価格の不安定、生産過剰等の原因
により伸び悩みの傾向が見られ、倒産したメーカーもあらわれて、いろいろの
問題を残したが、前年度あたりから安定しはじめ本年度も引き続き堅実な伸長
を続け前年度に比し数量的にみて双眼鏡にあっては14.2%、地上用単眼望遠鏡
では34.3%、天体用単眼望遠鏡7.2%、射撃照準用単眼望遠鏡31.7%となった。
特に単眼望遠鏡の伸びが著しかった。




Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   ロッド - 2019/01/09(Wed) 14:35 No.11559

青色つきこ様
いつも素晴らしい情報収集力ですね!
少しずつ謎が解けてきた感じがしますが、しかしなかなか難しいですね。

こちらの画像は昭和43年のカートン光学の広告です。
48カ国に輸出というのは信じがたい話ですが、本当の事だったのでしょう。

同じ頃のアストロの広告。東洋一だそうです。
この機種は84mmのLN3EかLN3Tですね。ということは、この3年から5年ぐらい前の写真だと思います。
山本製作所も相当数を長期間に渡って輸出していたらしいですが、いつ頃の事だったのでしょう?

日本精光が輸出を開始したのは?
あと、謎の多い吉祥寺の国際光学ですが、天文ガイドにあれだけ大々的な広告を掲載していたのですから、資金力はあったはず。
つまり輸出で多くの利益を出していたはずです。
ここは日本精光に近い会社だと思います。

当然どこかの商社が輸出を代行していたと思いますが、
その商社名がわかれば詳しい資料が入手できるかも?





Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   ロッド - 2019/01/09(Wed) 18:43 No.11560

よく考えてみたら、
48カ国というのが引っかかります。
北米市場が一番の巨大市場なので「その他大勢」に手を出しても効率が悪い。
アストロ、日本精光は北米市場中心だったと思います。
つまり米国だけで十分な商売ができたはずです。

70年代の天文ガイドにフランスで愛用されている日本製望遠鏡が紹介されていましたが、東和製の11cm反赤でした。
同じ商社がアストロやカートンと、商売敵である東和の製品を並行して取り扱う事はないでしょうから、別の商社による輸出だと思います。

この前の資料を見ると、愛和商会という会社が昭和17年に日暮里で創業されていて、望遠鏡・双眼鏡と書かれています。
この会社、昭和40年代までKINGというブランドで東和の製品を主に取り扱っていました。
しかし国内販売はほとんどなく、東和やキング商会やケンコー、エイコーなどにまかせていたようです。
愛和商会は輸出専業の商社だったのかもしれません。

北米が得意な商社とヨーロッパが得意な、複数の商社があったはず。

一方、アストロとカートンは共通の機種を販売するなど、商売敵ではなかったようなので、輸出する商社は同一だったかもしれません。
それで、北米はアストロ、その他の国々はカートンという住み分けをしたのかもしれません。




Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   ガラクマ - 2019/01/09(Wed) 20:11 No.11561

garakuma.gif 青色つきこさん、次々よく探してきますね。感心いたします。
可能でしたら、折角なので資料として残していただきたいものです。このサイトは、私が元気な間は存続させたいと思っておりますので、メモとしてお使いください。

 ロッドさん。一つの想像では、カートンさんはエドモンドさんとかの海外、米国の業者さんに卸して、その業者さんが世界48ヵ国に販売チャンネルを持っていたということではないでしょうか。
もっと簡単に、その業者さんがSky&Telescope等の広告を載せて注文を受け付ける。Sky&Telescopeが48ヵ国に販売されているだけで、そう言っていても嘘ではないかもしれません。

 初めて天体望遠鏡を輸出した。というのは「天文と気象」1951(昭和26)年9月号、日本精光研究所の広告にありました。ただ、戦前の日本光学や五藤光学、ダウエル等も英文カタログがあったので輸出していたかもしれませんが、分かりません。

日本精光研究所については、Sky&Telescope側を確認すると1951年年11月の広告に初めて出たようです。その後、サーっと眺めて、こりゃ日本製だとすぐ分かる相手先ブランド(Unitron除く)の広告を添付します。





Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   もも - 2019/01/09(Wed) 21:01 No.11562

みなさま。
こんばんわ、ももで〜す。
輸出じゃなく「進出」という文字ですね〜笑




Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   ロッド - 2019/01/09(Wed) 22:20 No.11563

もも様
こんばんワンU^ェ^U ワン! ▼・。・▼」」」」ーワンワン!! =*^-^*=
ああ、ナルホドね。
進出ですね。
カートンの広告にはひとヒネリありましたね(^_^;)

という事は輸出はしていなかったという事?
カートン光学の社員が、ポケットに自社のオペラグラス入れて、48カ国へ海外旅行に行っただけだったのか(爆)
ありがとうございます。よ〜くわかりましたm(_ _)m




Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   エド - 2019/01/10(Thu) 00:19 No.11564

青色つきこ様 ロッド様 ガラクマ様 皆様

いつも貴重な資料の紹介、ありがとうございます。
その「検査年報」昭和30年度の天体望遠鏡の輸出台数が539台というのは貴重かつリアルなデータです。
(スポッティングスコープを除いた純粋な天体望遠鏡のデータは本当に貴重です!)
1955年ですから、そのうちの過半が日本精光の台数と思いますが、
30台/月でも360台になりますし、4センチの最廉価版でも1台とカウントしているでしょうから、ビジネス的にはまだまだ伸びしろがある感じです。

ガラクマさんが提示された広告に、“驚くほど安い”と書いてあるのが印象的ですが、
以前私もユニトロンの米国カタログの値段を見たとき、安いナ〜と思いました。
しかし、$=360円として当時の日本の諸物価と比較すると、決してダンピングではなく、むしろ高額な感じです。

天体望遠鏡の広告もハッタリというか、微妙なニュアンスの誇大広告が散見されますネ。
ダウエルのオリオン望遠鏡の販売台数ほどではないにせよ、ロッド様のように純朴な方が引っ掛ってしまうような表現は良くないですね〜
ロッド様が提示されたアストロ光学工業の広告文の「輸出の80%が当社の製品」というのもどうなんでしょうかね〜
そのズラっと望遠鏡を並べた写真を使ったり、少し誇大気味な文面を使うのも、小島氏の“手法”ですね。
製品だけでなく、そういうソフト的なところまで後世に影響を残されたなんて。。。




Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   ロッド - 2019/01/15(Tue) 23:38 No.11573

エド様、私も同感です。
大量に輸出しているとか、大量に売れているとかいう広告を見て、「それじゃ、ボクも真似して買おう」
そんな事思う人がどれだけいたでしょうか?

私はアストロ光学の広告には少々違和感を感じます。
高橋や五藤のような質実剛健、地味なカタいイメージのほうがむしろ売れたんじゃないか?と思うんです。
ソフト路線でアストロのお姉ちゃんや子供たちを出演させて大衆路線を狙ったのは、販売上はマイナスだったように思います。

つまり、アストロの製品を実際に使ってみると、きわめて丁寧に真面目に作られた物で、フィーリングとしては高橋に近い物なんです。
80年代以降のアストロは小島氏の遺産が薄れて品質低下したのか?
と思いきや、私が買ったLN赤道儀(KONUS POLER SYSTEMという特別仕様?です)は驚いた事に500mmほぼノータッチガイドできそうなほどの追尾精度です!
私は高橋も何台か持っていますが、アストロのほうが軽便で使いやすいのでいつも愛用しています。
宣伝のしかた次第ではもっともっと売れたはずです。





Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   青色つきこ - 2019/01/16(Wed) 23:53 No.11575

みなさま様、こんばんわ。

望遠鏡を並べて大量輸出をアピールするのは、日本精光研究所がより早いですよ。
1953年11月の「月刊教材教具」に載った広告です。
日本精光は、輸出に重きを置いていたようで、国内向けは二の次、三の次です。
日本精光はユナイテッド・トレーディング・カンパニーに望遠鏡の優秀性を認め
られて、ユナイテッド・トレーディング・カンパニーが一手に取り扱いしたよう
です。このころは、ポラレックスです。

国内向けにより安価に提供しだしたのは、やはり小島氏のアストロ光学です。
やっぱり、気になるトリプレーンですが、吉田正太郎氏の「光学機器大全」に
載っている照準器のアイピースは、ケーニヒのハイ・アイです。
ライフルスコープなどの1940〜60年代のUSパテントを見ると、ケーニヒのハイ
・アイのアイピースが基本になっています。ライフルスコープもこの時期、
大量に輸出されており、それが、アストロ光学からトリプレーンの名称で販売
されたのだと思います。なんで、トリプレーンという名前をつけたのでしょうか。
トリ=三枚、プレーン=平原、平坦  3枚レンズで平坦なアイピース
鳥打ちに使うライフルの照準器だから、鳥打ち遊び・競技でとり・プレー・ん
やっぱり気になります。





Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   エド - 2019/01/17(Thu) 00:34 No.11576

青色つきこ様 皆様

おお〜日本精光もそんな広告写真を使っていたなんて(なんかフラミンゴの大群という趣ですね)。
そういえば米国でのユニトロンの広告でも、ズラッと並べた写真を使っていました。
好きなんですね、そういうのが。。。まあ、売るほどあるのでご心配なくと。

偶然、本日、エドモンドのRKEが届きました。
RKEはその赤丸のレンズと全く同じレンズ構成ですが、どのレンズ面にも平面は使っていないんです。
カメラレンズでは3枚構成なら“トリプレット”と呼んだりしますが、ひょっとしてプレーン=飛行機?
ハイアイですので、戦闘機の照準望遠鏡の接眼レンズで使用?
RKEもハイアイで、いんげん豆効果も無いのでこの用途にはうってつけです。
半分冗談ですが、、、





Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   ロッド - 2019/01/17(Thu) 10:00 No.11577

エド様
珍しい品物の入手おめでとうございます。
早速分解するのがすごい!
インゲン豆効果がなくて覗きやすいのが一番ですね。
RKEはリバースドケルナーの略でしょうか。スペルを間違えるといけないのでカタカナにしました。
ケルナーをKでなくKeと刻印した物もたまに見かけますね。
低倍率用がメインのようですが、高橋のような高倍率用の6mmは珍しい存在ですね。

トリプレーンの解説記事を見つけました。
天体望遠鏡自作相談室(天ガ’76)にありました。
回答者は川村さん、さすがによくご存知ですね。
Nikonの5mmがトリプレーン(ケーニヒ)だとすると、覗きやすさを重視した高倍率用として優れているのでしょうね。
こういったシンプルなレンズ構成だとスッキリ見えて気分が良いですが、後年のスマイスレンズ採用のハイアイではその点イマイチな感じがします。

青色つきこ様
日本精光にもがぜん興味が湧いて来ました。
小島修介氏とは別路線だったのでしょう。
すごい力量の会社だったのですね。
昔々に工場見学に行った人の話を聞きましたが、レンズ研磨の現場も見せてもらったとかで、本格派です!
戦前戦中には光学兵器の仕事で技量を上げたんだろう、と想像できます。
戦後に起業して一気に素晴らしい発展を遂げたのでしょうね。本当に素晴らしい事です。

アストロのR-74がズラリと並んだ写真も見つけました。
冨所さんが月産1500台と言ったのはこれの事です。
昭和45年変光星図の広告です。
R-74は三越デパートで実物を見かけたような。
しかし国内ではあまり売れなかったらしく(カッコ悪い)
ほとんど見かけませんが海外サイトでは良く見かけます。
これ、一番欲しい望遠鏡です。
見るからに貧弱ですが「微動だにしない!」という宣伝文句でした。(本当かなぁ?)
アイピースは5個も付属していて、なんとOr4で300倍という暴挙!!
気になるAH40も付属していました。

アストロが大量に輸出する写真は、昭和45年頃の広告に出て来ます。
しかし三脚が丸型でなく角型なので旧型です。
少し前の写真だったとして、昭和40年頃に大量に輸出されたんじゃないでしょうか?
小島修介氏が亡くなられた後です。

このように何十台も並べて写真を撮るのは、それだけでかなり大変な手間です。
撮影のためだけにそんな無駄な労力を?
(合成写真ではないか?という話もあったので、よく見てみましたが一台ごと姿勢が違います)
たぶん、出荷前に全品組み立ててみて一台ずつ検査していたのではないでしょうか?
量産品では抜き取り検査が一般的なのに、とても良心的だと思います。
私が入手した他社製品では部品が不足して組み立てできなかったり、鏡筒バンドが不良でちゃんと固定できない物など、不良品が結構な高率でありました。
冨田氏のテスト記事でもそういう不良が多かったですね。





Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   ガラクマ - 2019/01/17(Thu) 21:22 No.11578

garakuma.gif  戦後、こつ然と出てきたのは、カンコー、ミネルヴァ光学、日本精光研究所ですが、カンコーはまだしも他に二社の素性が全く分かりません。
小島修介さんの次に控えているパンドラの箱はたくさんありますね。

RKEは一時持っていたのですが無くして、呑さんに先日頂きました。
ただ、RKEってデビッド・ランク(David Rank)さんが、エドモンドの為に作ったとのことで、
”Rank Kellner Eyepiece”とか"Rank, Kaspereit, Erfle"とかの略らしいです。知りませんでした。
https://en.wikipedia.org/wiki/Eyepiece
まあ、"Reversed Kellner Eyepiece”のほうが分かりやすいですね。

ちょっとばらけてますが、古さだけなら五藤の1インチ屈折のこの写真、古いです。





Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   ロッド - 2019/01/18(Fri) 08:44 No.11579

ガラクマさん、よくこんな古い写真発掘してきましたね!
昭和44年の五藤光学の広告に書いてあったのはまさにこれ!!
今初めて見ました。ありがとうございます。

こんな小さな望遠鏡でも、当時は高価な物だったのでしょう。
手抜きがなくしっかり作り込まれている感じですね。





Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   青色つきこ - 2019/01/19(Sat) 10:03 No.11580

みなさま、こんにちわ。

ガラクマ様のNo.11561にあるUNITED TRAEING CO.広告ですが、これは日本精光研究所です。
この時期、UNITED TRAEING CO.が、日本精光研究所の製品を一手に取り扱っていた?
日本精光研究所がユニトロン・ブランドで輸出するまでは、ポラレックス・ブランドと考
えますが、どうなんでしょうか。
小島氏も、小林栄道氏の日本精光研究所の海外輸出を見ていたでしょうし、両者を比較し
ながら、国産天体望遠鏡史を考えてみるのも面白いと思っています。
国内の広告と海外の広告の比較も楽しいです。

ロッド様が、見つけてくれました川村氏のトリプレーンの解説、掲載ありがとうございま
す。ネットでTP-6mmを分解した記載がありますが、気になるのは、レンズの大きさです。
本来は眼レンズ、もっと大きです。
この辺は、出版の関係なのでしょうか、と思ってしまいます。




Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   ロッド - 2019/01/19(Sat) 13:08 No.11581

青色つきこ様
小島修介氏の次は小林栄道氏の研究ですね。
しかし小島氏と違うのは、国内での影響力が小さいということです。

本に掲載されている図は正確ではないと思います。
私のTPには平面はありません。
エド様のRKEとほとんど同じです。

眼レンズの大きさは重要だと思います。
TPは視野レンズと同径というのが特徴ですね。
そういう観点で、この3個を比較してみると、
カートンももしかしてTPかもしれません。いやプローセルかな。
これは最近入手した物で、見えはとても良いです。
しかも見掛け視界が50度もあるのは珍しいです。
しかしアイレリーフは短いです。
今まで見たことがない珍しい品です。





Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   青色つきこ - 2019/01/19(Sat) 19:51 No.11582

みなさま、こんばんわ。

小島氏が、旭光学を辞めて、アストロ光学(株)を立ち上げる経緯については、残念ながら
依然として不明です。
そこで、戦前・戦中の小島氏について概略をまとめておきます。

1932年(昭和7年)   味噌問屋で年期奉公(北海道)、野尻抱影氏に手紙を出し始める。
          
 ※野尻氏の依頼で、アイヌ学者のバチェラー氏からアイヌの星の方言を聞き取って、野
  尻氏に報告するようになります。

1934年(昭和9年)   五藤光学研究所に入所。

 
1936年(昭和11年)  東亜天文学会遊星面課 伊達英太郎氏に木星・土星・月面の観測
          を報告。「天界」誌上に、五藤光学の小島修介氏として紹介される。

 ※五藤斉三氏は、東亜天文学会の地方委員であり、「天界」に五藤光学研究所の広告を
  載せている。この時期、小島氏本人は会費を支払していないと思われます。

1940年(昭和15年)  東亜天文学会の月面課長は荒木氏から伊達氏に替わります。
          伊達氏は、自身、既に遊星面課長であり、当面の間、月面課長も兼
          ねることになったようです。
          戦時中ということもありましたが、月面観測については、人材がい
          なかったようです。月面課長候補の1人に小島氏が挙げられていま
          す。
          小島氏は、自身では望遠鏡をもっていなく、五藤光学内の望遠鏡を
          使用して観測をされていたのでしょう。また、陸軍に召集され、
          相模野の陸軍兵器学校に在学していましたので、月面課長は無理で
          しょう。

 ※小島氏は終戦で満州から帰還します。五藤光学に復帰し、五藤斉三氏を助けて製品設
  計・天文普及に尽力します。
  また、東亜天文学会月面課の再興に尽力し、月面課幹事になっています。
  組織上は、上から 課長 - 幹事 - 課員 となります。
  幹事は、課長の推薦です。

 ※小島氏について生い立ちについては、野尻抱影「故小島修介君」『天界』1960年11月
  が、一番信頼がおける。傍証もかなりとれたので。
  なお、五藤斉三「天文夜話」の小島氏の記載については、傍証が得られなく、使用す
  るには注意が必要で、現状では参考に留めざるを得ません。

 ※小島氏の観測スケッチを見れるとは、思いもよりませんでした。
  小島氏自身、愛用の望遠鏡を持っていたのか、とても気になっているところです。


ロッド様、カートンOr-5mmは、カニ目レンチでレンズ格納部分を取り出せるように2ケ所
 スリットが入っていますか。カートンOr-5mmは、アッベではないのでしょうか。
 ビクセンのものは、ネットの情報では2ケ所スリットが入っているものと入っていないもの
 があるそうです。私が持っているものも、そうです。入っているのがアッベ、入っていな
 いものがプローセル、言われてみれば、そのように思えます。





Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   - 2019/01/19(Sat) 22:21 No.11583

TPですが、手元のペンタックスB6もTP構成です。分解すると目側はカシメで固定されていましたが単レンズ、もう一方が貼り合わせです。レンズ径はB6が若干小さく、反射像を見る限り曲率はミザールと異なるようです。目側の空気面の反射は近いのですが、貼り合わせ〜内側面の反射像の大きさが違って見えますが、微妙です。作りはミザール=タカハシ=3Bと、ペンタは異なります。材質も真鍮で、カシメも使っているので部品工場は違いそうです。





Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   ロッド - 2019/01/20(Sun) 00:36 No.11584

カートンOr5分解してみました。
視野レンズ前面が凹、眼レンズ後面が平面の、プローセル型でした。
トリプレーンの改良型と見ることができそうですね。
高性能なのも納得です。
レンズ径は6mmもあり、2枚とも同径でした。

原さんの旭光学B6mm、他とはまったく別製なのですね。大量生産しないと採算ベースに乗らないはずですが、他分野からの流用品でしょうか?
旭光学の6cm屈経がそんなに大量に売れたとは思えません。大量に輸出されていた?

金具の構造を見ると五藤光学と似ています。
その他大勢とは違う、高級仕様ですね。
旭光学のプライドが感じられる逸品です。
今はこういう品がなくなってしまったのは寂しいです。

青色つきこ様
小島修介氏の資料、本当に素晴らしいです!
五藤斉三氏の天文夜話のCDは私も持っていますが、小島氏の評価については人によって見方が違うので、客観的・中立的な見方をここで確立するのは大切な作業だと思います。

月面スケッチ、水彩画ですか!
コツコツと手間をかけて丹念に仕上げたのでしょうね。
月面図もオリジナルの完全手書きだったのでしょう。大変貴重な物なのに、出版社で原版を処分してしまったとは本当に残念です。

昔の五藤光学の広告にも素晴らしいスケッチが掲載されていました。
小島修介氏の伝統を立派に受け継いだ方が、社内にもいらっしゃったのですね。

※アイピースの図、矢印の向きが普通とは逆でした。この矢印は対物側を指しています。





Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   青色つきこ - 2019/01/20(Sun) 12:10 No.11585

みなさま、こんにちわ。

カートンOr-5mmは、非対称のプローセルですか。分解してみないと、わかりませんねぇ。
カートンのアイピースは、秘密があって、おもしろそうです。
カートンは、顕微鏡も作ってますし、そっちとの関係もあるのでしょうか。

旭光学のB-6mmと、ミザール等のTP-6mmは、似て非なるもの、
でも、Bの意味は、やっぱり、わからないままですねぇ。
アストロ光学のTP-6mmが、一番、気になりますが、今でも、どこかに残っていないもので
しょうか。(先のエド様のR-3型のように)




Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   - 2019/01/21(Mon) 21:09 No.11586

http://atom.lylver.org/AstroSurf/Design%20Optique/Oculaires/Oculari.pdf
図面が出ていてうれしいけど、TPの図面が間違っている・・・汗・・・




Re: 【アストロ光学(株)その5】設立前後について   青色つきこ - 2019/01/21(Mon) 22:30 No.11587

みなさま、こんばんわ。

原様、こんなのあったんですか。びっくりしました。
USパテントの登録番号も付いているので、増々、調べられます。
ありがとうございます。
【アストロ光学(株)その5】設立前後 も長くなったので、
そろそろ切り替えでしょうか。
[管理者] 切替、よろしくお願いいたします。


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