04740637
古スコ広場 
天体望遠鏡、特に古スコの為の掲示板ですが、まあ適当にどうぞ

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【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず  投稿者: ガラクマ 投稿日:2017/06/28(Wed) 23:11 No.10666
garakuma.gif さて、いよいよ本掲示板の本丸的話題。
小島修介氏の(?)アストロ光学のお話に行きます。

 現在のアストロ光学工業鰍ヘ1958年に生まれたという事です
http://www7a.biglobe.ne.jp/~astro-opt/kaisyagaiyou.html        (HPの”アストロ工学”は間違い?)
                               
その前に、アストロ光学鰍ェあり、それが倒産してから引き継いだのが現アストロ光学工業と理解しております。

 その時代のカタログのコピーを手に入れました。その一部にこのような記載が・・
「アストロ光学は、永年の経験に富む熟練技術者の集団で、独自なきわめて優秀な工作規模と機能を持っている50数社の専門工場が、カルテル的結合をもって組織されている特殊な天体望遠鏡専門メーカーです」

ゆっくり攻め込んで調べたいものです。
徐々に集めてきた情報を公開していきますので、推理していきましょう。

[管理者修正]





Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   (^0^)コメト - 2017/06/28(Wed) 23:33 No.10667   HomePage

utyuujin1.gif ガラクマさん、皆さんこんばんは

いよいよ牙城に切り込む訳で。。(^0^;
思い出深いメーカでもあり、未だ解けない謎も多かろうと思うのでつ。

LN-3Eにしかセットされていないと思っていた簡易赤道儀と思しき
物を赤経台として今回新発見、成程こう言うのは応用もある訳で。。(^0^8

その後、天体望遠鏡作りはやらなくなったのですが、結構に教材として
方々の学校にありましたから、望遠鏡作りやめて惜しい気がします。(~0~;




Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   もも - 2017/06/29(Thu) 00:40 No.10668

ガラクマさま、皆様。
こんばんわ、ももで〜す。
彗星捜索者の定番であったアストロのエルフレ32mmは、
憧れの的でした。




Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   エド - 2017/06/29(Thu) 01:03 No.10669

ガラクマさま 皆さま こんばんは。。。
アストロ光学は会社自体がまだ存続しているので、ダウエルやミネルバほどの”謎”ではないと認識しております。
五藤斉三氏もどこかに書いてらしたように、労働争議的ゴタゴタというか、クーデター失敗によってある意味「仕方なく」誕生した会社と思います。
ただ、昔はそういう類の謀反というか寝返りというか独立は結構流行っていたようで、特殊な事件とは思っていません。
例えば日野自動車はいすゞ自動車の日野工場が独立したものですし、ストッキングで有名な厚木ナイロンは片倉工業の厚木工場が独立して興きた会社です。
どちらも本体を凌駕するような一流会社になりましたが。。。
当時のアストロ光学は池袋の北西(約1キロ)に位置し、最寄り駅は東上線の下板橋になりますか。
板橋の光学工場エリアへは電車に乗らなくても、自転車で5〜10分程度の距離です。
それで協力工場がたくさんありますヨ、という宣伝をしているのでしょう。
昔のアストロのカタログにはペンタックスSP?SV?がよく写っています。
しかし、アストロのカタログ写真は今見ると、ちょっと”切り貼りトリック”が多くて怪しい部分もありますが、ニッチな天体望遠鏡ビジネスはやはり難しいんでしょうネ。
私も実は隠れアストロ光学ファンで、R76や13センチニュートンとか大切に使用しております。




Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   ガラクマ - 2017/06/29(Thu) 07:03 No.10670

garakuma.gif 皆様。え〜と、私が詳しく知りたいのは、現アストロ光学工業ではなく、旧のアストロ光学でありまして、こちらのほうの情報で、信用できるものが見つかっていないことです。
詳しくは、今晩でも述べます。




Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   青色つきこ - 2017/06/29(Thu) 07:13 No.10671

ガラクマさま、みなさん、こんにちは。
学生の頃に神田の古本屋で買った「天文と気象」にメーカー訪問の連載があり、それがちょうど
アストロ光学工業で、将来は大口径のシュミットカセグレンを作りたいと言うようなことが書かれていた記憶があります。1960年代後半から1970年代初め頃の号だったような。




Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   ガラクマ - 2017/06/29(Thu) 21:47 No.10672

garakuma.gif 不思議思ったことを、説明します。

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まず、

@「天文夜話」五藤斎三自伝 P68
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こんな具合で、私は息子のように扱ってきたつもりであったにかかわらず、昭和30年、私が戦後初めてアメリカに行き、ニューヨークを回って二ヶ月目に帰って来たら、その間、誰かにそそのかされたにしろ、自分が首謀者となり、幹部社員四、五人とスクラムを組み工場の乗っ取りを考え、私に月四万円を払うから、工場を我々に明け渡してくれとの要求を突き付けてきた。
         ( 中 略 )
小島氏は去ってアストロ光学を創設し、堀口氏はレンズ研磨工場を創った。共に資本家が付いた訳である。アストロ光学はその後五年位に大いに伸び、急に金回りが良くなったため、小島氏は酒色に沈淪するようになった。そして昭和三十五年春、四十五歳の若さで死んだ。野尻抱影先生もこの若死を惜しまれたものです。


つぎに

A天体望遠鏡小史 斎藤彰氏(自筆書)       +写真添付

小島氏は五藤光学研究所に居たが、その後独立しアストロ・サービス・センターというブローカー的な会社を設立した。
然し、この会社はすぐダメになり、別にアストロ光学を作り本格的な天体望遠鏡んの生産を始めた。小島修介氏はこの世界では大変な功労者である。但し当時はもちろん知る由はない。

小島修輔氏(1)
アストロ光学を設立した小島修輔氏は、小型天体望遠鏡の開発のパイオニアであった。現在各社で採用しているバンドによる鏡筒の保持方法、三角板を利用して三脚の安定度を強化する方法、フレキシブルを利用しての微動調整方法等、その他小島氏のアイデアによる小型望遠鏡への貢献はおおきなものがある。現在のメーカー各社は大なり小なり小島氏の遺産で食っていると断言してもよい程である。
 その小島氏も開発には、常に最大限の働きをしたが、会社の経営者としての才能はほとんどゼロに等しかったという。

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注目してもらいたのは、写真の郵便物の日付けです。1951年4月29日、1951年は昭和26年です。
五藤斎三氏は昭和30年にクーデターを起こしでていったということでしたが、矛盾します。


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他に、参考になる記述

B続日本アマチュア天文史 P291 富田弘一郎氏

五藤にいた小島修介は旭光学に移り、その後、独立してアストロ光学工業を創業したが、惜しくも夭折、同社は保積善太郎らの努力で、各種小型望遠鏡や附属品を販売、屈折20cm、反射30cmまでの赤道儀を供給し、天体観測用ドームに多くの実績を残している。小島の没後、同僚関係者が別れて、いくつかの光学会社を創り、小島の流れを汲む望遠鏡が広がった。これらに用いられている対物レンズは、静岡県三島の堀口恵助の堀口光学によるものが多い。

C星の手帳 1980冬 高橋喜一郎氏

当社がTS式のブランド名で、天体望遠鏡を送り出したのは、昭和42年10月のことで、65o屈折赤道儀が初陣を切って市販された。その屈赤の設計者は、当時著名なアマチュア天文家であった故小島修介氏で、同氏が設立し、社長でもあった、日本テレスコープ社で製造され、米国のスイフト社に輸出されていた。当社は、そのころ鋳造業者として日本テレスコープ社より受注していた。昭和30年初めのことで、20年以上前のことである。
 そのころは現在のような宇宙ブームはなく、天文ファンの数も少なく、私は小島氏から、作った望遠鏡が売れないので、氏自身が担ぎ売りに小売店回りをした苦労話を聞かされた。話にははるかに遠大な計画もあったが、惜しくも小島氏が急逝し、会社はストップしてしまった。そこで弊社が、望遠鏡の発注先であったスイフト社の依頼をうけ、残っている半製品を整理し、完成品にした。それが望遠鏡業界に踏み込む発端になろうとは夢想もしなかった。・・・・・・・・

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 全部、微妙に一致しておりません。





Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   (^0^)コメト - 2017/06/29(Thu) 22:55 No.10673   HomePage

utyuujin1.gif ガラクマさん、皆さん皆さんこんばんは

ガラクマさん、この大本山に切り込むと続きをカキコしたくて
今日は仕事も手に付かなかったんちゃう?(苦笑)

日本テレスコープ社の下りは小島修介氏から始まる系列会社の正に歴史、
保積善太郎氏が編集者だった”地人書館””恒星社”にも影響され、堀口光学に
繫がのですネ。(^0^;

事実は少し違うかもしれませんが、当時の受注高を思うと、アマチュアを
取り込んで売るには時代を先取りし過ぎた気もします。(^0^8
池袋の社屋を遠い記憶から掘り起こすと印象が薄く、小さいのが当時の
望遠鏡メーカであって、以後の発展はトピックを持っていたとこだけ。。

それにしても天体望遠鏡を開拓して行ったご先祖様には若くして他界した
方が多く、反射の中村要氏、屈折の小島修介氏、誠に惜しい。。苦労アリ。




Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   ガラクマ - 2017/06/29(Thu) 23:50 No.10674

garakuma.gif いや〜。コメトさん。そうかも。
時が満ちてないと思いながら、皆さんの前に表すことで整理できる場合が多いので、のスタートです。

実は先日上野でみなさんにお会いする前、この件で国会図書館で調べものをしておりました。
うちの博物館では、ちょうどその時期の資料、例えば「科学画報」「科学知識」「子供の科学」「天文と気象」などが不足しておりまして、時間がないので、とりあえず」「天文と気象」を見てきました。
1951年に初めて?「アストロ・サービス・センター」の広告が載り、その後一回。
調べたい1950-1958年全てをチェックできませんでしたが、アストロ・サービス・センターの存在は分かりました。斎藤彰氏は、この広告を見てすぐ手紙を出されたのと思います。

小島修介氏の1951-1960年頃の転戦の状況は

五藤光学退社⇒(旭光学入社?⇒)アストロ・サービス・センター設立?⇒アストロ光学梶ヒ*倒産*   
その後、日本テレスコープ社設立?
アストロ光学工業には、どうかかわっていたか?

分からないことがたくさんです。





Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   エド - 2017/06/29(Thu) 23:50 No.10675

ガラクマさま 丁寧な説明をありがとうございます。
確かに小島氏発が「アストロサービスセンター」として発した添付の書簡の日付と、
小島氏が五藤光学を退社したとする昭和30年という年が逆になっていますネ。
ちょっと調べたのですが、GHQによる占領は昭和27年4月のサンフランシスコ講和条約まで行われ、その間は日本人がアメリカへ行くにはGHQの承認が必要だった筈です。
つまり米国側から召喚されでもしない限り一般人がアメリカに行くことはできなかったと想像します。
五藤斉三氏の昭和30年にアメリカの視察から帰ってきたら、、、という記憶は正しいと思います。
一方、1951年という年は朝鮮戦争の真っ只中で、戦争景気が始まった頃です。
もうひとつのヒントである、その書簡の住所(中野区中町18番)は、
当時大変な賑わいを見せていた”鍋屋横丁”通称ナベヨコと言っていたすぐ北側の商店街あたりです。
新宿を青梅街道沿いに走っていた都電も、ナベヨコまでは複線でしたが、その先終点の荻窪までは単線だったと言います。
当時、富士銀行本店の行員だった私のオフクロは、そのネベヨコ支店(今でもあります)まで用事があってお使いに行かされたから良く知っていたと言っていました。
ちなみに、昭和30年のオフクロの給料が1万円だったといいますので、五藤氏に提示された4万円という”役員手当”は銀行のオネエチャン4人分の給料と同額だったわけで、安くはない金額です。
しかし、そこが小島氏の住所だとしたら、世田谷の五藤光学には通勤がとても不便です。
1951年の回転印が間違いなのか?小島氏が五藤時代に”内職”的に個人で始めた幽霊会社か?
もう少し推理してみます。。。




Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   青色つきこ - 2017/06/29(Thu) 23:57 No.10676

ガラクマさま、みなさん、こんばんわ。
小島修介氏といえば、私的には「小島月面図」です。

天文月報のホームページでバックナンバーを見ると、1957年12月号に五藤光学研究所と並んでアストロ光学の広告が載っています。
(「世紀の人工衛星の観測がアストロのMT型超広角望遠鏡群により行われています」)
1958年2月号と3月号は、広告の内容は同じですが、3月号はアストロ光学工業になっています。
社名は代ったけど、売っているものは同じ、住所も電話番号も同じ。




Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   (^0^)コメト - 2017/06/30(Fri) 00:05 No.10677   HomePage

utyuujin1.gif ガラクマさん、皆さんこんばんは

いや〜アストロ・サービス・センターもそうですが、この雑誌広告を見て
カンコーでシュミットカメラを作っていたのですかネー(^0^?
日本初のシュミットカメラは、確か富山天文台の倉谷寛氏によって作られた
と思ってました。プロ用を除いて。。

また、あの計算尺のヘンミが星座早見を売っていたなんて、初耳です。(^0^v
。。とか、塩谷式の天体運行原理説明器とは?。。あの惑星運行器みたいのかな?
益々古スコにのめり込む自分を感じますデス。

青色つきこさん、日本初の人工衛星観測用の望遠鏡(ムーンウォッチ)はアストロ製
でしたか。。!確かあれにはEr32oが付いていたような。。
なら、以後に単独でEr32oがアストロから販売されたのが分かるようです。(^0^;




Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   エド - 2017/06/30(Fri) 00:55 No.10678

皆さん同時にカキコされていたようで、注目の話題となっているようです。。。
その書簡にある”天象普及協会”というのもまた怪しいです。
ネットで検索などしても当然情報は出てきません。
小島氏の個人協会ということでしょうか?
くどいようですが、当時の都電の運行系統からしても、現在の東京の通勤事情からしても、
世田谷に通勤する人間が鍋横界隈に借家(賃貸)することは現実的ではないです。
そうすると、ひょっとして小島氏の奥様のご実家がそこにあったと考えるのが自然ではあります。
図らずも会社を辞して収入がなくなれば、奥さんの実家に身を寄せるという行為は小樽から身ひとつで出てきた小島氏としては自然な成り行きと想像できます。




Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   ガラクマ - 2017/06/30(Fri) 07:25 No.10679

garakuma.gif エドさんの情報で、問題が時間と空間と三次元的になりました。
また、青色つきこさんの情報も気がつきませんでした。アストロ光学と光学工業の間には少なくとも1年以上開いているものと、かってに思い込んでおりました。

情報、追加投入いたします。
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Dアストロ光学工業椛纒\の冨所雅之氏から頂いたメール(数日前に頂きました)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昭和35年4月に入社した者です。
入社時にはアストロ光学鰍ゥらアストロ光学工業鰍フ新会社に生まれ変わっておりました。
私の先代の者がおりましたので●●様のメールを案内しておりましたが、どうも体調がすぐれず
ご返事をする状況でない事がわかりましたので、私の知り得る範囲でお答えさせて頂くことに致しました。

アストロ光学工業鰍フ設立は、昭和33年2月4日となっております。
従ってそれ以前のアストロ光学についてはよく知りません。
社長は会津出身の小松良基氏です。専務はヤシカ出身の滝沢盤氏、五藤光学から小森幸正氏が技術責任者、ペンタの流れの技術者もおられた様に記憶しています。
アストロも命名も当時のトンチ教室の石黒敬七、藤原○○の面々が「明日を取る」で縁起が良いと
云ったとか、云わないとか。野尻抱影先生も一役買ったとか、なかったとか...
何もかもおぼろげで申し訳ありません。
尚、1958年2月の設立場所は千代田区大手町の野村ビルに本社を置き、豊島区要町に工場(バタヤ部落脇)がありました。
正確な期日はわかりませんが、鉄腕アトムに別紙の様な広告を出していました。
不確実性が高い為この辺にさせて頂きますが、久しぶりに昔を懐かしむ事が出来ました事を感謝申し上げます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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まだ少し集めております。取り急ぎ一件。

コメトさんも気がつかれました、カンコーのシュミットの広告は、確かに注目してしまいます。ものは実際あったのでしょうか?
[管理者修正]




Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   ガラクマ - 2017/06/30(Fri) 23:35 No.10680

garakuma.gif ガリガリ博士からもアドバイス頂いております。

E五藤光学編「星・空・夢」

小島修介
---------------------------------------------------------------
北海道小樽出身。少年時代から天文好きで、雑誌の広告で五藤光学の求人を知り、単身上京して戦前の1933年(昭和8年)16歳で入所。学歴は無かったものの非凡な才能の持ち主であり、それに非常な勉強家、努力家であった。独学で天文はもとより光学理論をはじめ、機械設計、工作技術一切を学び、戦前および戦後の一時期五藤光学の中心人物として手腕を発揮した。後には天文講習会の講師として各地に出張し、積極的に営業第一線に出て販路開拓に努めた。
1952年(昭和27年)独立してアストロ光学工業株式会社を設立したが惜しむらくは1960年(昭和35年)43歳で死去。

  ↑これも、微妙にずれています。アストロ光学とアストロ光学工業の区別があいまいですし、ましてや、アストロサービスセンターのことは、まったく情報がありません。


F草下英明著「星日記」

1951年(昭和26年)
8月5日  ………………………………………………
ただ、驚いたのは、町を歩いていて、ぱったり野尻先生と小島修介氏に出会ったことだ。野尻先生は七夕祭りに招かれて、小島氏はアストロ・サービスという天文普及の仕事兼野尻先生のボディガードで来られていたのであった。
…………………………


以上より、それぞれピッタリ同じことを言ってはありませんが、
どうやら、1951年時点で、アストロ・サービス・センターは小島氏が代表として活動していたらしいと思います。
ただ、活動自体が五藤光学を退社した後なのか、籍を入れたままだったかが。分かりません。
[管理者修正]




Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   ガラクマ - 2017/07/01(Sat) 00:33 No.10681

garakuma.gif もいっちょ。ミザール〇藤さんからの又聞き

G谷光学、谷田貝氏 談 2017.3)
S30年 1955 前アストロ光学設立 設立者 旭光学2名+谷田貝@+堀口@(元五藤光学)+他※=10名で出資(各10万)
(当時国内は日野金属などが台頭のため) 主に輸出向け望遠鏡に力をいれた。
前アストロ光学で製造された望遠鏡販売先は一部、ダウエル光学(成東商会)へ納入された。
3年後資金繰り切迫につき銀行?管理化となり設立者は解散、別管理にてアストロ光学継続

分かってきたような、分からないような。
ただ、ほぼ全部に近い情報を出し切りました。まだ探しますが、そろそろ整理をしないと。
[管理者修正]




Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   (^0^)コメト - 2017/07/01(Sat) 00:40 No.10682   HomePage

utyuujin1.gif ガラクマさん、皆さんこんばんは

草下英明著『星日記』にそんな記述があったかなぁ。。と思って見てみました。
。。そうしたら確かにありました。p168ですネ。(^0^;野尻氏とのツーショット有り。
この著作は広範囲に渡って科学の事が書かれており、時々思い出している内容
も多いのですが、今更ながらにガラクマさんの眼力には感心。
(ついでながら、1965年のレオニズの所には(^0^)の関係した事象があります。)

アストロ光学にはアストロ光学工業と日本アストロドームと言う異称も存在し、
未だ明確な区別が出来ないでいる(~0~;であります。
多分、小森幸正氏の日本アストロドームがアストロ光学の改称として脳内処理
されている事の誤解?であらふと考えていますが、いつか検証しないといけません。

※ありゃ!ココまでカキコしてスレ見たら、ガラクマさんが直前に追記されており、
今更ながらに話題の関心の高さが分かります。(^0^8
そんで、アストロ光学と駄植エルの繋がりですが、(^0^;が磨いた最初の15p
反射鏡は駄植エルにコートを依頼しました。それが。。1年程で曇り、次にアストロ
に出したら、同じ料金でアルミナイズ(AL単独)され、これも数年で曇りました。
もしかしてこれってすべてアストロの伝手で処理されていたんか?と思います。




Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   エド - 2017/07/01(Sat) 00:58 No.10683

ガラクマさま 皆様こんばんは!
確かに微妙に年号とかズレがありますし、肝心なことは話してもらえていない感じでもどかしく思います。
@昨日の冨所雅之氏のメール内容を読んで不思議に思ったことは、”アストロ光学”という社名を受けついでいながら、小島氏がどのように新生アストロ光学工業に関与していたかが語られていません。
アストロ光学は登記こそしていなかったようですが、社名を襲名したのですから何らかの関与が続いていたと想像します。そこのところを再度聞いていただきたく思います。
昭和33年設立なら小島氏が亡くなるまで2年間あります。
ひょっとして、小松氏ほかちゃんとした技術者たちが来たので、自分は身を引いて日本テレスコープサービスという個人会社を作ってアマチュア向け望遠鏡を作っていたのか?
だとすると、まさか中野で個人的にそれをやっていたのでしょうか?
Aアストロサービスセンター(天象普及協会)は1951年に小島氏が興しているというのは、複数の雑誌宣伝と証言が得られたので、事実として良いと思います。
一方、小島氏が五藤光学に籍を置いていたのは、昭和30年または27年、どちらにしても明らかに五藤光学在籍中に個人的に活動を始めていたことになります。
昭和26年には自分を五藤光学の小島ではなく、アストロサービス小島と名乗っていることから、氏は既に「独立心」が強かったことがわかります。
その根底には、五藤光学の望遠鏡が高価であり、もっと普及価格の望遠鏡を作って売りたいという先のダウエルに通じるモチベーションがあったことも確かなようです。
日本光学も五藤光学も、価格的にアマチュアや学生がバイトなどして購入できるような価格ではなかったですので。。。
B五藤斉三氏の言う、会社がうまくいき、羽振りが良くなってきたので酒びたりになり病死された、
というのは、誤解ではないかと想像しています。
むしろ逆に、新生アストロ光学に冷遇されたり、自分の起こした日本テレスコープがうまくいかないから酒浸りになったのではないかと確信しております。
年配の皆さんもお分かりと思いますが、男は仕事がうまくいっていて忙しいときは、浴びるような酒の飲み方はしませんよね。。。
C70年代に我々が見ていたアストロ光学のカタログに、15センチの屈赤のモードラをもって立っている小柄なオジサンの写真がありますが、この方はまさか。。。




Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   ガラクマ - 2017/07/01(Sat) 01:03 No.10684

garakuma.gif コメトさん。申し訳ありません。不勉強で。
実は、草下英明著『星日記』の部分は、ガリガリ博士(某五藤光学史大家)のご紹介でした。

日本アストロドームですか。
あまり関係ないようで、そこに紹介されている望遠鏡も、それはまた謎で、こちらも興味深いものですが、まだ情報が乏しく、時が来たらまたお話させていただきます。
日本アストロドームのカタログの一部、望遠鏡の部分を添付します。アストロ光学っぽくはありません。





Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   エド - 2017/07/01(Sat) 01:20 No.10685

おお〜どんどん情報が追加されてカキコが後手にまわっていますが楽しいです。
ミザールのI部長さんの言ですが、日野金属が天体望遠鏡を製造し始めたのは昭和32年とホームページにあります。
小島氏ら10人が1万円づつ出し合ってアストロ光学を興したのが昭和30年なら、低価格市場はすでにミザールの寡占状態、、、というのは矛盾しますが?




Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   ガラクマ - 2017/07/01(Sat) 07:53 No.10686

garakuma.gif どの部分を信じて、どこが間違っているかのか。
エドさんのご推察は、だいたいのところ私もそう思います。
ただ、ガリガリ博士は退職したのは1951年以前ではないかと推察されております。退職してアストロ・サービス・センターを作ったのではないか。とのことです。
もう少し、手持ちの情報を絞り出していきたいと思います。

実は、年表を作っていて、あちこちで疑問が出てきて進みません。作りかけている年表を添付します。まだ、ミネルバ他は書き込めておりません。





Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   青色つきこ - 2017/07/01(Sat) 08:21 No.10687

ガラクマさま、みなさん、こんにちわ。
いろんな情報、それに年表、すごいですね。

CiNiiで小島修介で検索すると9件あり、1951-53年に書かれています。国立国会図書館には在るようですが、ネット上では公開されていません。「天界」は1943年以前は京都大学の「紅」で公開されていますが、1952年は公開されていません。残念です。月面図が1950年発行ですし、1950年頃から精力的に著作活動に取り組んでいたのでしょうか。
「天界」、「月刊教材教具」がみれれば何かわかりそうですけど。

Download:10687_1.pdf10687_1.pdf





Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   NGC1999 - 2017/07/01(Sat) 10:04 No.10688

みなさん おはようございます

 古本屋さんから入手した、アストロ光学のカタログがありました。
 1956年第7版とあるカタログにあるアストロ光学の特徴の中に、”創立以来2ヶ年”という文言がありました。往々にして、版を重ねるに際して、文章中の中身については修正されないことも多いと思われますので、この資料からは1956年の2年以上前に設立されたことになります。
 もう1枚の画像は、それぞれ昭和31年(=1956年)という年号が見えます。
(追記:昔は、かぞえ(その年を1年と数える)で表現することもあり、そうすると1955年設立もありかもしれません。)





Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   エド - 2017/07/01(Sat) 11:16 No.10689

その年表、スバラシです。ビジュアル的に理解しやすいです!
まさにその網掛け部分の数年間が解明困難とのことですが、もし小島氏が会社を登記していたなら、
中野または豊島区の法務局へ行けば少なくとも登記した日付はハッキリします、、、登記している可能性は低いと考えます。(雑誌宣伝には”株式会社”と謳っていますが、、、)
3種の神器と言われたテレビ、冷蔵庫、洗濯機を庶民が買い漁るのが1950年代後半となっています。
庶民にとって望遠鏡はその次に欲しいものだったハズで、コメトさんおっしゃるように、市場が熟すまでには数年早すぎたというのはご明察と思いますし、ミザールやビクセンは良いタイミングで出てきたんだなァ思いますし、小島氏ももうあと5年辛抱されていたら、、、と今更ながら思うのです。




Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   部分微動 - 2017/07/01(Sat) 19:56 No.10690

 ガラクマ様、皆さま。こんばんは。
この記事が載ってから毎日ハラハラドキドキしながら見てます。まさにスリルとサスペンス。
先頭のガラクマ様の10666にあるアストロのカタログを見てびっくり。N-4持ってました。6,7年前にイナカの個人経営のリサイクルショップで発見。しっかりとした木箱に入っていて保存状態はまずまず。D=40o、f=500oというスペックですがなかなかシャープで2012年の日食のときには活躍しました。今回「アッ」と思って引っ張り出してみると変わった点がいくつもあります。見口はねじ込みの24.5oのすり割りアダプターがついていますが、それをはずすと31.7o(と思われる)のねじが切られているのです。アメリカンサイズのねじ込みアイピースなんて昔はあったのでしょうか?
もっと不思議なのはエンブレムがツートンです。「ROYAL]というのはアストロの輸出ブランド名だと思いますが左半分が黒、右半分は青です。ヤケたわけではなさそうで、きっちり真ん中から色分けされてます(前述のように箱に入っていてヤケていません)。いつ頃の製品でしょう?シリアルナンバーは64149となっていて、使われているねじはすべてマイナスですマウンティングはアルミ削り出しに黒の梨地塗装のしっかりした経緯台です。足は鉄の削り出しの黒梨地塗装石突の部分に切れ込みを入れ、相当凝ってます。水平回転軸を固定するねじにはローレット加工が施されています。こういうローレット加工大好き。だからニコンFMのほうがFM2より好きです。対物レンズ枠についている黄色いものは製図用テープです。入手したときフードが欠品していると思い、空き缶で作ったフードを固定するスペーサーになってますが、ガラクマさんの資料を見るとN-4にはもともとフードがなかったのか?でも全体的に驚くほど頑丈な作りです。終活を考える時期になったかなあと思っています。集めたものはすべて望遠鏡博物館に寄付しようかと思いますので一足先にN-4はそちらに送るべきでしょうか?
あと、ここに来る皆さんはご存知と思いますが小島修介氏に関しては「星と望遠鏡の掲示板」というところに資料があったと思うのですが現在、この掲示板自体がありません。たしか軍隊時代のことだったような…。うろおぼえですみません。写真を添付しますが撮影しようと思ったらちょうどデジカメが壊れてしまいガラケーのカメラで撮ったものなのでわかりにくくてすみません。
本当に毎日ここを開くのが楽しみです。ガラクマ様をはじめ、皆様の今後の探求を山奥から拝見させていただきます。今、こちらは寒いです。暑くなったり寒くなったり大雨が降ったりですが皆さまご自愛ください。
追伸:カイザーのレンズはきれいなので埃の混入はありますが分解しないことにしました。いろいろご教示ありがとうございました。





Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   ガラクマ - 2017/07/02(Sun) 00:38 No.10691

garakuma.gif 部分微動様 N-4いいですね〜。アストロに4cmで光軸調整がついてる望遠鏡があったという話がありますが、いかがでしょう。
アメリカンサイズのねじ込みアイピースってのは知りません。みなさんいかがでしょう。

複数の方から頂いた情報でしたが、有力な資料が抜けておりました。

H 故小島修介君 (野尻抱影 天界1960年11月)

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ところが(五藤光学を)突然辞職すると言いに来て、私をびっくりさせた。まず社長の失望を思って一応説得したが、止まれぬ事情らしく、また決心したことを翻えす性格でもなかった。その後はらはらして見ていると、がっしりした肩に望遠鏡の箱をつり、地方を回り歩いて、学校の備品を修繕したり、天文講話をやって、2~3年はどうにか生計を立てていた。
私は、仙台に七夕祭りへ講演に行ったとき、小島君のこのサッソウたる姿に逢った。公民館で市長が科学センターを設けると話したとき、小島君は「ぜひ天文館をお造りください」と力説した。それはやがて実現された。
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
やがて彼はアストロ光学社長として再出発した。どんなルートによったものか、驚嘆もしたが、よそ目にも不安であった。私は祝辞の中で事業ぶりが放漫にならないようにと言うのを忘れなかったが、彼のふとっ腹と、まだ年功を積んでなかったことが、果たして放漫に走ってついに収拾がつかなくなり、友人にも迷惑をかけたらしい。正月二日には毎年やってくるので、一度は上がるなり、「評判が悪いぞ」と言って、づけづけ忠告したが、自信たっぷりの話を聞くと、そんなものかと思った。アマイ保証人だった。それから、新しい会社を起こしては倒し、私のところへも姿を見せず、去年は星の会へ一度姿を現したきりで、わたしは「月面図」の題字をせっかく何子貞の法帖から選んでやったのに、再版で断りもなく「月面の地図」と活字に変えたのに抗議をしたが、「また肥って貫禄がついたね」と賞めてもやった。
しかし、小島君が絶えずあせっていたことは推察に余りがあった。そして強酒がたたったとかで、わたしの知らない間に昇天してしまった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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これまでの情報とつながってくるお話です。
辞職して2〜3年やっていたのが、アストロ・サービス・センターなら、五藤光学から辞職してからになります。
後の方に出てくる「新しい会社を起こしては倒し」というのは日本テレスコープのことでしょうか?
[管理者修正]




Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   シグナスR - 2017/07/02(Sun) 11:12 No.10692

ガラクマさん、皆さん、こんにちは。とても興味深いテーマですね。

小島氏のアストロ・サービス・センター設立に関して、草下英明氏著作の「星座の楽しみ」(社会思想社現代教養文庫603、昭和42年発行)にも、注目すべき記述がありました。
以下引用です。

日記の日付は、昭和二十六年(1951年)8月7日となっている。私はそのころ同じ出版社につとめていた友人と二人づれで岩手県の花巻を訪れて、これも星につながる詩人宮沢賢治の故郷をたずね、その帰途、うわさにきく仙台の七夕祭りを一目ながめようと仙台市に立ち寄ってみたのである。
 七日の夜もかなりおそく、お祭りにさざめく仙台のメインストリート、近郷近在から集まる雑踏の中を、私たちはおされおされて歩いていた。やがて私は、前方から歩いてくる二人の人物をみつけて思わず大声をあげた。一人は長身ひょろりとしたお体を和服・はかまら包んでステッキをついた老人、一人はずんぐりがっしりチョビひげをはやした壮漢、私の星の恩師野尻抱影先生とお伴の小島修介氏だった。
 野尻先生は仙台市の記念講演会に招かれて来仙されていた。小島さんは先生の一番弟子で、勤務さきの望遠鏡メーカー五藤光学をやめて独立し、アストロ・サービス・センターという会社を自ら設立して、望遠鏡をかついで各地をめぐり、天文知識の普及講演に歩きまわっていた。ちょうど野尻先生が仙台へゆかれるのに同行していたわけである。私は出発の前にそのことをきいていたすが、まさかこううまく会えるとは思ってもいなかった。
 あまりの偶然に三人とも道のまん中で手をにぎりあってしばらく動かなかった。
(「星座の楽しみ」七夕の章から関連部分抜粋。P101、P102)

仙台の七夕祭りは月遅れで行い、毎年8月6日、7日、8日に行われています。上記引用部分は、自身の日記に基づいた記述であり、非常に具体的です。会社名も正確です。小島氏の五藤光学退社の時期については、昭和26年以前と推察するのが妥当かと思います。




Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   ガラクマ - 2017/07/02(Sun) 21:26 No.10693

garakuma.gif シグナスR様、皆様 情報ありがとうございました。 
シグナスRさんの資料でだいぶんクリアになってきました。ありがとうございました。
その情報、見落としておりました。

これまでの情報をまとめると、こんなもんでしょうか?

△?       年 小島修介氏、五藤光学退社
△?       年 小島修介氏、旭光学入社/退社
●1951(昭和26)年 小島修介氏、アストロ・サービス・センター設立
△?(1952-1955)年 アストロ光学叶ン立 小島修介氏社長に就任
△1957?    年 アストロ光学 倒産
△?       年 小島修介氏、日本テレスコープ社設立
●1958(昭和33)年 アストロ光学工業叶ン立、小松良基氏社長
●1960(昭和35)年 小島修介氏 他界

   (●:ほぼ、間違いないのでは。    △:まだ、はっきり分かっていない)

だいたい、当時、倒産し会社が名前を変えて復活するというのがイメージし難いです。

破綻してからも管財人の管理下で当面は営業は続けられるものと思いますが、復活?に見えるのは、融資が受けれるか、他の資本が入るかというのができたのでしょうか。
ただ、そういう時には、必ず小島氏は外されるものとは思います。

なにせ、直接的な情報がほとんどなく、他の方のお話のみですので、なんとももどかしいところです。
[管理者修正]




Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   エド - 2017/07/02(Sun) 21:44 No.10694

ガラクマさん 皆様こんばんは。シグナスRさん 情報ありがとうございます。
実は明日にでも法務局めぐりをしようと思っていたのですが、草下氏のその文章で大筋はほぼ決定的になったと思います。先のミザールI部長さんの情報と合成すると。
@五藤光学退社(1951)と同時にアストロサービスセンター設立(個人)
 望遠鏡修理、地方公演、小型望遠鏡を販売(店舗を持たず行商)
A昭和30年(1955)五藤光学にてクーデター失敗。
 既に五藤光学に在籍していなくても、クーデターの首謀者になりえたということですか。
 てっきり在籍していたからこそ、そういうことができたと思い込んでいました。
B同年、谷田氏、堀口氏、旭光学から2名、ほか計10名共同出資にてアストロ光学(株)設立。
 旭光学から人材を引っ張ってきているということは、これ以前に旭光学に出入りしていたことになります。
C昭和33年頃(1958)資金繰りに困窮するようになり、債権者である某銀行の管理下になる。
 主要メンバーが去り、代わりに銀行主導で新生アストロ光学工業が再開される。
 小島氏、堀口氏、谷田氏などが去り、それぞれ個人会社を興す。
C同年、小島氏が日本テレスコープサービスを個人会社として興す。
 場所は不明(中野?要町の工場の片隅?)
 旧アストロ時代の残材などを用いて小型天体望遠鏡を組立、行商していたのか?
D昭和35年(1960)小島氏 野尻先生や村山先生などに惜しまれつつ病没。
もう少し詳細がハッキリするとベターです。。。




Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   ガラクマ - 2017/07/02(Sun) 23:14 No.10695

garakuma.gif エドさん。ご推察ありがとうございます。
分かっては無いですが、エドさんのご推察Aのところは少し?です。
五藤斎三自伝の昭和30年というのは間違いで、アストロ光学を設立した年と勘違いされているかもしれません。

私の資料@のところ、少し省略しすぎましたので、小島修介氏のところ、周辺追記します。

***********************************************************

@「天文夜話」五藤斎三自伝 (P65-

小島修介氏のこと  −不幸な決別−

頭の良い人
  (省略)

安くて悪い望遠鏡はなくならないだろう

 戦後、小島氏がサイパン島から帰って来たときも、工場の応接間にしていた部屋を改造して、小島夫妻が住めるようにしてやった。その際柱や鴨居に古釘がなかなか打てづに困っているのを見て、私が、石けんをつけてスルスルと打ち込んでやった。小島は「軍隊でいろいろの事を習ってきたが、社長にはかなわないなあ」と言っていた。私は五藤家そのものは、娘の養子につがせる腹であったが、五藤光学の経営権については、小島氏につがせる心づもりであった。ところが小島氏は、私の言った意味をとり違えて、会社の財産を私物化できるものと思い込んでいたわけである。技研学校当時、新宿から渕野辺までのハイヤー代を無断で、私に払わせたりした。戦後、私も戦災で家を失い、工場の宿直室と応接室を仮住まいしている中に、小島氏が南方から帰還した。もとより家がないので、私たち一家の仮住まいのうち、一番広い応接間の十畳を空けて、小島親子の住居にしてやった。あるとき、子供が肺炎にかかった。ペニシリンがあれば助かるということで、当時米国からの闇ルートでなければ手に入らぬものを、少なからず金を出して買ってやったりした。彼の兄がころげ込んできたときは分工場を寄宿舎に変更して住まわせ、従業させた。
 こんな具合で、私は息子のように扱ってきたつもりであったにかかわらず、昭和30年、私が戦後初めてアメリカに行き、ニューヨークを回って二ヶ月目に帰って来たら、その間、誰かにそそのかされたにしろ、自分が首謀者となり、幹部社員四、五人とスクラムを組み工場の乗っ取りを考え、私に月四万円を払うから、工場を我々に明け渡してくれとの要求を突き付けてきた。勿論私はこれははねつけ、「不満のあるものは、全部辞任してもよろしい、私一人になっても初めからやり直す」と、たんかを切ったので、工場全員の動揺は収まり、首謀者四、五人は辞職した。
小島氏は去ってアストロ光学を創設し、堀口氏はレンズ研磨工場を創った。共に資本家が付いた訳である。アストロ光学はその後五年位に大いに伸び、急に金回りが良くなったため、小島氏は酒色に沈淪するようになった。そして昭和三十五年春、四十五歳の若さで死んだ。野尻抱影先生もこの若死を惜しまれたものです。
...........................................................................
   (以後、堀口氏の話)




Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   ガラクマ - 2017/07/02(Sun) 23:37 No.10696

garakuma.gif
 あらためて見直すと、小島氏が五藤光学を退職した時期がやはり分かりません。

疑問なのが、天文夜話は1979(昭和54)年発行で、アメリカに五藤氏が出向いたのは1955(昭和30)年はたぶん間違いないらしいので、クーデターは1955年末になりますが、それを参考にして作ったはずの五藤光学の社史「星、空、夢」1996(平成8)年では、小島氏は1952(昭和27)年に独立とあるところです。
 参考にしていたものをあえて否定して、書き換えているところが謎です。また、アストロ・サービス・センターの設立(1951)とも違います。
やはり、エドさんのご推察どおり五藤光学とは曖昧な関係を続けながら、アストロ・サービス・センター等を運営していたのでしょうか。謎ですね。お亡くなりになった時のお年も違います(満かかぞえかということかもしれませんが)。


ところで、私たちと同じような推察をされている方を見つけました。こちらに無かった情報もあり、大変参考になります。
一応、連絡いたしましたが、まだ返信がございません。更新も止まっているようで、現在は管理されていないかもしれません。ただ、よくまとまっておりますが、やはりはっきり言いきれないところはあるようです。

ttps://blogs.yahoo.co.jp/kyainbabu77/42488188.html
[管理者修正]




Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   エド - 2017/07/03(Mon) 23:26 No.10697

本日、東京法務局豊島出張所(池袋)へ行ってまいりました。
アストロ光学と日本テレスコープサービスが昭和30年代に管轄内(要町または池袋を想定して)で法人登記された記録があるかどうか調べてもらったところ、残念ながら「記録ナシ」という結果でした。ただし、窓口の方曰くは、会社が倒産などして消滅した場合は登記を抹消処理した時期があり、その場合はやはり同様に記録が残らないらしいです。
10人で共同出資し、少なからず資本があったのですからちゃんと法人登記したと思うのですが、債務処理した銀行が抹消したのかもしれません。
一方、新生アストロ光学工業の足跡は赤茶けた藁半紙の台帳に残っていました。

実は要町の工場は、私の通っていた高校から200mくらい、女房の通っていた高校から100mくらいしか離れていません。(もちろん全くの偶然です)
もっとも、我々が高校生の頃には既に要町(千川)のバタヤ部落はなく、ごく平凡な住宅街でしたが、今日近くを車で通ってみると地下鉄の開通とそれに伴う商店の進出で当時の面影はさらになくなっていました。
月日は人の記憶も街の景色も変えてしまうということでしょうか。。。
ところで五藤斉三氏のクーデターの記憶は非常に鮮烈かつ正確だと私は思います。
そんな強烈な記憶は薄れるはずないですし、パスポートの日付からも確認できるからです。
残る日付けは小島氏の旭光学入退社、五藤光学の退社年ということでしょうか?
小島氏は元社員として図々しく勝手に出入りしていたようで、正式な退社日がどうも曖昧です。。。
こればかりは調べようがないかもしれません。。。




Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   ガラクマ - 2017/07/03(Mon) 23:50 No.10698

garakuma.gif エド様。ご苦労様です。このお話をしたことで、何かお手数をおかけしたようで、申し訳ございません。

確かに五藤氏の渡米は昭和30年と思います。11月にあった太陽熱利用世界シンポジウムに参加したことは、社史にも細かく記載があります。
ただ、帰ってきたのは11月末以降でしたら、すぐその年にアストロ光学を立ち上げるのは忙しすぎです。
でしたら計画的で、準備した上で、クーデターは挨拶だったのでしょうか。分かりません。

これから先は、新しい情報が出てこないと分かりませんね。
ミザールさんの今度出る社史が楽しみです。いろいろ調べられているようですから。




Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   エド - 2017/07/04(Tue) 20:35 No.10699

ガラクマさま
これからも国会図書館での調べごとなど遠慮なく言ってください。
まさかそれだけのために自費で四国から出てこられるのは過酷すぎです!
今回は、ご遺族の協力なくある個人の詳細な年表をつくることは難しいということがわかっただけでも勉強になりました。
考えてみますと、小島氏(アストロ光学)の物づくりは五藤光学の方法そのものであり、ミザールやビクセンの「樹脂型」を使って量産し、コストダウンする考え方ではありません。
さらにミザールやビクセンがたくさん販売できた理由は販路にあります。
”メガネ屋のヒーロー”とあるように、全国のメガネ屋を販売代理店とすることで拡販ができ、
それを目論んだ生産方法によってコストダウンをしてそのメガネ屋さんのマージンを確保できたこらこそです。
小売店が6割掛けで仕入れて定価で売る商習慣がある以上、メーカーは相当安価に物づくりしないと
割高となって売れないか、かつての高橋のように直販するしか方法ありません。
ニッチな趣味であり、趣向の多様性が広い天体望遠鏡ビジネスの難しいところではあります。
せいぜい今所有しているアストロ光学の立派な製品を観望会などで子供達に見てもらうことで、小島氏の供養をしていきたいと思います。。。




Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   もも - 2017/07/04(Tue) 21:26 No.10700

ガラクマ様、みなさま。
こんばんわ、ももで〜す。
小学生の頃、通学路にあるカメラ屋(メガネ屋ではありませんでした)に置いてあった望遠鏡に憧れておりました。
その後、デパートで義兄に買ってもらった望遠鏡はエイコーブランドでした。
カタログで選んで、届いたのはどのくらい後だったのでしょうか?忘れました。
その後、持ち前の分解癖でバラバラになり、鏡筒は自作反射鏡筒の斜鏡セルになりました。
近年、その望遠鏡をヤフオクで手に入れましたが〜
その小さいこと!!
これでも、夢を見られた良い時代ですね。

ここで話題になっていることには、田舎者のワタシなどは入り込む余地はありませんが〜
後年になって記録が残っているのは、勝てば官軍の戦記になりがちかもしれませんですね。
多方面からの検証が必要だと思います。

すみません、余計な書き込みでした。




Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   もも - 2017/07/04(Tue) 21:48 No.10701

もうイッコ。
今回のユニトロンは折り畳みの三脚のようですが〜

古スコでいつも思うのですが〜
レンズや架台ではいろいろと話題が出てきますが、三脚についてです。
昔はラワン材の伸縮脚が一般的?
その後、剛性の問題から直脚も出てきて〜
高橋の桜材とかで、そのあとアルミ脚に・・・
その木製三脚のメーカーとかについてはどんなもんでしょうかしらね?
今でも高級な測量用の三脚は木製だったりします。
高校で実習に使ったペンタックスの測量器は既にアルミ脚でした。
一時、天文雑誌に広告のあった山本製作所の木工用旋盤を使ったような家具調三脚なんかありましたよね。
木脚の塗装もこげ茶から黄色っぽいのまでいろいろありました。
タカハシを真似て伸縮三脚の2点止めとか〜




Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   ガラクマ - 2017/07/04(Tue) 23:16 No.10702

garakuma.gif ももさんのおっしゃるように、どの部品がどこ製かと言うのが分かったら楽しいでしょうね。
そうは思っておりましたが、だいたい特徴的と思っていたアストロの製品さえ、このスレの出だしのように・・・
「アストロ光学は、永年の経験に富む熟練技術者の集団で、独自なきわめて優秀な工作規模と機能を持っている50数社の専門工場が、カルテル的結合をもって組織されている特殊な天体望遠鏡専門メーカーです」
ってことです。

そりゃ似ていて非なるものがたくさん出てきても致し方ない状況とは思います。
まあ、赤道儀と鏡筒(レンズ)くらいは、分かるようになりたいものです。

エドさん。お気遣いありがとうございます。
まあ、東京に出向くこと自体は苦にならないどころか、楽しみでもあるんですが、問題は1番目に時間、2番目に経済的(家族の目)があり、そう度々でかけられないところが辛いところです。
谷田貝氏とか、冨所氏には、一度お会いして貴重なお話をお聞きしたいものです。ご協力お願いすることがあれば、よろしくお願いいたします。

皆様
新たな情報が手に入りましたら、またこちらのスレに書き込みますので、私は一旦お休みさせていただきます。
みなさんは、ご存分にお楽しみください。




Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   ガラクマ - 2018/01/01(Mon) 22:17 No.10882

garakuma.gif お正月に新しい情報を頂きました。いろいろな書き物の不正確さが分かってきました。やはり、記憶より記録?ですね。

と言っても、補完するのは記憶になってしまいます。アストロ〜TSの経歴ってこんなでしょうか。

1951(S26)年 小島修輔氏、アストロ・サービス・センター設立
1954(S29)年 アストロ・サービス・センター倒産
1954(S29)年 アストロ光学叶ン立、社長は小島修介氏
1958(S33)年 アストロ光学鞄|産、
1958(S33)年(小島氏を外し)アストロ光学工業叶ン立
1958(S33)年 小島氏、日本テレスコープ社設立、高橋製作所に赤道儀を外注しSwift社に輸出
1960(S35)年 小島氏他界、以後、高橋製作所がSwift社への輸出を受ける
1967(S42)年 高橋製作所、TS65o屈折赤道儀発売。本格的に天体望遠鏡業界に進出

[管理者修正]





Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   エド - 2018/01/03(Wed) 22:40 No.10883

ガラクマ様 皆様 あけましておめでとうございます!今年もよろしくです〜。

その挨拶状、貴重ですネ!まさに激動の昭和33年ということですか。
新生アストロ光学工業が旧アストロ光学とは陣容を一新して別会社ですヨ〜と言っておきながら、
旧アストロ光学の設備や技術を踏襲(強化)していますので、顧客の皆様、宜しくデ〜ス。
とアナウンスしているのが興味深いところです。
小島氏の後半の年表はこれで完成となったのですね。
私が小島氏に対して持っているもうひとつの疑問というか、感慨というかなんですが、
小島氏は兵隊(陸軍?)に応集され、終戦時サイパンに行っておられたと五藤氏の記述にありますが、
陸軍なら昭和20年にサイパンで玉砕しています。
ならば復員するハズはないんです。海軍だったのでしょうか?
米軍が飛び石で北上して、孤立した島の部隊は、戦後復員できたと考えられています。
なんかそこらへんにも引っかかるものを感じるんです。




Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   エド - 2018/01/03(Wed) 23:56 No.10884

失礼しました。
サイパンの戦いは昭和19年夏でした。
ちなみに海軍も陸軍に比べて少ないながらも、1万5千人ばかりが守備をしていたとの記録があります。




Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   部分微動 - 2018/02/11(Sun) 14:55 No.10943

N−4型だと思います。私の持ってるのと同じ。やっぱりエンブレムがツートンです。私はこれを確か1500円で買ったと記憶しているんですが。

https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/q196160844




Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   青色つきこ - 2018/07/21(Sat) 14:45 No.11246

みなさま、こんにちわ。

小島修介 「月面の地形分類とその成因をさぐる」天文と気象 1960年2月号 pp.11-18
 
小島修介氏の住所が 東京都練馬区下石神井2-1879 日本テレスコープ工業 KK 内 と記されて
います。




Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   エド - 2018/07/22(Sun) 02:21 No.11247

青色つきこさま&みなさま こんばんは。。。
惑星の観望会から戻ってきました。
根気良く小島氏の足跡を追求されていることに頭が下がります。
小島氏の晩年(S33年)の住所が練馬区下石神井との情報、ありがとうございます。
住居表示が古いので、ピンポイントでの特定はできませんが、下石神井2丁目までなら今でも特定できます。
端的に言えば、目白通りと旧青梅街道の交わるエリアですが、昭和30年代はまだ大根畑がほとんどだった田園風景真っ只中といったところですね。
借家を“日本テレスコープ工業”と謳っていたのでしょうね。
中野から家賃の安い石神井(西武電車)に引っ越してきたという困窮ぶりが想像できます。
その天文と気象の寄稿がすなはち遺稿でしょうか。
小島氏は発達障害というかADHDの特徴をいくつかもっていると思います。




Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   ガラクマ - 2018/07/22(Sun) 22:34 No.11248

garakuma.gif 青色つきこ様。情報ありがとうございます。
最後のほうは、相当ひどい状態であったとのことですが、一応ちゃんとした原稿をかかれていたんですね。
時間ができたら(いつになるやら・・)、エドさんに協力いただいて由来の地を回ってみたいものです。




Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   青色つきこ - 2018/07/22(Sun) 23:32 No.11249

みなさま、こんばんわ。
ガラクマさま、エドさま、こんばんわ。

小島修介「月面はなぜアバタになったか?[1] 月面の地形分類とその成因をさぐる」
天文と気象1960年2月号から気になった箇所(a)〜(f)を抜粋しておきますねぇ。
なお、( )内は私の補足です。※は、私のメモです。

(a) 筆者(小島修介)が月面に関心を持ち始めたのが昭和5年、14才くらいからで、もう、
あれから30年にもなる。本格的になったのはやはり戦後であるが、昭和26年10月に本誌
(「天文と気象」)に、昭和34年3月に科学画報誌にその研究の一端を発表したが、余り
問題にならなかった。

(b) 筆者は、これまで大小6種の月面図を描き、発表したが、学者でも専門家でもない、
月面観測のアマチュアで且つ天体望遠鏡の設計製作者の1人であるにすぎない。少年
の頃に、月の魅力にひかれて病みつきとなりミイラ取りがミイラになったように、月
と望遠鏡だけで長年過ごして来た者である。

(c) 筆者が自分で詳しい月面図を描き始めたのは、10年ほどまえから、月面地形分類の
ための余技としてであった。月面地形の正しい分類が行われないうちは、正しい成因
が得られないという著想のもとに月の地形を一つづつ訪ねて行くことによって、自然
に月面図が描かれたのである。
 月面地形の分類はまだ完成した訳ではないし、今後独りの力では何年掛かるかわか
らない。しかし、大雑把な筋途だけはたどれるまでに到達している。

(d) 現在の段階では筆者として、環状山や凹孔は決して噴火現象によるものではないと
断言して良いと思う。(中略)結論としていえば月面には噴火山は存在するが環状山や
凹孔、環状平原や海などは、その第一原因は隕石落下によるものであって、噴火現象
はその二次的な作用と見るべきである。大規模の噴火爆発などあり得ない。

(e) 実はこの本稿は10月28日(1959年10月28日)に書いたもので前の項までが月の裏側に
ついて写真も見られなかったときに書いたものである。

(f) 次回からは月面地形分類について個々の説明に入りたいと思う。なお、本稿で異論
、反論等あれば筆者まで御知らせ願えれば幸いであつて、まとめて誌上で回答するこ
ともやりたいと思っている。 


※小島修介氏は、月面地形の成因を主として隕石衝突によると考えていたようです。
 小島氏のクレーターの成因についての以下の研究発表は天文ファンにも注目されなかったということでしょうか。
 @ 昭和26年10月の研究発表は、小島修介「月面地形について」天文と気象1951年10月号 です。
   五藤光学を退職した頃でしょうか。
   残念ながら、私は未見です。
 A 昭和34年3月に科学画報誌(1959年)については、「科学画報」誠文堂かと思いますが、全くわ   かりません。アストロ光学後でしょうか。

※小島月面図が1950年に地人書館から出版されていますが、大小6種とは何を指しているのかは、わかりません。
「学者でも専門家でもない、月面観測のアマチュアで且つ天体望遠鏡の設計製作者の1人であるにすぎない。」
「月と望遠鏡だけで長年過ごして来た者」と自身を評しています。私的には悲観的な意味合いが濃く感じられて辛いです。

※1959年10月4日、ソビエト連邦のルナ3号が人類史上初めて月の裏側の写真撮影に成功しています。

※本発表のタイトルが「月面はなぜアバタになったか?[1]」なので、当然、「月面はなぜアバタになったか?[2]」も考えていた思われます。本稿が1959年10月28日に書いたと記されています。小島氏が亡くなるまで、まだ時間がありますが、発表されたものとしては、本稿が遺稿だと思います。
研究発表の原稿を書いていた時期は、事業の節目と重なるようにも思えます。研究発表により天文知識の啓蒙・普及、天体望遠鏡の製作・販売による起業・事業拡大、小島氏にとっては両輪だったのでしょうか。




Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   エド - 2018/07/25(Wed) 00:54 No.11252

青色つきこさま ガラクマさま みなさま こんばんは!

小島氏が月面の専門家であることは恥ずかしながら知りませんでした。
本まで出していたなんて、、、
で、図書検索してみますと、ご紹介の1950年地人書館の小島氏編著(村山先生監修)の「月面の地図」が地元図書館の保存庫にあるとのことで、見てきました。
これは、本といっても表紙と地図&地形の簡単な説明(2ページ)に、付録のようなかたちで新聞全紙大の月面のスケッチ図が付属している本でした。
ただし、実際に見れた物は昭和58年(1983年)の新版の改訂版であり、小島修介編著とはなっているものの、オリジナル(初版)からは大きく変わってしまっている印象でした。
たぶん小島氏没後に改版するにあたって村山先生が大幅に加筆したのでは、と思いました。(残念)

写真は表紙だけで勘弁してください。
*オリジナルの装丁は壊れていて、厚紙で新たに作り直してあるところが年代を感じました、、、が、我々にとって昭和58年なんて、ほんのちょっと前の若い頃サ〜という感じなんですがね〜

小島氏が望遠鏡ビジネスに四苦八苦しながらも熱心に月を見、村山先生を巻き込んでこんな地図を出版していたという“多動力”に関心してしまいます。
その小島氏の評は謙遜であり、標準星図を出した中野繁さん(医者)や、美大出の藤井旭氏も必ず言っていたことですので、、、ちゃんとプロを監修者に据えて出版していたんだと思います。

晩年の小島氏のことを想像すると私も残念な思いがいたします。





Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   青色つきこ - 2018/08/20(Mon) 00:10 No.11272

みなさま、こんばんわ。長文になってしまいますが。

小島修輔氏は、1951年から1954年にかけて「月刊教材教具」(東亜通信社)に「天文教材の扱い方」
と題して毎月2ページにわたって50回執筆しています。やっと今回何冊分か閲覧しましたので、とり
あえず見た限りでご報告します。(なお、国立国会図書館のデジタルコレクションになっていますの
で、送信参加図書館として登録されている図書館が近くにあればそこで閲覧することができます。)
執筆時の肩書をみると次のとおりです。
残念ながら、毎回、肩書が記されているわけではありませんが、おおまかな流れはわかります。


@ 1951年2月号 天文教材の扱い方(8)  五藤光学研究所員
  連載の初回については、未見です。国立国会図書館の蔵書にはありません。 
  
五藤光学在職中の業績としては、単軸赤道儀でしょう。
  (五藤光学の特許である)「単軸赤道儀というのは、筆者が五藤光学在職中に設計して特許を得た
  もので、原理は極軸を自由に傾けて赤道儀式にも、経緯台にも使用出来る」(1951年11月号)


A 1951年9月号 天文教材の扱い方(15)  東亜天文学会会員
  この号にはアストロ・サービス・センターの広告が載っています。
  肩書が東亜天文学会会員に替わっており、さらにアストロ・サービス・センターの広告を載せて
  いることから、この時期には五藤光学研究所を退社していたのではないでしょうか。
  アストロ・ニュース・パブリシティ(三)から(二)(一)と辿っていきたいところですが、調査中です。
  また、(五)もあるのかも、調査中です。

  アストロ・ニュース・パブリシティ(三)
  九月から十月にかけて東北地方及び中国、四国九州方面に天文講習並に光学機械
  出張修理を実施しますから、この方面より御申込があれば、スケヂュールの中に入れま
  すから至急御問合せ下さい。(1951年9月号、「天文教材の扱い方」と同ページにあり)

  アストロ・ニュース・パブリシティ(四)
  九月下旬、水沢の緯度観測所の六吋屈折赤道儀の修理を実費で修理して参りました。
  現在、都立高校の六吋屈折赤道儀、海上保安庁の十吋カセニュートン式反射鏡、倉敷天文台
  の十二吋ニュートン式反射鏡、日吉天文同好会及び九州大学の十八吋反射望遠鏡の修理、
  設計、製作等々を依頼されてをります。(1951年11月号、「天文教材の扱い方」と同ページにあ  り)


B 1953年1月号  旭光学工業株式会社 天体部長、OAA月面課長
  旭光学工業株式会社は1952年に板橋区に本社・工場を移転しています。
  旭光学は、これ以前より双眼鏡と併せて望遠鏡も製造・輸出していたようですし、移転に合わせ  て小島氏を迎え入れたのでしょうか。旭光学での小島氏の業績はいかようなものだったのか、望  遠鏡の設計もしたのかは、不明です。
  
  「この後二者は現在ほとんど輸出向用であって、国内にはそう出廻っていないが近く国内にも大  量に発売すると聞いている。」(1951年11月号、ここで言っている二者とは日本精光と旭光学で  す)


C 1954年10月号  最終回には、小島氏の住所が記されているだけです。
          東京都中野区仲町18番地 小島修輔

  小島氏は、締めくくりとして次の文章を残しています。
 「天体観測に、近距離、遠距離の観望に、望遠鏡を駆使することであるが、私の設計中の新望遠鏡 は従来全く見られなかった型であることを申上げておいて長々としたペンを置きたいと思う。」
 
  自分が設計した望遠鏡を現実のものにするためには、各部品は下請けに出すにしても、その組み  立てをするための工場や人手が必要なわけで、この後のアストロ光学(株)の設立になるのだと  思います。

  なお、1954年8月号には執筆がありません。  

D 1957年10月号  アストロ光学株式会社 社長

 連載が終わってからは、「月刊教材教具」100号記念特集に寄稿しています。
 因みに五藤斉三氏も寄稿しています。



 本誌には、日本光学工業(株)、五藤光学研究所、日本精光研究所、関西光学工業、清原光学、ダ ウエル光学機械製作所(成東商会)の広告が掲載されています。とりわけ、五藤光学研究所の広告は 学校への納品を強く意識したものです。日本精光研究所の広告は手書きの文書が入っています。本 誌が学校に出入りする業者向けの雑誌であり、国内における最大の納入先は学校ですから。
 広告を見るだけでも面白いので、是非ご覧になることをお勧めします。

 「月刊教材教具」には、1955年11月号より小森幸正氏(五藤光学研究所天文部長)が新たに「天体望 遠鏡の取扱い方」の連載を始めています。

 今回は、次の執筆や対談も見ることができました。
 ・小島、「月面の研究2」、「天界」1952年2月号
  第二 月面図の歴史と概論
 ・小島、「月面の研究4」、「天界」1955年1月号
  第四 月の創生論(1) 
  「天界」誌上での論文は、これ以降、見つけることができない。
 ・「光年の世界を覗いて」、「特集文芸春秋」1957年11月
  小島修輔(アストロ光学社長)、保積善太郎(日本宇宙旅行協会常務理事)、
  原 恵(日本基督協議会視聴覚事業部)、日下実男(朝日新聞科学部)の対談
 この他にも、小島氏の「天界」及び「天文と気象」誌上での執筆についてはあらかた目星がついて いますので、そちらも併せて追々、調査します。
 なお、小島氏は1954年10月号で足掛け4年にわたって「子供の科学」の天文欄を担当してきたと述 べていますので、「月刊教材教具」と併せて読めれば、小島氏自身の想いに触れることができると 思いますが、「子供の科学」については今のところ全く手が付けられません。
 また、1950年代の輸出向けの天体望遠鏡、光学メーカーに思いをめぐらせていくと、泥沼にひきこ まれそうです。

 沢井実、「1950・60年代の双眼鏡工業とアメリカ市場」、大阪大学経済学.2013.6 63(1) P.151        -P.178
 https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/57113/
 この論文、1950年代の光学産業をイメージする上で、とても参考になりました。

 とりあえず、以上です。





Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   ガラクマ - 2018/08/20(Mon) 07:01 No.11273

garakuma.gif 青色つきこ様。お詳しいご報告ありがとうございます。
これまでで得れる情報は出尽くしたのでは無いかと思っていたところ、驚いております。
疑問の多くが解明されたようで、たいへん興味深い情報です。
小島氏の職歴についても、だいぶん分かってきましたし、単軸赤道儀が小島氏の設計ということ。
小島式と言われる経緯台兼用赤道儀、今考えると自然ですね。

これだけの情報、記録し残さないといけませんと思います。同人誌みたいなの企画したら、どなたかまとめていただけますか(共著でも)。




Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   青色つきこ - 2018/08/20(Mon) 12:37 No.11274

ガラクマ様、みなさま、こんにちは。
まだ、未見の資料もありますので、引き続き、見ていきたいと思っています。
私も、ガラクマ様の意見には賛成です。
よりまとまった形で、残せれば良いと思います。




Re: 【アストロ光学梶z アストロ光学工業に非ず   エド - 2018/08/20(Mon) 23:36 No.11277

青色つきこさま ガラクマさま 皆様 こんばんは*

そうですね〜どの時代の区切りにおいても小島氏の周辺には濃いドラマがあったと想像いたします。
しかし欲を言えば五藤社長以外でリアルタイムに小島氏に関わった人々のエピソードも知りたいものです。
これはちょっと手遅れですが。。。
あと、やはりご遺族の方の協力が得られるならば、とも思ってしまいます。
もちろん、無いものは想像して「小説 小島修輔」を書いても面白いと思います。。。

ところで青色つきこさんの紹介された画像から小島氏本人の名前を“秀介”としている本と“修輔”としている本があるのが判明?しましたネ。
故意なのか?単なるミスなのか?どちらもご本人の執筆なのに不思議です。


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