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ガラクマの ウダ話
お気楽、てきとう、いいかげん 写真付き 日記です。

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冬の青森旅行2020/03/4(水曜) No.573

不要不急の外出は控えないといけない時に、みなさんには申し訳ございません。
これまで頑張って貯めたマイル。JALの「どこかにマイル」ってサービスで妻と2人、伊丹〜青森の航空券をもらって、休みがとりにくい妻が3/4から3日間休みをとって、いくぜ!となったのが1月。
旅行好きの我家。昨年長女と次女が青森に一週間近く滞在。話を聞いて青森。それも雪があるシーズンもいいかと、妻は初めて、私は約40年ぶり。

ここ迄コロナウィルス非常事態になるとは思ってなかったですが、キャンセルしても帰ってこないシステムと、青森も香川もこの時点では、感染者0ということで、迷いましたが出発。

案の定、ガラガラ2−3割の小型機で出発。
飛行機が青森で降下して、雲の下でやっと見えた風景はモノトーン。
まずは、娘らお勧めの「味噌バターカレー牛乳ラーメン」だったっけ?
コテコテな名前程、くどくなくて美味い。うどんの店は少なくラーメン文化圏に来たことを感じる。
さて、今日の宿は奥入瀬。夏に来たことはあるが、冬はどんなだろう。
レンタカー(マーチ、もちろんスタッドレスタイヤ付き)でまずはアイスバーンを十和田湖へ。
あちこちで通行止めだが、なんとか生活道路としては繋がっている。
それにしても、こんな雪道を走るのは、昔スキーや冬山登山をしていた時から20年以上走ったことが無いような気がする。途中で、試しに急ブレーキを踏んでみる。ぎゅっと止まって優秀。優秀。と思ったら、「怖いじゃないの」と妻の烈火の叱咤。さっきまで寝てたのに。


冬の奥入瀬氷瀑ナイトツアー2020/03/4(水曜) No.574

天気が今一つ。と言っても、この地方は、この季節ずっとこんな感じかな?とも理解しながら早めにホテルに入る。
羨望の星野リゾートの前を通って、半額の「奥入瀬 森のホテル」2食付き1万円強。
我家としてはそれでも頑張った方。でも期待を裏切らないスチュエ―ションと食事。
庶民には過ぎたる贅沢として、フランス料理を味わう。
食事だけで、東京なら宿泊代軽くオーバーかな。と素晴らしい。

このまま、温泉に入って熟睡も幸せかもしれないが、実は、この旅行の目玉として予約していた「冬の奥入瀬氷瀑ナイトツアー」。妻と私、若い?男性グループ3人、合わせて5名を乗せたマイクロバスに、美人のガイド(プロではなさそうな。ボランティア?)さんが一生懸命に説明して頂き、ライトアップの為にライト車同行。すごい贅沢なツアー。
2000円/人は、大丈夫だろうかと心配してしまう程の至れり尽くせり。

夏の奥入瀬とは別の景色。氷瀑も良かったが、雪の渓流が美しい、


前原寅吉の望遠鏡2020/03/5(木曜) No.575

朝、優雅な朝食を頂き、八戸にむかった。

個人的に、この度の最大の目的。というか、青森に行くことが決まってから。そうだ!となった訳ですが、
昔、ハレー彗星騒動の1985-86年。その前の回帰1910年に唯一、彗星の日面通過を観測したという前原寅吉の望遠鏡と、その前原時計店(現在は宝飾店)が現存するということで、八戸に見に行った。
まず、八戸の観光、イベント施設ハッチに望遠鏡を見に行った。写真で昔見た当時の望遠鏡がそのままあった。
次に、宝飾店「マエバラ」。事前にアポをとっていたので、3代目、4代目の方に親切にご説明頂いた。望遠鏡を、詳しく知りたいとお聞きした所、ハッチの同行頂き、近くで見る許可を頂いた。
明治時代の望遠鏡。当時国産メーカーの情報はほとんどなく、舶来品と思われるが、不思議にどこにもメーカーの銘がない。箱も見せて頂いたが無い。ヨーロッパ。特にフランス、イギリス、ドイツあたりの望遠鏡は、接眼部、または鏡筒のどこかに銘を刻印していたものが多いと思われる。それが無いのが不思議で逆に国産か中国製ではないかと、疑われたりする。興味津々の望遠鏡であった。



横浜学園高校さんの歴史的望遠鏡2019/12/09 No.571

 数年前、国立国会図書館で手元にない古い雑誌を眺めていて、ふと見慣れない写真をみつけました。写真のタイトルは「日本最大といわれる反射望遠鏡」。天文と気象1949年5月号。
すでに三鷹の国立天文台にはツアイス社製65p屈折望遠鏡が1929(昭和4)年に導入されていましたが、反射望遠鏡としての最大口径のものは1927(昭和2)年に京都大学に導入されたカルバー社製の46p(当時山本一清博士の田上天文台、現在は天体望遠鏡博物館で展示中)でした。
記事では口径は18inch(47cm)とのこと。18inchは現在では45.72pとなりますが、1inchが2.54pと定められたのは1958年だったので、18inchミラーが47cmで日本最大の反射望遠鏡は、まんざら嘘ではないかもしれない。少し驚いたものです。

実際の望遠鏡との対面

 昭和30年代に私立横浜学園高校に移動されたことは記録により分かりましたが、その後のことについては情報が無く、地理的にも近く、私も会員である川崎天文同好会の重鎮たちなら知っているだろうと聞いてみたところ、今もあるらしいという事が分かりました。
 すぐに横浜学園さんへ問いわせし、事務長さんにお願いした所、快く見学させて頂くことになりました。2017年12月3日、日曜日にも関わらず対応して頂き、感動の体面を果たしました。埃をかぶって下を向いた形にはなっておりましたが、見た瞬間、見事に歴史的な資料と現実が頭の中で結びつきました。今後廃棄されることのないよう、もし仕方なく廃棄する場合は天体望遠鏡博物館にご連絡頂きようにお願いして帰りました。

今年2019年11月後半のある日、突然2年前お願いした事務長さんから電話を頂きました。「先日の台風でドームが破損したので解体して撤去したい。望遠鏡を譲るので持ち帰って欲しい」とのこと。

そして、本日。
関東で存じ上げている皆さんに、緊急のメール。どなたかご協力いただける方はいらっしゃいませんか?
そこで、集まってくれた6人衆。お昼からでしたが、何とか解体完了。


みなさん、ありがとうございました。 そこで望遠鏡の歴史 No.572

みなさん、ありがとうございました。

現物の詳しい調査はできておりませんが、とりあえず残る歴史を紐どいてみました。
さすがにこの口径の望遠鏡については、調べると多くはないですが情報がでてきました。

東亜天文協会(現、東亜天文学会)機関誌「天界」1935年2月号(No15(167)、190-192)に、
「六甲星見臺の萑部氏の新反射赤道儀」木邊成麿という製作記を見つけました。
 1934(昭和9)年 春 萑部(ササベ)氏宅に英国よりリンスコット社製18インチ(46p)ミラーが到着
7月末 木邊氏(当時22歳)に相談。
8月 口径31pFl=240pの反射望遠鏡製作することに決め、木辺氏に依頼。
12月末 暫定として口径26.5pFl=209pのミラーを組みこんだ反射望遠鏡が完成
(但し31p鏡筒への交換の記録は未確認)、ミラー以外は西村製作所製 
  1935(昭和10)年 本格的に使用開始
 それに先立ち自宅横に六甲星見臺という観測場所を1933(昭和8)年頃完成させていたようです。

 当時神戸にはスコフィールド氏や改發氏、射場氏という著名なアマチュア天文家がすでに天文台を構えておりました。世界の趨勢はすでにガラスミラーの反射望遠鏡の時代に移っていたにもかかわらず、国が育てた光学技術は日本光学他の屈折望遠鏡であり国立の天文台は屈折望遠鏡に拘り、反射望遠鏡はアマチュアの天文家のものでした。1932(昭和7)年の天文年鑑では、エリソン、カルバー等に加え、1930年神戸の射場氏がリンスコット製31pミラーを組み上げております。1934年天文年鑑(東亜天文協会監修)では、主な天文台とした23の中に私立と思われるものは6、その半数の3が神戸にあったということで、貿易で栄え裕福な町であった神戸には、天文のコミュニケーションが盛んに行われ、萑部氏も射場氏の望遠鏡を参考にしたことは想像に難くありませんでした。

 萑部氏については、「日本アマチュア天文史」(日本アマチュア天文史編纂会編、恒星社恒星閣、1987)や「続 日本アマチュア天文史」(続日本アマチュア天文史編纂会編、恒星社恒星閣、1994)に度々登場いたします。
 萑部進氏、守子氏共に天文学を趣味とし、望遠鏡製作当時進氏は東亜天文協会(現東和天文学会)の掩蔽課に属し、守子氏は遊星面課(後に掩蔽課)に属しており、熱心に観測した記録が残っております。
website天文古玩の角田氏の調査によれば、萑部進氏は東京高商(現一橋大学)を出て、三井物産に入社。イギリス等海外赴任を経験後、船舶部遠洋掛主任。昭和11年には船舶部部長代理となり、昭和3年時点ですでに会社員ながら所得税の高額納税者として紳士録に名を連ねていたというエリートサラリーマンだったとのことです。趣味は音楽と天文学、守子氏ともに島根県出身で、お二人の希望で自宅隣に六甲星見台を1933(昭和8)年に作り、1935年当時は進氏43歳、守子氏37歳、一男二女に恵まれ、忙しい業務や子育ての間に六甲の高台より音楽に包まれ星を見る優雅な趣味の時間を楽しんでおられたようです。

 特に、望遠鏡が完成した翌年1935(昭和10)年は、この新しい望遠鏡を使って進氏、守子氏ともに火星のスケッチや、変光星の観測記録を東亜天文学会に数多く報告いたしておりました。ただ、1936(昭和11)年以降の記録は無く不穏な空気が渦巻く戦争前、戦中、戦後にどのように生き、六甲星見臺がどうなったかは、知る由もありません。

 一方、望遠鏡についてですが、リンスコット製の18inchミラーのニュウトン式反射望遠鏡にレイの6inch屈折望遠鏡が同荷されているはずです。
リンスコットに関しては天界(1926)、6(68)、反射望遠鏡の来歴(二) 中村要、P488に以下の記載があります。
素人界 近年に於ける英国反射望遠鏡
英国に於て反射望遠鏡は最もよく普及し素人の器械として最も活用されて居るがカルヴァーの優秀なる技術の為カルヴァー独占の様な感があり製作者の名前は出てこない。1900年以前に於てはJones或いはLinscott等が知られ殊にリンスコットの鏡は1910年頃まであり19吋まで現在でも可なり古物がある。この頃の望遠鏡會社Wood、Horne and Thornwaite等からも廣告され     たが現在(1926年時点)では全く姿が無い
 同じく19世紀の英国天文界に詳しい角田氏の調査によって、19世紀中ごろ反射鏡が金属鏡からガラス鏡となりその初期に活躍した有名な鏡面製作者のウィズ(またはウイス、George Henry With)が引退した後、その用具一式を買い取って鏡面製作を始めたのがリンスコットではないかとのこと。

 戦後においては、毎日新聞横浜版1958(昭和33)年1月19日にあるように、昭和24年春に横浜市に買い取られ横浜市で開かれていた「日本貿易博覧会」(1949(昭和24)年3月15日〜6月15日)に展示されたというが、天文と気象1949年5月号の写真は、五藤光学研究所で調整中のものを3月19日に撮影されたもので、その時点で六甲星見臺の萑部氏の26p反射赤道儀は、リンスコットの18インチ鏡筒に挿げ替えられていたことになる。横浜市に買い取られてのは昭和24年春で、3月19日に18インチ鏡筒が載っていたのなら、そんなに短期に鏡筒ができないので、それ以前にすでに18インチ鏡筒がついていたものを購入したというのが考えやすく、ただそれ以前のいつ鏡筒交換したかは情報が有りません。
 貿易博覧会には第一会場(野毛山会場)と第二会場(神奈川会場)があり五藤光学研究所で調整された後、第一会場にできた天文館に持ち込まれた。

博覧会終了後は、野毛山会場は遊園地となり天文館はそのまま施設として維持されたが、それもつかの間、1955(昭和30)年10月閉鎖さました。

その後のお話は、(ちょっと間違ってるとこありそうですが)新聞にありました。
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きのう横浜学園へ 屈折式に直せば日本一の折紙 生徒の観測に再び陽の目

この望遠鏡は大阪のあるデパートで売りに出ていたのを去る24年春、市が修理費とも約百万円で購入、同年開かれた貿易博覧会に展示物として出したあと26年4月野毛山遊園地が開園と同時に園内の天文館に納められ小、中、高校生や街の天文愛好家たちに主として塀援護の夜間に利用されていたもので、カールツアイス製の鏡面をもった十八インチのニュートン式反射望遠鏡と六インチの屈折式の二基があり、反射式の方は屈折式にしたら日本一であるとまで折紙がつけられている。
ところが宣伝せぬまま次第に利用者が少なくなると市では維持、管理上面倒であるとして三十年十月にはこの天文館を閉鎖してしまった。そして閉鎖後の同館は隣接の天文参考館ともどもたびたび盗難にあって幾多の望遠鏡の部品のほか参考品もなくなり、雨漏りまではじまる始末。
やがて昨年7月からの国際地球観測年が始まる前後からこの死物化した天文館をなんとかしてはという声が天文愛好家や学園関係者たちの間に起こり、横浜学園では昨年四月市に天体望遠鏡の払下げを申請した。
高校、中学を合わせて女子ばかり約二千人の生徒をもつ同学園には理科教育推進のための新たに鉄筋コンクリート三階建の立派な理科教育館を建てる計画があり、また数年前東京理科大の天文館をつくったという理科の桐山教官がいるので、この理科教育館の屋上にドームをつくり、これにこの天体望遠鏡を収容して天文の特別教室にしようと言いうのだった。
しかしその後、市からはなんの連絡もなく、払下が決まったのは昨年の年の瀬に近いころ。そして手続きその他の関係からきのう十八日はじめて横浜学園への引渡しが行なわれ、横浜学園待望の二基の天体望遠鏡は参考館に残っていた数点の天文資料とともに同日午後三時にはトラックで同学園校庭に運び込まれた。学校では天文館を完成のうえ一般の利用にも供したいといっている。
   横浜学園の話 修理その他に時間を要するし、天文館ができるのは年末ぐらいにあろうが、
小さいほうの望遠鏡は四月の日食観測には使えよう。



一度は見たかった山崎さんの1m2019/12/8(日曜) No.568

 天文雑誌で紹介された筒先から覗く1m反射望遠鏡は驚愕でした。
2年前の原村星まつりで、山崎さんをよくご存じのご婦人と意気投合して、つてができて、やっとお会いできる機会ができました。
ヒポさんと待ち合わせして、国民宿舎やガラス工房がある街が見える高台に登ると道が分からなくなりました。
歩き回ると畑があり、その上に何か手作り感がある倉庫など。

いらっしゃいました。仙人山崎さん。
1m鏡も、イメージのままありました。数年前再メッキされ、現役です。


寒すぎて撤退 No.569

 夜風が吹き、凄い寒い夜。星は見えます。
ヒポさんの熱意に、覗きに出ました。
筒先のアダプターが無く、アイピースを持って望遠鏡で望遠鏡を覗く感覚、短時間ですが星見えました。小口径の様な鋭い点像。

 ただ、見下ろす危なさの、予想どうりの怖さでした。


優雅な夜 No.570

 泊めてもらいました。凄く寒い観測所から帰り、アンコウ鍋頂きました。アンコウ山盛りで豪勢な鍋、初めてでして、食べ過ぎるほどでした。
体に暖かさが戻った後、いろいろ苦労話をお聞きしました。
世界一周のお話。1m鏡制作のお話、観測所製作、運営のお話。本には書いていない面白いお話を頂き、満福で眠りにつきました。



2019’ミザール友の会大忘年会2019/12/7(土曜) No.567

 毎年恒例。お楽しみの古スコマニアの大忘年会です。
N島先生は、また引越しの様な荷物を曳いてきて、展示会
LAELIAの赤道儀は初めて拝見しました。あるところにはあるんですね〜。
〇杉さんが持って来られたカンコーのカセグレン望遠鏡(望遠レンズ?)も、これもまた初めて、ミヤニ式との違いも教わりましたが、酔っ払って忘れました。

今年も京都から、朝一の新幹線で横浜に望遠鏡回収の下見をしてお昼過ぎに到着、さすがに昼から延々10時間を超えると眠くなり撤収。



北八ヶ岳小海星と自然のフェスタ20192019/10/26(土曜) No.563

 初めて参加する星まつり。
昨年参加した方が、ロッジ宿泊券を当てて勢いつきました。

昨日の飛騨天文台から、夜中に白樺湖湖畔の安宿に。
安いのもいいでしたが(朝食付き3000円チョイ)、朝の散歩、おっさん二人でも楽しかった。
語るより、写真かな。


北八ヶ岳小海星と自然のフェスタ20192019/10/26(土曜) No.564

 白樺湖から会場に。途中の展望台で遠くの山並みに感動。

今回は、7名の参加。私達の先発隊3名とは別に、後発4名と現地で合流。現地で横浜からのメンバーとも合流し、8名。
小さなテントに、にぎやかなメンバー達。人数がいると何かと便利です。皆さん、講演に出向いたり、ショップ巡りをしたりで、私は講演は聞けませんでしたが、ちょっと離れた場所に集まっていたおなじみの古スコマニア達と、団らん。有意義な情報交換をいたしました。

持ち込みは、古スコマニア必涎のアストロR-73と、至極の性能と言われながら生産中止となったPENTAX 150SDP。
これ以上ないかと思う組合せで、多くのお客さんがやってきました。ただ宣伝だけで売るものはありませんが、コミュニケーションできるだけで目的達成で、よろしかったと思います。


ところでこの大会、私としては初めてですが、3回目とか。
過去の大会の情報と比較して急激に立ち上がっているのが分かります。

距離的に近い原村の星まつりは歴史もあり、私も相当回数参加しておりますが、最近ショップを絞ったり、会場の制限があり頭打ちになっているように思いますが、本大会は現時点では及びませんが、出店は、No1の胎内に迫る勢い。自治体や会場のリゾートホテルのバックアップも凄い。

ハイぶりっ子ちゃんのセクシープロポーションにも目がいってしまします(ちょっと恥ずかしく写真撮れませんでした)。
https://hybriko.jimdo.com/

お客さんとしても、仲間たち、古スコマニアも集まってきました。
(写真は、エドさんからもらいました)

ここ数年で、迫る勢いになるのは必至。追い越してしまうかもと思ってしまいます。


小海星と自然のフェスタ2019 2日目2019/10/27(日曜) No.565

朝、会場がオープンする前に、日本最高所の標高2115mにある湖、紅葉の名所、白駒の池に全員で行きました。
白樺湖、会場周りは紅葉のピークの感じがしましたが、標高2115mにある湖、白駒の池は終わってしまっておりました。
ただ、苔が多い深い森は、原始の雰囲気。もののけ姫の世界でした。


古スコマニアのご婦人2019/10/27(日曜) No.566

古スコマニアの私には。今回楽しい出会いがありました。
土曜日にR-73を食いつくように見ておられ、お聞きすると、私たちがここに来ることを知って、ご家族づれで楽しみにしていたとのこと。
私(ども)の活動、この掲示板、その上にCloudynightsのCkassic TelescopeのFourmnまでチェックされていて、私の投稿もご存じのようで、びっくりしました。
日曜は朝から、TANZUTSUを4台持ってきていただき、私も知らないウンチクをご披露いただきました。
私と同じく、一眼レフファインダー付TANZUTSUをe-Bayとかで探しているらしく、情報交換させてもらおうかと思っております。
(写真、情報UPの了承いただいておりますが、さすがにお名前、お顔は伏せさせていただきます)
それにしても、楽しい発見、出会いです。おっとPayPal口座を復活させないと・・・
TANZUTSUの114mmにエイコーの一眼レフファインダー(実は東和光器製作所製)は知っていたのですが、76oにも一眼レフファインダーがあったのこと。
TANZUTSU自体が安価なトイスコの類ですが、TANZUTSU銘の無い”偽物?コピー品?”もあるようで、奥が深いです。

あと気になったのが、5cmくらいのニュートンとカセのカットモデル。
販売されるようで、TANZUTSUとは別の意味で、どんなに見えるか、欲しいです。

現地でしか出会えない情報の数々。情報は足で集める・・・得心しました。



飛騨天文台 (京大天文台ツアー その2) 65p屈折望遠鏡2019/10/25(金曜) No.559

 飛騨天文台は年間1,2回の一般観望会以外は一般公開しておらず、遠方でもあることでなかなか機会が無かった。
今回、京大の先生のつてで拝見できるようになり、小海町の星フェス参加のついでに出向いた。

昔から一度は拝んでみたかった65p屈折望遠鏡、10mを超える焦点距離もすごい。三鷹のもののほうが少しは大きいかもしれないが、なにせ現役。
近くでみる迫力は凄い。床の昇降機も動き、無理なお願いで望遠鏡/ドームを動かせて、レンズまで見せてもらった。

https://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/general/facilities/


飛騨天文台 (京大天文台ツアー その2) ドームレス太陽望遠鏡他2019/10/25(金曜) No.561

くもっていたので、何も天体を見ることはできませんでしたが、65p屈折の迫力に圧倒され、お腹いっぱいになっていたところ、そういえば今のここの売りはドームレス太陽望遠鏡だったのでは、と案内してもらった。
すでに日が暮れた後で、外観も見れなかったが、内側から見てもすごいことが分かる。
 
 太陽を32(?だったか)分割の一つ一つに補償光学系のセンサーがあり、補正する為に裏から薄膜ミラーを多点のマニピュレーターで裏から圧力をかけることで、リアルタイムにミラーを変形させて追従させるらしい。
光路も1/2程約15m真空になっており、経緯台の為、日周運動追尾で視野が回転することに対しても、多くの光学系と共に真空チューブ自体も回転するとのこと。
https://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/general/facilities/dst/

この天文台最古の60p反射望遠鏡も見せてもらった。木辺鏡らしく、合成焦点距離もF20、12mとのことで65p屈折とも近い。
また、津上製作所(現潟cガミ)製というのも珍しい。


飛騨天文台 (京大天文台ツアー その1) 花山天文台 2019/9/29(日曜) No.562

 息子も理学部だったし、つてでいくらでも来れる機会があったのに、来たことが無かった花山天文台。

自作望遠鏡にありそうな公式クック/ツアイスの45pもなるほどです。
いろいろ案内して頂きました。
このつてを通じ、飛騨天文台の見学になりました。



函館 弾丸ツアー2019/10/9(水曜) No.553

 何気なく見た新聞の広告。高松から乗り継いで函館空港着、1泊2日。現地滞在は約24hの弾丸ツアーを発見。値段も手ごろ。
旅行好きではあるが休みが取れない妻に言うと、予定していた立山黒部よりこっちのほうがいい。と決まった。ただ残念なのが日程。紅葉の時期に予約していたが、不催行の連絡(飛行機の座席が抑えられなかったとのこと)。しょうがないので、催行されそうな10月9日、10日のツアーに決定。高松空港発から自前で飛行機、宿をとるより圧倒的に安い。

函館弾丸ツアー1日目
 高松空港9時集合、羽田で昼食をとり、函館空港に14時過ぎに着。
ツアーなので飛行機の席も流行会社任せなのだが、いつも自前で予約する席とほぼ近い。
羽田行は左窓際で、富士山が見えたのが良かった。函館も晴。
午前中までは天気悪かったらしいが、回復。結局、旅行中はほぼ快晴となった。

初めにトラピスチヌ修道院。歴史ある施設で簡素ながら美しい。観光地化されているが、内部や修道女の生活に関しては厳しい戒律に従い、外部との接触もなく守られているとのこと。そうでないといけない。近隣にも公園があり、こちらも美しくじっくり見たく思ったが、なにせ弾丸。


弾丸ツアー 五稜郭2019/10/9(水曜) No.554

2番目には五稜郭。白いタワーが青空に生える。7−8年ほど前に来たときは、12月だったか?紅に染まった落葉の絨毯が、タワーから見下ろせて美しかった。今回は少し早く、木々はまだ青々としていたが、それでも美しかった。

次は立侍岬。函館山から南に突き出した岬であるが、強い風で撤退。


函館山の夜景2019/10/9(水曜) No.555

その後、ベイアリアで散策。遠くに函館山が見える。

 今回メインの函館山からの夜景。前回はシアターで函館のコマーシャルビデオ、夜景の説明を受けて、最後に予想外にスクリーンが巻き上がり、そこが大きな窓になっており、観客の大きな歓声とともに、生の夜景がライブで見えるという趣向に驚いた記憶がある。妻にも見せたいと思ったが、シアターは「貸し切り」表示で残念。
 ただ天気もよく、平日にもかかわらずたくさんのお客さんでごった返す中でも、十分に夜景を堪能できた。


ハセガワストア と えも言われぬ夜景2019/10/9(水曜) No.556

ホテルには19時半に到着。夕食はなるほどのバイキング方式。
夜景が売りの函館では、到着時刻の予定がずれたり遅くなりがち、これだとお客さんの都合に対応できる。イカをメインに海産物をお腹いっぱい。

今回、北海道のコンビニ、セイコーマートのアイスを食べようと思っていたら、函館にはもっとレアなハセガワストアというコンビニの存在を知った。バスガイドさんに教えてもらって、酔っ払い気味の妻を引いて突撃。
 メロンもなかも独特であるが、カボチャアイスが良かった。

 今回の旅行で、もっとも良かったのがこのホテル、湯の川温泉の露天風呂だった。
温泉自体が波打ち際に建っており、潮騒と潮風が感じられるいいロケーションにあるのだが、今夜は月齢10くらいの月が、真正面、いい高さに見え、海に映った月光が光る様、遠くのイカ釣り漁船の淡い光が、絵画のような美しさであった。
俳人や絵描きでなくても、気持ちを動かされ何か残したいと思う時代を超えた美しさと感じた。(写真は、部屋から) 


朝市、元町、大沼公園2019/10/10(木曜) No.557

ホテルでのバイキング式の朝食の後、朝市へ。
ここは、何回か来たが、調べて行かないとボラれるイメージがあったが、それほど恐れることはないのが分かった。おいしいものをつまみ食いするというのも朝市の魅力であるが、育ちが卑しい私は朝食で食べすぎ、何もほしくはなく、摩周丸を遠めに見て一休み。
その後、元町観光で、北海道開拓の入口となった函館の歴史や、風景を楽しんだ。

個人的にメインと思っている大沼公園へ。前回は時間をかけて散策と遊覧船の観光を楽しんだが、今回はなにせ弾丸。
モーターボートでの観光と近隣の散策。ただ天気も良く密度の高いものであった。


帰り。空から楽しむ2019/10/10(木曜) No.558

 街角ウォッチング。
3ヶ月前に訪れた札幌や苫小牧に比べて違う。カラフルな屋根は同じであるが、雪止めが無い家も多く、かつ2階から入る為の梯子もない。縦型信号の率も少ない。雪が少ないことが分かる。
港町で強風も予想されるが、海際でない限りコンクリート造りの家も少ない。北海道の中では温暖なんだろう。和洋折衷建築が多いのは港町、特有。
街路樹はナナカマドが多く、濃い緑の葉に赤い実のコントラストも眩しい。

 函館空港から帰路についた。とりあえず成田だが、天気が良く。窓際もあってよく風景が見える。
函館を上空から眺め、青森の西海岸13湖、男鹿半島、八郎潟もよく見える。その後雲も出てきたが、この航路初めてなので、興味津々。

 羽田で乗り継ぎ19時過ぎに高松空港。
妻の感想としては、旅行は疲れるので2日くらいでちょうどいい。とのこと。いや、私はもっと長いほうがいいと心で思った。
とはいえ、天気も良く密度濃い充実の2日間であった。

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