05070336
古スコ広場 
天体望遠鏡、特に古スコの為の掲示板ですが、まあ適当にどうぞ

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アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡  投稿者: エド 投稿日:2019/03/04(Mon) 00:52 No.11645

皆様 こんばんは!

アストロ光学の調査も手詰まりの感があったのですが、今年になってご遺族の方の所在がわかり、
一昨日、ガラクマさん、青色つきこさんと私で訪問してまいりました。

昭和35年11月号の「天界」、野尻抱影先生の「故小島修介君」寄稿文の文末にある
“願わくば残されたご遺族の上に幸あれ”という願いどうり、ご長男、ご次男、ご息女の3名全員が
ご健在であったのは、我々にとってとても喜ばしいことでした。

これから徐々に写真を主にアップしていきます。

まずは、出生の年月日がハッキリいたしました。
大正5年12月27日です。

最初の写真は、ガラクマさんが“ガリガリ博士”とお呼びしている児玉氏からいただいた、
昭和8年、五藤光学に入社してまだ日が浅い頃の、初々しい書生のような17歳の頃の写真(右端)です。
山本一清博士もまだお若いです。





Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   ロッド - 2019/03/04(Mon) 12:33 No.11646

これは素晴らしい!!幸運ですね。
さぞかし喜ばれたことでしょう。
今この時代にも、修介氏のファンがこれほど多いと知って。
今後ますます楽しみになってきましたね。

山本一清博士のサイン入り!
の著書を古本屋で見つけました。





Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   ガラクマ - 2019/03/04(Mon) 23:37 No.11647

garakuma.gif エドさん。ロッドさん。皆様。

いや〜。楽しかったです。
エドさん(当然私らも)が食いついてきた逸品。これが、伝説の・・・





Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   エド - 2019/03/05(Tue) 00:25 No.11648

皆様

ちょっと補足しますと、五藤光学に在籍中、陸軍に招集されて(年代は正確には不明)従軍し、
支那事変がひと段落したので、国内の部隊に戻ってきます。(この時点で上等兵だったんですね)
当時、無事に戻ってきた部隊には多くの叙勲者がいたようですが、
それにしても叙勲されるとは。。。我々凡人には想像できないことです。
ここで注目は、中国戦線には一歩兵として従軍していたと点です。

まだ、太平洋戦争が始まるまで1年以上あり、たぶんその間に相模原の陸軍兵器学校へ入学し、
主席で卒業します。
その時褒賞としていただいたという銀時計がそれです。
その精工舎の銀時計は裏蓋が開くようになっていて、大柄かつ精巧なムーブメントがよく見えました。
そしてネジを巻くといとも軽やかに動き始めました。
吊輪の金具が無くなっていて、それが外れた時に落下したのでしょうか、風防ガラスにヒビが入っています。
大切なのは、これで歩兵から兵科が決まった(軍隊のなかの技術職になった)ということです。
歩兵だったら生きて返ってこれなかったかもしれません。これも幸運です。




Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   青色つきこ - 2019/03/05(Tue) 20:59 No.11649

みなさま様、こんばんわ。

今回、小島氏のご家族から「月面図」(1951年)のコピーを頂きました。

定価60円と記されているので、第一刷(定価50円)ではありませんが、
「月面図」自体を、私は初めて見ました。
小島月面図は、地人書館から発行されましたが、三つに分けられる
と思います。

@ 「月面図」(1951年)  
    東亜天文学会月面課 小島修介
    これが、今回いただいたコピーです。
    
A 「最新 月面の地図」(1958年?)
    当初は日本天文学会々員 小島修輔 (題名も「月面図」)
    実際には 日本テレスコープ社長 小島修介 → (亡くなられたので肩書なし) 小島修介
    これには教授用の掛け軸になっいるバージョン(A全版、二色刷)があります。
    「最新 月面の地図」の実物については、見たことがありません。
    発行に合わせて小島修輔「新しい"月面図"の特徴」を「天文と気象」1958年10月号に載せています。

B 「新版 月面の地図」(1970年代?)
    肩書なしで小島修介
    これは、天文をやり始めた頃に買ったものが私の手元にあります。

小島氏が月面図を発行した時期は、それぞれ五藤光学研究所、アストロ光学(株)
を辞めて、時間的にはゆとりができた頃です。
逆説になるかも知れませんが、自分の研究テーマでもある月のクレーターの成因を
考えるために、月面観測に取り組むために天体望遠鏡製作の現場から自ら離れたと
も言えるかもしれません。
マクロ光学を、なぜ辞めたのかも、わかりませんが。
月ロケットによる月面探査に合わせて、第1版の月面図を大きく改訂する為?

小島氏が自身の月面図を作成するにあたって、何を基礎としていたのか。
ウィルキンスの月面図、グッドウェーカーの月面図でしょうか。
比較に部分ですが、載せてみました。
アリスタルコス・ヘロドトス付近の「月面の地図」を1958年としてますが、
「新版 月面の地図」から取ったものです。月面図自体には、変更はない
と思います。

残念ながら、「最新 月面の地図」が手元にないので三者の比較ができませんが。
いずれ、比較してみたいです。





Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   エド - 2019/03/07(Thu) 21:10 No.11650

みなさま こんばんは。

青色つきこさんがそんなに月面の造詣が深いとは驚きました。
修介氏も、戦地中国で明るい月を眺めながらクレーターのことを考えていたかもしれません。

さて、写真はまた戦中に戻ります。
左は軍曹に進級した記念。ペンで修介氏直筆の説明があります。
右は服務の様子です。(襟章より曹長です)
後ろの本がどういった内容のものか見えないのが残念です。





Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   エド - 2019/03/09(Sat) 23:05 No.11651

みなさま こんばんは。

また月面図へ戻りましょう。

確かに修介氏がいかに絵が上手だったとしても、白紙上にいきなり目視したクレーターを書き始めることはできなかったと思います。
縮尺をきちんと合わせて描かないとひずみがでますし、正確さが損なわれてしまいます。
まず考えられるのは、アストロ光学初期のカタログ写真にあったように、小型屈折赤道儀に35mm版一眼レフを取付けて拡大法で撮った写真からスケッチを起こす方法。
しかし、この方法は機材的にもフィルムの入手にしても、昭和30年代以前では不可能だったと思います。
もうひとつ原始的なやりかたとして、レチクル入りのアイピースを用いてスケッチをしながらクレーターの大きさを同時に測定する方法。
これなら月面のスケッチ(月面図)なるものを、お金をかけずにそこそこ正確に描ける方法ではないかと思います。
しかし、この方法では直径60センチなりの全図とするときに、膨大な尺度の換算が必要になるはずです。
そこで“計算尺”の出番となり、計算尺を使っているうちに新たな計算スケールのアイデアが浮かび、
これを実用新案で出願した、、、という推理はいかがでしょうか?

ところで、野尻抱影先生が「せっかく“月面図”題字の書を選んでやったのに」とボヤいたものは、
月面図面のほうに使って、本の表紙題字はその活字にしたということだったんですね。




Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   青色つきこ - 2019/03/10(Sun) 00:29 No.11652

みなさま、こんばんわ。

エドさま、月面図については、修介氏が、どのように作製したのか、その過
程について興味があります。
1951年に完成していると思われますが、修介氏は昭和27年としていたり、ち
ょっと時期は微妙ですけど。
先行して、国内では、村上氏の「全天星図」(1940年)に月面図が載っていま
すが、直径20cm程度でしょうか。(クレーター名は112個)
1949年の天文年鑑にも小さな月面図が載っています。
国外では、BAAのグドウェーカー、ウィルキンスの月面図が既にありました。


「DIGITAL MUSEUM OF PLANETARY MAPPING」で欧米のいろいろな月面図がみれ
ます。歴史的なものも含めて、いろいろです。
https://planetarymapping.wordpress.com/category/body/earth-system/moon/

小島月面図も載せてもらいたいものです。


修介氏についての北海道時代の情報は、野尻抱影氏の「日本の星」「日本星名
辞典」にあるものだけでしょうか。内容的には同じですが、「日本星名辞典」
の記載が詳しいので、下記に載せておきますねぇ。

「わたしは、昭和七、八年ごろ、星のファンで函館の一店員だった小島修介氏
に頼んで、アイヌ研究で高名だったジョン・バチェラーさんから、十種ほどの
星名を教わることができた。」(野尻「日本星名辞典」p189)

この時期、海鮮問屋又は味噌問屋に丁稚奉公しており、野尻氏と文通しており、
出身地の小樽から函館に出ていたのがわかります。

これ以前の修介氏についての情報は無いのでは。




Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   青色つきこ - 2019/03/10(Sun) 22:22 No.11653

みなさま様、こんばんわ。

小島氏の「月面図」についての続きです。

1951年に地人書館から出版された「月面図」ですが、これに先立つもの
として東亜天文学会月面課用の月面白図について、「天界」1950年12月号
に小島氏の記述がありますので抜粋しておきます。

「何分戦災で総てを失い、終戦後、野尻先生、中野繁氏、坂上務氏、村上
定男氏等の御援助によって漸く準備が出来、近く月面課用として月面固有
動詞(符合を含む)を有する地形を記入した直径約70糎(1粍が5粁)の月面白
図を完成させ陽画感光紙に焼いて実費で御分けする予定である」
(小島修介「月面観測について」『天界』1950年12月号 p-404)

ただし、これが実際に配布されたのかは確認できません。
でも、これが小島「月面図」の前段階のものでしょう。

月面図作製にあたり使用した天体望遠鏡についてはわかりませんが、五藤
光学に在籍していた頃から取り掛かっていたでしょうから、五藤の10cm屈
赤を使用していたものと思いますし、その他の小口径屈折も使用していた
でしょう。ただし、小島氏本人が個人所有していたのかは定かではありま
せん。

小島氏が月面に関心を持ち始めたことについては、

「昭和5年、14才くらいからで、もうあれから30年にもなる。本格的にな
ったのは戦後であるが」
(「月面の地形分類とその成因をさぐる」『天文と気象』1960年2月号)

「天文に興味をもつようになったのは、小学校時代に先生が手製の単レンズ
望遠鏡で、地平から上がったばかりの満月を見せられたのが病みつきになっ
たものである」
(「月の話」『月刊教材教具』1952年2月号)

と記している。




Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   エド - 2019/03/13(Wed) 20:58 No.11657

皆様 こんばんは。

月面話題の締めに修介氏のご長男が最近撮られた写真を紹介いたします。

*天文の趣味は全くない方です。
 写真のプロでもない方ですが、きれいな月を撮影されました。
 血は争えないです。





Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   青色つきこ - 2019/03/14(Thu) 00:11 No.11658

みなさま、こんばんわ。

小島修介氏が望遠鏡について書いた最初の記事は、
「反射望遠鏡 鍍銀法」『天界』1950年7月号pp.213-214
でしょうか。
肩書は五藤光学研究所になっています。

この中で、反射望遠鏡と屈折望遠鏡を比較しています。
6寸の反射と3寸の屈折についてですが、6寸の反射は
3寸の屈折よりも安いが、大きくて重く取り回しが悪い
こと、3寸の屈折よりもよく見えるとは限らない旨を述
べています。使いこなせれば有効に使える旨も付け加え
ていますが。どちらかと言えば、小島氏は屈折派でしょ
うか。

また、アストロ光学(株)時代には、
「反射望遠鏡の製作ガイド」『科学画報』1956年7月〜9月号
「天体望遠鏡の作り方」『子供の科学』1956年8月
があります。
「天体望遠鏡の作り方」は屈折望遠鏡編です。
どちらも、アストロ光学(株)の自作キットの宣伝の意味合
いが強いです。

五藤斉三氏も天体望遠鏡の自作について「少年朝日」1949年
の号に記事を掲載していますねぇ。五藤光学にも自作キット
があったのでしょうか?




Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   もも - 2019/03/14(Thu) 00:39 No.11659

みなさま。
こんばんわ、ももで〜す。
スレ違いになりますが・・・

理科教材社はどんな立ち位置になるのでしょうかしらん?
その昔・・・
そこから4cmF20の望遠鏡を買ったものですので〜




Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   ロッド - 2019/03/14(Thu) 06:00 No.11660

皆様、ありがとうございます。
小島修介氏の事がいろいろわかって嬉しいです。
望遠鏡の設計者、会社経営者というよりも、
月面研究家という面のほうが大きいという感想です。

アストロ光学の望遠鏡は、どれも月面用には好適ですね。
観測家であった小島氏が設計したので、使う立場に立って作られています。
しかし私のように彗星が対象の場合には不向きです。
月を見ることしか考えていないので、視界が30分あれば十分という考えで作られています。
ドローチューブが細くて24.5サイズしか使えません。
彗星の場合には視界はできれば3度以上、最低でも2度欲しいです。
F15の屈折でもドローチューブを太くして50mm以上のアイピースを使えば実用になります。
短焦点レンズに比べコントラストが良いので極限等級が良くなります。良像範囲も広いですし。

屈折と反射の優劣については、私も同じ考えです。
3寸と6寸を比較するのは極端ですが、
当時の反射はメッキが悪かったので、そんなところでしょうか。
月惑星の場合には高倍率を使うので、気流の問題も不利ですね。
8寸以上になれば反射しか選択肢がなくなりますが。
銀メッキは論外ですが、アルミメッキも保護膜なしの物はちょっと触れるとキズがつきますし、劣化が早いです。
すぐに反射率50%以下に落ちてしまいます。
優秀なミラーには保護膜なしのほうが良いと言われていたので、足立光学に注文するとき保護膜なしを指定したのは失敗でした。1年後に再メッキになってしまいました。
70年代から保護膜付きが当たり前になってすごく良くなりました。半永久的な耐久性です。
昔の本には「反射は再メッキなど保守が面倒」と書かれていますが、それは過去の話ですね。
しかし、90年代の製品でも一部の安物にはメッキが悪い物が存在しました。




Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   エド - 2019/03/14(Thu) 21:59 No.11661

皆様 こんばんは。

ようやく戦争が終わり、修介氏も復員します。
サイパンから復員と書いている文献がありますが、ご遺族曰く“トラック島”とのことです。

結婚についての詳細は、五藤斎三氏の自伝より野尻抱影先生の“天界”寄稿文のほうが正しいです。
(ただ、奥様のご出身が金沢であるという点だけは事実です)
それにしても野尻先生、なんぼ修介氏の親代わりとはいえ手厳しいです。

後に奥様方の親戚に大いに助けられることになるとは、この時点では想像していなかったでしょう。





Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   青色つきこ - 2019/03/16(Sat) 20:40 No.11675

みなさん、こんばんわ。

米国スイフト社が1960年に販売を始めた天体望遠鏡Swift831,838,839は
小島修介氏の創案に拠るものとの記載がありましたので添付して置きます。

マクロ光学工業、日本テレスコープと米国スイフト社との関係、相互産業
の関わりについては、国内だけの調査では限界を感じてしまいます。

Download:11675_1.pdf11675_1.pdf





Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   ロッド - 2019/03/16(Sat) 21:40 No.11676

スイフト社の広告を読んで感動しました。
「ドクター小島修介」になっていますね!!
すごく高い評価です。

三層コートのエナメル焼付塗装。
高性能な器械は外観にもこだわる。
こちらの画像ですが、ピカピカのS-5赤道儀に、当時小学生だった私は魅了されました。

小粒でもピリリと辛い。
小口径なのに、これほど高品質の天体望遠鏡は世界広しといえども、他には存在しなかったに違いありません。
移動式の実用的な小型赤道儀といい、まさにepoch- making(画期的)な新時代のアマチュア向け天体望遠鏡に、皆さん目を丸くして驚かれたものと思います。
重箱の隅をつつくような細かい事ではなく、設計思想の根底に流れる極めて基本的な事が、非常に優れていたのでしょう。
小島氏は、ご自身が作る天体望遠鏡を単なる機械ではなく芸術性の高い「作品」と考えていたのだと思います。

実際に彼に会ったことがなくても、彼の製品を一目見れば、機械に詳しい人なら価値がわかります。
彼の製品には優れた絵画や彫刻と同じように、彼の人となりが表れていて、まさに彼の分身ですね!
それだけのオーラを発しています。だから海外にもファンが多く今日でも評価が高いのだと思います。

ご自身が他界された後に、海外の人々からもこれだけ高い評価をしてもらえる。
素晴らしい事ですね!!
本当に日本が世界に誇れる、歴史に残る優れた技術者だと思います。





Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   ガラクマ - 2019/03/17(Sun) 01:20 No.11677

garakuma.gif 青色つきこ様
 RCAジャーナルまで、よくチェックされてますね。さすがです。
参考に、記載のあるSky&Telescope1961年12月号の広告を添付します。
ついでに、1年後、1962年12月もおまけで。

ロッドさん。
S-5赤道儀って、小島修介さんが一晩で設計したとの逸話が残っているらしいです。





Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   エド - 2019/03/17(Sun) 21:45 No.11680

皆様 こんばんは。

次の写真は、草下英明氏の「星日記」(1984年 思想社刊)より拝借いたします。

*修介氏の写真はご遺族のもとには驚くほど残っておりませんでした。
 修介氏は会社人間で、ほとんど家にいなかったとおっしゃっています。
 
昭和26年 五藤光学を退社し、アストロサービスセンターという個人会社を設立して、
望遠鏡を担いで地方をまわって啓蒙活動をしたり、望遠鏡の修理をしたりし始めた頃、
野尻抱影先生に同行して仙台の七夕祭りを訪れた時の写真です。

七夕祭りの人ごみの中で草下氏が偶然ばったり二人に会ったという、幸運なショットです。





Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   青色つきこ - 2019/03/18(Mon) 00:04 No.11681

みなさま、こんばんわ。

野尻抱影氏の「星三百六十五夜」(中央公論社 1955年刊)の中に「仙臺の七夕祭」
(p231)という随筆が収められています。
「終戦から数年後、私は仙臺公民館から招かれたのを機会に、七夕祭を見に行った。
(中略)私は夕方から広瀬川に近い公民館で話をしてから、見物して歩いた。
(中略)私は友人と、その人波に押されながら歩いていたが.......」
草下氏の文章から、野尻氏がここで友人といっているのは、小島修介氏のことと思
われます。
「星三百六十五夜」には、小島修介氏について直接触れている「軍靴」の他に、友人
としか記されていませんが「仙臺の七夕祭」が載っています。

小島氏は、アストロ光学(株)を1954年11月に設立しますが、輸出先に選んでいた
のは米国のタスコ等でしたが、なんでなのでしょうか。
タスコは、何でアストロ光学の製品を売っていたのでしょうか。
日本精光(ユニトロン)や五藤光学(米国のどこかの会社のOEMとして輸出していたのか、
五藤光学として出していたのか、未調査ですが)よりは、アストロ光学の製品は安い
し、性能も良いし。でも、タスコは、それを良く理解していたのでしょうか。
自問自答してしまいます。
その点、私は限られた情報しか持ち合わせませんが、スイフトは良く理解してくれた
ようですよ。小島氏が日本テレスコープを立ち上げた理由は、そこにあったのかもし
れません。日本精光がユニトロンと結びついたように、小島氏はスイフトと。
小島氏が亡くなったので、高橋製作所とスイフトが。
でも、高橋製作所が自社ブランドで独立したので、スイフトはエイコーや東和と結び
ついたのでしょうか。(これは、別の話になりますが)




Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   Taki - 2019/03/18(Mon) 23:50 No.11682

ガラクマさん、皆さん、こんばんは

アストロ光学の話題ついでに教えてください。
このシリアル番号からして年代はいつごろか教えてください。
資料館のどのカタログでしょうか?





Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   青色つきこ - 2019/03/20(Wed) 00:45 No.11686

みなさま、こんばんわ。

アストロ光学工業(株)の R-108型ですが、いつ頃のものなのか。
シリアルナンバーに法則性が見いだせれは、いいのでしょうが。

ケンコーの望遠鏡のものは、5から始まっているものがありますが、
どういう法則なのか。さっぱり、わかりません。

ところで、アストロ光学工業(株)ですが、前期・中期・後期と便宜上、区分すると
前期については、次のとおりです。前期は小松良基様の縁者の方々です。

1958年〜  社長 小松良基 
1966年頃〜 社長 小松加代 (小松良基様の奥様) 
1970年頃〜 社長 青木英夫 (小松良基・加代様の娘婿)

前期は、小島修介氏の設計思想を汲んだ望遠鏡、その改良型を製造販売しています。
いま、私が興味があるのは、D=60mm f=1200mmのR61-D型の前身のR60型?です。
1958年以降の輸出を考えても、木箱の寸法は制限が多々あったと思われます。
アストロ光学(株)及びアストロ光学工業(株)の主力商品でもあったf=910mm の
望遠鏡の木箱に、当然、新型のf=1200mmの鏡筒は収まりません。
鏡筒の一部をスライド(使用時は引き伸ばして、保管時は縮めて)させていた?
R60型? ご存知ありませんか。
それとも、木箱も大きくなった?
アストロ光学工業(株)の初期のカタログ、1958年〜1960年代前半のものを見てみ
たいものです。

アストロ光学(株)の豊島区要町にあった社屋が、先に紹介された労働争議の過程で
アストロ光学工業(株)に賃貸借されます。この建物が、どうなっていったのかも
興味がありますが。

小島氏のアストロ光学(株)の経営方針(再掲)、建物イラストを載せておきますねぇ。





Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   ロッド - 2019/03/20(Wed) 01:50 No.11687

青色つきこ様
ありがとうございます。
小松家の同族経営だったのですね。
おかげ様でわかりました!
青木さんなら知っています。
石川町スターライトフェスティバル第一回の会場でお会いして、親しくお話していただき天頂プリズムを頂きました。
奥様とお二人で来られていて、威風堂々、貫禄のある方で、奥様も気品のある方でした。
奥様が初代社長さんの娘さんだったのですね。
私が「S-5型が欲しい」と言ったら、売れ残ったS-5型を大量処分した話をされ、「今はもう無い」との事で、とても残念に思いました。

ところで、Taki様の望遠鏡ですが、
私はシリアルナンバーの事はわかりませんが、
形状から判断して、昭和50年頃?これは意外と新しいと思います。
1)鏡筒バンドが2本になっている。
2)極軸南端が延長されている。LN-6Eもこの時期に同じく変更されました。
3)モーターが極軸の下ではなく横に設置されている。旧型は下に付いています。

私の10cm屈折(鏡筒自作)ですが、旧型R-102の鏡筒バンドだけ入手できたので、アストロLN赤道儀に搭載しました。





Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   Taki - 2019/03/20(Wed) 13:51 No.11688

ガラクマさん、皆さん、こんにちは

青色つきこさん、ロッドさん、ご回答ありがとうございます。
そうですか、シリアル番号からは製造年代を探るのは難しいのですね。
まあ、寄贈していただいたご本人に聞くのが一番の近道でしょうね。
製造した時期と購入した時期は一致いないので、念のため調べたかったのです。
スークーさんによれば後期型だとおしゃっていました。
鏡筒バンドの件、長老は性能や強度など、気に入らないと
純正から改造をアストロにお願いすることも十分に考えられる性格なので、
これについても聞いておきます。


ご回答、ありがとうございました。




Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   エド - 2019/03/21(Thu) 01:16 No.11689

皆様 こんばんは。

また写真に戻ります。

修介氏は結婚後、順調に子宝に恵まれました。

写真は昭和27年夏のご自宅前で遊ぶご長女&ご長男氏です。

それにしても東京とは思えないほどのどかな景色です。。。
地面がまだ土だった頃、懐かしすぎます。。。

修介氏の“アストロサービスセンター”は2年ほど活動されていたようですが、
その後旭光学(PENTAX)へ入社されます。
しかし、旭光学時代の足跡は、期間がとても短かったためか残っていません。
どなたか、旭光学時代の資料や写真をお持ちの方がいらっしゃいましたらご投稿をお願いいたします。





Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   スークー - 2019/03/21(Thu) 07:09 No.11690

Takiさん、
N長老さんが10.8p鏡筒を入手された時期は、ご本人にお訊ねすれば良いのですが、例の土星の連続組写真からも判ると思います。
のちに木製自作経緯台(これすごいです)から赤道儀に載せ替えたのも、同様にわかると思います。

(青春18きっぷの旅先より)




Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   ロッド - 2019/03/21(Thu) 14:08 No.11693

エド様
貴重な写真を公開してくださり、有難うございます。
本当に貴重な光景で、小島修介氏のファンとしてはとても嬉しいです。

スークー様
N長老さんで何となくわかりました。
天ガ69年1月号「私の愛機」に載っている方ではないですか?
こういう趣味の人大好きなので、昔から気になっていました。
お会いする機会がありましたら、宜しくお伝えください。
天体写真も何度か入選されていますね。
木製自作経緯台は写真が小さくて構造がわかりませんが、かなり凄そうです。

しかし不思議なのは、69年当時の物は対物レンズはアストロ製で鏡筒は自作?
上の写真と比べるとガイドスコープは付いていないし接眼部も違うように見えます。

この望遠鏡に惚れ込んでいて、後年完全なセット品をまた購入されたのでしょうか?
69年当時は赤道儀はまだ旧型でしたので。




Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   Taki - 2019/03/21(Thu) 20:47 No.11694

ガラクマさん、皆さん、こんばんは

スークーさん、情報ありがとうございます。
はい、日曜日に会うので聞いてみます。




Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   青色つきこ - 2019/03/23(Sat) 01:51 No.11695

みなさま、こんにちわ。

小島修介氏の五藤光学勤務時代に考案した製品の内、3点を紹介しておきます。
それと1957年年頭挨拶、人工衛星がいよいよ打ち上げられます。
そして、雑誌「少女」にアストロ光学提供のグラビアが載ります。
この少女たちの中に小島氏の御息女もいらっしゃいます。
覗きこんでいる姿は、さまになっていますので、すぐわかると思います。





Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   ロッド - 2019/03/23(Sat) 08:15 No.11696

青色つきこ様
興味深い資料をありがとうございます。
南天赤道儀は前から自作してみたいと思っていました。
小森幸正氏の「天体望遠鏡ガイドブック」P100に原理が解説されていますが、この正式な設計図は嬉しいです。
これも小島修介氏だったんですね!
画像は五藤光学の20cm反射南天赤道儀。

一見して経緯台のように見えますが、かなり違います。
各部にボールジョイントが採用されています。
上下桿は南側に固定されています。
水平回転部(正式名称は垂直軸)が上下桿支持部より上にあるので、微動ハンドルを回すと上下桿が傾いてねじれたようになって行きます。
極軸セッティングは上下桿支持部と仰角軸(上下回転軸)を結んだ線を天の北極に合わせます。

月・惑星を眼視観測するには十分な性能です。
ちょっと工夫すれば応用範囲が広がりそうで面白いです。

小島修介氏は「ポータブル赤道儀」を追求していますね。
いろいろと考案したが、結局はオーソドックスなS-5型のようなタイプが一番実用的でしたね。
ただ、それまでの赤道儀は極軸の微動装置が脚部側に固定されていましたが、旧S-5がユニークだったのは、微動部が赤緯軸側に付いていて共に回転することでした。
(NEW S-5になって改悪されてしまいましたが、LN-4Eとして残りました)
この設計は小島氏が世界初?
旧式の大げさな「運転時計」を付けることはできませんが、小型モーターならば実用になります。

それまでの時代は「赤道儀は観測室に据え付けて使用する物」でしたが、アマチュア向けのお手軽な移動式赤道儀を設計したのは小島修介氏の功績です。
当時まだ35mmカメラは一般的ではなかったし、小型モーターでの自動追尾も不可能でした。
後年の藤井旭氏のように手動ガイドするなど、誰も考えつかなかった時代でした。
小島氏はそこまで予測していたのでしょうか?

広告に社員の子供たちが登場するのは、この頃からだったのですね。
他のメーカーではほとんどない事ですが、アストロ光学はいつも社員のお子さんを出演させて、ほのぼのムードでした。





Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   Taki - 2019/03/24(Sun) 20:34 No.11697

ガラクマさん、皆さん、こんばんは
2019/03/18(Mon) 23:50 No.11682で問い合わせした内容をご本人に確認してみました。

望遠鏡本体のみ昭和39年に購入し経緯台で使用し、その後LN6Eを購入して載せたそうです。
ご承知の通りLN6Eは反射用でしたので、特注で屈折用に足を長くし、バンドも作らせたとのこと。
R102用は高価で買えなかったとのことです。
強度の点ではLN6Eで十分で安価なLN6E+特注だそうです。

以上、報告でした。




Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   ガラクマ - 2019/03/24(Sun) 23:24 No.11698

garakuma.gif 赤道儀はLN6Eの後期型とかR82型と同じと思っておりましたが、それとのセットは探しつけませんでした。
なるほど、でした。




Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   青色つきこ - 2019/03/27(Wed) 20:48 No.11706

みなさま、こんばんわ。

小島修介氏の天象普及協会及びアストロ・サービス・センター時代の活動については、十分な情報がありません。
現時点で知る限りでは、「天文と気象」誌と「月刊教材教具」誌に掲載された以下の広告と、「月刊教材教具」誌
に連載された「天文教材の扱い方」、「子供の科学」誌の天文欄です。
他には、草下英明氏の「星日記」でしょうか。
活動期間は、幅を大きくとれば1951年初め〜1952年末。狭めても1951年3月〜1952年12月でしょうか。
五藤光学研究所を退職し、旭光学工業に勤務するまでの期間です。

保積善太郎氏サイドからのアプローチもしてみましたが、情報なしです。
機関紙「十億光年」について情報はないでしょうか。


アストロ・サービス・センターの広告

「天文と気象」1951年4月号に掲載
★望遠鏡や部品がこわれていませんか
★天文器械や図書の選択に迷いませんか
 天文の研究や教育に、いちばん苦労するのは、器械の修理や入手の困難と不安にあるようです。今度
     こういう要望にこたえて生れたのが、アストロ・サービスです。私共は、この方面の仕事には一応の
     経験もあり、直接専門家の方々や、良心的メーカーとの密接なる連絡もありますから、皆様の御役に
     立つものと信じます。研究家、学校、団体を問わず、遠慮なくご利用下さい。質疑応答、器械の取扱
     法や、観測指導も致しております。なお、私共の扱う製品は新規、修理とも全部アストロナンバーの
     一連番号によって、何時までも責任を持つことを誇りとしておりますから、この点でも御安心願える
     と思います。

「天文と気象」1951年6月号に掲載
"天象普及会"は、天文の普及をあらゆる方面と連絡して有機的にするため"アストロ・サービス"を設け、
    天文に関する機械、図書の購入斡旋や修理改造、研究自作之の協力指導等を奉仕的に行い、各地の学校や
熱心なアマチュア天文家に喜ばれ心易く利用されています。

「月刊教材教具」1951年9月号に掲載
アストロ・ニュース・パブリシティ(三)
  九月から十月にかけて東北地方及び中国、四国九州方面に天文講習並に光学機械
  出張修理を実施しますから、この方面より御申込があれば、スケヂュールの中に入れますから至急
御問合せ下さい。

「月刊教材教具」1951年11月号に掲載
アストロ・ニュース・パブリシティ(四)
  九月下旬、水沢の緯度観測所の六吋屈折赤道儀の修理を実費で修理して参りました。
  現在、都立高校の六吋屈折赤道儀、海上保安庁の十吋カセニュートン式反射鏡、倉敷天文台
  の十二吋ニュートン式反射鏡、日吉天文同好会及び九州大学の十八吋反射望遠鏡の修理、
  設計、製作等々を依頼されてをります。

「月刊教材教具」1952年3月号に掲載
アストロ・ニュース・パブリシティ(6)
今度、次のような天文の会が出来ました。
東京都江東区深川三丁目清澄公園前
清澄天体観測所内(保積方)
天文クラブ
 この会は、始めて天文を学ばれる方のために、天文を楽しく、有意義に語ろうという集まりで、機関
紙「十億光年」を発行しております。会員は全国的に散在しておりますが連絡所(本部)には、九吋ドイ
ツ型反射赤道儀を設置し、観測も致しております。とくに、小、中、高校の先生方に御入会をおすすめ
します。望遠鏡の取扱いや、実地天体観測案内も実施しております。会則その他は天文クラブ宛お問合
せ下さい。





Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   青色つきこ - 2019/03/27(Wed) 22:02 No.11707

みなさま、連投です。

小島修介氏の旭光学工業時代は海上保安庁の勝浦水路観測所に納品された六吋屈折赤道儀の
設計製作がメインでしょうか。
小島氏は、この赤道儀を中折式と呼んでいます。
これは、アストロ光学(株)にも引き継がれており、四吋屈折を載せた赤道儀にも使われています。
アストロ光学工業(株)のR102の赤道儀は、これの縮小版です。

小島氏は、旭光学工業時代に、アストロ光学(株)設立へのきっかけをもったと思います。
米国へのアストロ光学(株)の輸出を手助けした存在と、この時期に会っていると思います。
また、アストロ光学(株)の設立メンバー、下請工場、後援者に会っているはずです。

旭光学の鈴木幸三郎様について、情報はお持ちではないでしょうか。
もう、亡くなられたのでしょうか。
1952年には、岩崎賀都彰氏が旭光学に入社しています。

旭光学については、1952〜1953年頃の望遠鏡自体の情報が少ないです。
何で、旭光学はアクロマートハイゲン20mmをジュピター60mmの付属品にしていたのか。
(アストロ光学(株)にもアクロマートハイゲンがありましたが。)
天体望遠鏡というよりも地上兼天体望遠鏡でしょうか。
当初のジュピターは経緯台のみで、赤道儀式はありませんでした。
逆に、日本光学の小型望遠鏡は赤道儀式のみ。
1953年頃にもブッシュネル氏は、旭光学工業にも来たのでしょうか。

プレ・アストロ光学として、重要な時期なのですが、情報不足です。





Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   青色つきこ - 2019/03/28(Thu) 00:18 No.11709

みなさま、こんばんわ。

アストロ光学(株)編に突入します。
アストロ光学の広告と五藤光学研究所(小島氏在職時)の広告を並べてみました。
どちらも四角い箱のデザインです。五藤も小島氏の企画でしょうか。

アストロ光学(株)の1956年の機種一覧も再掲しておきます。





Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   エド - 2019/03/28(Thu) 00:36 No.11710

青色つきこさま 皆様

長文の連投、ありがとうございます。

プレ・アストロ光学という呼び方はすこぶる当を得ていると思います。
五藤光学での人脈、下請工場とは全く違う関係を開拓しないと会社が興せないので、
当時勃興し始めた板橋光学エリアのド真ん中にある旭光学に入社したのは小島氏の戦略的な匂いがします。
もちろんご推察のとうり、輸出関係の人脈もしかりと思います。
そして、前スレで出てきた“合理的カルテル”へと繋がると考えます。

ドメインという言葉は当時無かったと思いますが、小島氏がターゲットとするユーザーは
五藤光学の製品が購入できる大人(それも富裕層)ではなく、
比較的裕福な地方の名士の子弟あたりではなかったかと思います。
小島氏が精力的に地方まわりをしていたのは、このへんにもあると思います。
(東京他大都市は焼け野原から復興しつつある時代でしたので、
 “焼けなかった”地方のほうが、ある意味裕福であり、空見上げる余裕があったと思います)

一方、旭光学に“長居”して良品安価な望遠鏡をたくさん製品化してしまうと、
自分が興そうとしている会社の需要を食ってしまうというジレンマがあったと思います。




Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   ロッド - 2019/03/28(Thu) 13:21 No.11712

青色つきこ様
ワクワクするような情報を多数ありがとうございます。
うちにあるアストロ光学の望遠鏡、飾っておくだけではもったいないので、大切に整備して精一杯活用してやりたいと思います。

小島氏が「アストロサービス」で全国を回ったのは素晴らしい活動だと思いました。
天文普及活動でお客を育てる。
大型望遠鏡は買ったけれど活用されていない事が多いので、そのサポートをする。
しかし、他社製品を修理するのは大変な作業だったと思います。
>倉敷天文台の十二吋ニュートン式反射鏡、日吉天文同好会及び九州大学の十八吋反射望遠鏡の修理、
十八吋というと46cm!
昭和30年代の国産最大は西村製の富山と仙台の木辺鏡41cmでしたから、それより昔の46cmは?
英国製のカルバー鏡ですね。倉敷のもカルバーでした。
46cmのほうは当時は九州にあったのですね。あちこちを転々としたそうで68年頃岐阜県の私立高校にあったのが「日本の天文台」に掲載されています。

勝浦水路観測所に納品された六吋屈折赤道儀
>小島氏は、この赤道儀を中折式と呼んでいます。
東京天文台にあったブラッシャー天体写真儀を参考にして作った物だと思います。

冨田弘一郎氏は「ブロークンヘッド型」と呼んでいました。高橋製作所の65mmD型の広告にも「ブロークンヘッド型」と書かれています。
これは死角が少ないのが特長です。
据え付け型なら大いに結構ですが、
重心が大きく北に片寄っているので、移動用にして三脚式にすると使いにくいです。
小島氏は、このような据え付け式とS-5型のような三脚式で赤道儀のタイプを変えているのはさすがです。

R-102は移動用のピラー脚でしたが、R-101という機種(画像)もあって、これは完全据え付け型でした。
1968年当時R-102が23万円に対し、R-101は50万円!赤道儀もグレードが高い別物でした。
左側のはR-74で72000円。
別スレで話題になっている輸出仕様のR-76Tの原型です。
この赤道儀はユニークな設計で、実物を見てみたいものです。
昭和30年代に小型のシンクロナスモーターがあったとは驚きました。これを天体用に利用したのは先見の明ですね。

AH40は各社から出ていましたが、AH20は珍しいですよね。
ジャンク市で見つけたカートン光学の顕微鏡用、刻印はありませんが分解してみたらAH20mmでした。(画像)
これ、なかなか高性能な実用品です。

日本光学も当時としては先進的な移動式小型赤道儀(50mm、65mm)でしたが、微動は極軸のみでしかも部分微動でしたね。

3番目の画像ですが、R-61D(最終型)と80年代のその後継機です。
赤道儀(AS型)と三脚が頑丈になりました。接眼部は二段式が廃止され、S-5などと同じタイプになりました。
80年代のアストロ光学もなかなか良いです。
同じような物が2台あっても邪魔なので、友人に譲ってしまいましたが、レア物だっただけに今ではちょっと後悔しています。





Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   青色つきこ - 2019/03/28(Thu) 19:42 No.11713

みなさま、こんばんわ。

ロッド様、コメント、ありがとうございます。
中折式ですが、ロッド様のおしゃるとおりブロークンヘッド型です。
小島氏は通常のブロークンヘッド型よりも短くしたので中折式と言っております。
アストロ光学工業(株)のR101は、アストロ光学(株)ではK1と言っています。
ロッド様が会われた青木社長は、服飾の専門学校の理事長で、服飾史が専門の学者さんです。
学園経営、服飾史の研究と多岐にわたって活動されていたようです。専門書も出しています。
話のついでなので、青木氏の次の社長が中越グループの総帥の岩川毅氏(昭和47年頃、1972年)
で、青木氏の服飾学園の理事だったそうです。その次が、岩川煕(ひろむ)氏(平成6年)で、
平成18年から冨所氏です。

本題は、こちらから。

小島修介氏の発明について記しておきます。
計算尺は別として、発明はアストロ光学(株)で製品化するために考えたものでしょうが、自身が会社を
転々として行きました。
小島氏の業績については、何人による評伝しかありませんでしたが、それも、根拠が示されていませんで
した。
公正な証拠としては、特許申請の文書も入ると思いますので、私個人のコメントとともに載せておきます。


特許の申請は、2件あります。

@「計算尺」(出願 1946年6月24日)
 1950年9月30日付けで、世田谷区新町の借家の住所です。五藤光学に在職していた時期です。
 五藤光学時代は、ご自身が考案者でも出願は五藤斉三氏になっていますので、これは珍しい事例です。

A「立体顕微鏡兼比較用顕微鏡」(出願 1955年3月12日)
 アストロ光学(株)を設立して間もない頃です。製品化されたのかは、不明です。
 出願は、アストロ光学(株)の千葉勝雄氏になっています。小島氏が退社しなければ、出願も小島氏
 になっていたでしょう。

実用新案の申請は、3件あります。

@「望遠鏡」 (出願 1956年1月17日)
 アストロ光学(株)が新築の社屋に移転してから申請したものです。実際には、既に製品化されてい
 ました。S-5型の赤道儀を念頭に置いていると思われます。T-8型やH-2型の主力商品も同じでしょうか。
 実用新案が承認されたのは、1958年7月31日です。小島氏は1957年11月にアストロ光学(株)から去って
 います。そのため、出願人は、マクロ光学工業(株)です。
続く





Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   青色つきこ - 2019/03/28(Thu) 20:34 No.11714

A「望遠鏡に於けるフワインダー等の属品取付装置」 (出願 1956年1月17日)
B「望遠鏡用フワインダーの方向調整装置」 (出願 1956年1月17日)
 いずれもマクロ光学工業(株)に在職していた頃に申請されたものです。
 実際には、28056,28057,28058,28059の4件が申請されたと考えられます。
 しかし、28056と28058については、申請内容がどのようなものだったか、記録がありません。
 推測としては、白い取っ手がついた微動装置です。もうひとつは、鏡筒を赤道儀に載せるための金具
 (鏡筒バンド)です。





Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   青色つきこ - 2019/03/28(Thu) 20:49 No.11715

公告が認められた1960年10月18日には小島氏は他界していました。そのため、実用新案公報の出願は
 小島氏の妻の名前になっています。なお、最終的に相互産業(株)が実用新案の権利を小島氏の妻から譲渡
 されました。そのため、実用新案登録証の名義は、相互産業(株)です。この実用新案は既にマクロ光学
 工業(株)の天体望遠鏡に使用されていました。
 しかし、Swift 831,838,839のファインダー調整装置・ファインダー取付バンドと言った方が、わかりや
 すいでしょう。相互産業(株)は、輸出商社で、自社の工場はありません。Swiftの天体望遠鏡のロゴマー
 クに添えられているAMAは、相互産業(株)の英語表記 Associated Manufacturers Agency の略称です。
 
 なお、マクロ光学工業(株)が活動していた期間は、会社の登記によれば1958年3月〜1960年2月の2年間です。
 小島氏は自身で日本テレスコープを設立していますので、マクロ光学工業(株)にどのくらい在職したのかは
 不明です。





Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   エド - 2019/04/13(Sat) 22:54 No.11794

皆様 こんばんは。

アメリカのコレクターさんとのやりとりですっかり中断しておりましたが、
“アストロ光学”の修介氏の足跡を続けます。

写真はたぶん要町の社屋2階で撮られたものと思います。
外が雪景色ですので、昭和32年(1957)の1月〜2月頃と想像いたします。

資金繰りに苦労されているのか、少し顔が変わったかな?と思うのは私だけでしょうか?

後ろの壁に掛かっている温度計と湿球式?の湿度計が懐かしいです。





Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   Stew - 2019/04/14(Sun) 10:50 No.11795

エドさん、ガラクマさん、皆さん、こんばんは。

理解不足のため申し訳ありません。 修介氏の写真ですか?




Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   エド - 2019/04/14(Sun) 18:44 No.11796

Mr.Stew

Welcome to "History of Syusuke" thread.

Yes. He is Syusuke Kojima in 1957.

ようこそ“修介氏の足跡”スレへ。

そうです、1957年頃の小島修介氏の写真です。




Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   ロッド - 2019/04/14(Sun) 19:32 No.11797

エド様、こんばんは。
驚いたことに、うちの椅子は写真の小島修介氏の椅子と同じです!
背もたれ中央部が縦3本です。
これは中学の先生からいただいた大変古い物です。

ついでに冨所氏の話では小島氏の設計だというR-51も。
実用本位でファインダーと接眼部を改造しました。
その後ろはミザールのエース型を改造してGT-68を搭載した物です。

小島氏の写真、この時代は写真が特別な物だったので、事前に準備して「撮りますよ」と言って撮ったので、だいたいカメラ目線でポーズをとっていますが、
何気なく斜め横から撮影しているので、写真として良い作品だと思います。
プロの写真家が撮ったのかもしれませんね。

小島氏はわずかな期間でアストロ光学を軌道に乗せて急激に発展させたのはすごい手腕だと思います。
若い頃の写真と比べると、気品ある社長さんの顔に変わっていますね。
しかし経営者としてご苦労が多かっただろうことは、この表情にも出ている感じがします。


Stew様
小島修介氏の写真は↑にたくさんあります。
ぜひご覧ください。
五藤斉三氏と一緒の写真や結婚式の写真もありますよ。

私が子供の頃は天体望遠鏡といえば、
五藤かアストロか、という時代でした。
高橋やビクセンはまだ有名ではありませんでした。





Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   青色つきこ - 2019/04/14(Sun) 23:41 No.11798

みなさま、こんにちわ。

エド様、写真の雪景色からすると1956年1月〜4月かも知れません。
気象庁の過去の記録をみると、1957年は降雪は記録されていないようです。

エド様が調査してくれましたアストロ光学(株)の設立メンバーについては、
設立の経緯も含めて、依然として、よくわかりません。

谷田貝幸雄氏については、有限会社 谷光学研究所をいつ設立したのかも、わかりません。
谷田貝氏の経歴、谷光学について、詳しい情報はないものでしょうか。

堀口恵助氏については、五藤光学研究所の勤務期間がわかりません。
五藤斉三氏の「天文夜話」に堀口氏についての記載があり、五藤光学研究所に勤務
されていたのは知られているところですが。
五藤光学に勤務していた時期が実際に小島氏と重なるのかも、わかりません。
堀口氏が堀口光学を設立したのは1958年です。
また、いつアストロ光学(株)を辞めたのかも、わかりません。
堀口氏について、詳しい情報はないものでしょうか。
(ビクセン光学の斎藤様の堀口氏についての話の他に)

滝沢徳次郎氏については、全くわかりませんが、1958年2月にアストロ光学工業(株)が
設立された際に、取締役として滝沢盤氏(ヤシカから来たそうですが)がおります。
苗字が同じだけかもしれませんが。もしかして、血縁者?

小林民八郎氏、辰巳伝一氏、五十嵐伝吾氏についても、全くわかりません。

千葉勝雄氏は、小島修介氏からアストロ光学(株)を託された方。この方の経歴も全く
わかりません。もしかしたら、小島氏とともに旭光学から来た方?

後にアストロ光学工業(株)の創業者となる小松良基氏が、小島修介氏と接点があったの
かもわかりません。接点があるとすれば、ラジオ東京でしょうか。





Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   エド - 2019/04/15(Mon) 00:56 No.11799

青色つきこ様 皆様

気象の調査、ありがとうございます。
そうですか。東京でも降らない年がありましたか。。。うっかりしました。

確かにアストロ光学の設立当時の取締役の多彩ぶりは謎でした。
前スレで紹介しました登記簿には、幸い自宅の住所が記載されています。

滝沢徳次郎氏:豊島区/要町
堀口恵助氏 :世田谷区/新町
谷田貝幸雄氏:豊島区/雑司ヶ谷
小林民八郎氏:板橋区/前野町
千葉勝雄氏 :板橋区/志村
辰巳伝一氏 :板橋区/板橋
五十嵐伝吾氏:豊島区/要町

こうして各人の住所を眺めると、まず堀口氏が五藤光学出身なのは明らかです。
滝沢氏と五十嵐氏以外は、板橋の光学エリアの中にお住まいです。
旭光学も近いですが、さらに東京光学へは徒歩圏です。

谷田貝氏が住んでらした雑司ヶ谷は、寺町というか歴史のある街区で、幸い焼け残ったエリアです。
世田谷に行くには不便なエリアであり、板橋へは自転車なら20分くらいです。

面白いと思ったのは、滝沢氏と五十嵐氏の住所です。
元々アストロ光学のすぐそばに住んでいますので、千早町の光学エリア出身の可能性ありです。

修介氏はアストロ光学を興すにあたって、設立資金を集める必要から、広く声かけをしたのではないかと想像します。




Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   Stew - 2019/04/15(Mon) 09:19 No.11800

エドさん、ロッドさん、皆さん、おはようございます。

上の写真が昭和32年(1957)に撮られたとき、私は5歳だったと思っていました。 私たちはこれらのことが時々起こったどれくらい前に忘れています。

最初からこの投稿をもう一度読みました。 私は今小島氏を認識しています。

たくさんの重要な情報をありがとうございました。




Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   ロッド - 2019/04/15(Mon) 11:07 No.11802

皆様こんにちは。
青色つきこ様のNo.11686関連、それとNo.11798、すぐ上のエド様の関連で。

アストロ光学の要町の社屋はその後はどうなったんでしょうか?なぜ引っ越しをしたのでしょうか?
私が知っている昭和50年代の池袋本町の社屋は古い木造でしたが、あれは借家だったのでしょうか?

アストロ光学の創業当時の取締役には小松氏の名前がありませんが、小松氏の前職は?
労働争議を鎮める専門家だったのかもしれませんね。
(私の父がそうでした。労働争議で潰れかかった会社へ派遣されました)
労働争議の後、小島氏→千葉氏→小松氏と変わり別会社として再スタート。
問題は小島氏と小松氏との接点があったのかどうか?ですね。
小松氏の後を継いだ青木氏の奥様は小松氏の娘さんだそうなので、この後小松家による会社経営が長く続くことになります。
そして現在も歴代社長の写真が並ぶ中に小島修介氏の写真がない。別会社なので当然ですが、事実上の創業者で大変な功績者なのに不思議です。

製品を見ると、これを境に路線変更が見られます。
小島氏のマクロ光学はまだアストロ光学路線ですが、日本テレスコープ社(相互産業・スイフト社)への移行段階で大幅な設計変更がありました。
このときの設計変更が後の高橋製作所に受け継がれます。

画像右が旧(アストロ)左が新(エイコー、スイフト)
1)三脚架台部が簡単に分割できるようになった。
2)主軸のネジがM12P1.75からM12P1.5に変更された。
3)ウォームホイール歯数が144から120(118?)に変更された。
4)ウォーム軸の位置が鏡筒側に変更された。
5)赤緯微動がリンク式に変更された。
6)赤緯目盛環の位置がウェイト棒側に変更された。

パーツの共用が不可となり、アストロ光学とは袂を別かった形となりました。
どちらも小島修介氏の設計なのですから、小島氏個人の心の中で「区切り」をつけたのだと思います。
背後には複雑な人間関係があったものと想像できます。





Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   青色つきこ - 2019/04/16(Tue) 00:54 No.11809

みなさま、こんにちわ。

ロッド様が添付してくださいました赤道儀の写真についてです。
赤道儀本体と三脚台座が一体となっているか、分離できるのかという問題には
非常に興味を持っています。
望遠鏡を据え付けて、極軸を北極星に向けるに際して、望遠鏡ごと動かすのか
それとも赤道儀部分だけを動かすのか。

話しがややこしくなりますが、アストロ販売(株)という会社が1959年頃から
「月刊教材教具」に広告を載せます。アストロ光学(株)の販売店的なイメージ
です。アストロ光学(株)の製品を販売しています。S-5赤道儀の改良型S-5Aという
のを販売しています。赤道儀本体と三脚台座が分離できるようで、実用新案申請中
と書かれています。アストロ光学工業(株)ではなく、アストロ光学(株)の
販売店的なイメージです。アストロ光学工業(株)とアストロ光学(株)とは、厳密
に分けて考えないといけません。S-5A赤道儀を考えたのが誰なのか。興味は、そこに
尽きます。

アストロ光学(株)の要町の社屋ですが、1958年2月にアストロ光学(株)
【代表取締役 千葉氏、住所は西巣鴨】とアストロ光学工業(株)【代表取締役
渡辺氏 住所は大手町】との間で賃貸借契約が取り交わされます。
建物は、アストロ光学工業(株)が借り受けることになります。
アストロ光学工業(株)は、本社は大手町野村ビル内に、工場は要町に置きます。
なお、工場は、要町 → 板橋区内 → 池袋本町 と移転します。
賃貸借だったようです。
要町の建物がどうなったのか、非常に興味がありますが。今となっては。

アストロ光学工業(株)は1958年2月に設立されますが、発起人は渡辺昌吾氏、小沢三男氏
、小松良基氏 他数名なのですが。
アストロ光学(株)の取締役でもあった小沢三男氏は、アストロ光学工業(株)では会長、
アストロ光学(株)の労働争議で新会社側(アストロ光学工業(株))として表に出てくる
のは渡辺氏、新会社の社長と新聞記事ではなっていますが......、アストロ光学工業(株)
の初代社長は小松氏なのです。釈然としません。
小松良基氏は、外国映画の配給会社に勤務されていた方です。マスコミ関係の方で、どう
して望遠鏡のメーカーの社長になったのか、よくわかりません。
誰が、アストロ光学工業(株)を作ったのか。この経緯にしても、まだ、わからないことは
たくさんあります。(発起人はわかっていますが)
小松氏の役割が、わかりません。

調べれば、調べるだけ疑問に突き当たります。

エド様のご指摘のとおり、アストロ光学(株)の発起人は光学関係者、光学エリアの方々です。
アストロ光学工業(株)の発起人は、それとは異なります。




Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   ロッド - 2019/04/16(Tue) 11:37 No.11811

青色つきこ様
S-5の改良型の広告、もう一度よく見てみました。
緯度調整部が少し後ろ側に傾斜が付いているのでバランスが良いですし、
それにこのS5Aというのは三角板が高橋と同じように大きいですね。
大昔にこんな良い製品があったのに、その後なぜ改悪されてしまったのか不思議です。

下の台座の部分ですが、私の60年代のカートンにも同じパーツが使われているように見えます。
三脚架台が簡単に分離できるのは便利です。

赤道儀本体は重いので、
三脚をまず据え付けて、それから赤道儀本体を載せ、最後にウェイトと鏡筒を付ける。
私はそういう使い方をします。

力持ちのマッチョマンなら、組み立てたまま一気に持ち出すのでしょうけど、私には無理です。

せっかくS-5改良型が出たのに、その後また元に戻ってしまいました。
68年頃のS-5もR-61Dも三脚架台は分離できません。
ちなみに、高橋とエイコーは分離できるので便利です。





Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   青色つきこ - 2019/05/04(Sat) 17:34 No.11887

みなさま、こんにちわ。

小島氏のアストロ光学(株)は、1954年11月に設立されました。
その設立メンバーの名前については、エド様の調査により既に本スレや先のスレで
紹介しているところです。
堀口氏や谷田貝氏を別にすれば、千葉勝雄氏について1957年11月に小島氏に代わって
代表取締役になり、1958年2月のアストロ光学(株)の労働争議の当事者であったこと
くらいでした。(千葉氏についての追加情報です。)

今回、輸出検査調査会発行の「輸出と品質」(1953.8〜1958.1)という冊子を見ました
が、その1956年8月号に「望遠鏡、顕微鏡製造業者表」が掲載されていました。2ペー
ジの簡単な表ですが,1956年の業者一覧としては興味深いものです。
その中に、アストロ光学(株)とともに(有)千葉製作所があり、代表取締役は千葉勝雄
氏でした。アストロ光学(株)は、合理的なカルテルの下に、18の専門工場から成って
います。アストロ光学(株)の本社は、総合的検査、レンズ関係を担当しており、望遠
鏡の設計・企画も担っていたでしょう。専門工場の1つが、(有)千葉製作所でしょうか。
設立メンバー(小島氏は別として)は、既にそれぞれ大なり小なり工場主だったのかも
知れません。
(堀口光学は1958年設立、谷光学研究所は不明)

(有)千葉製作所は、「光学産業名鑑 昭和32年度版」に掲載されており、1946年4月の
設立になっています。名鑑では、製造品として望遠鏡・顕微鏡となっていますが、設立
当初については定かではありません。
「輸出と品質」には、アストロ光学(株)の広告も掲載されており、内容は輸出関係のバ
イヤー及びサプライヤー向けになっています。
「月刊教材教具」のアストロ光学(株)の広告は、アストロ光学(株)のスレに載せてあり
ますので、ここには日本天文学会の機関紙「天文月報」の広告を併せて貼付します。
小島氏は、学校への教材納入業者向けの広告を「月刊教材教具」(1955.2〜1957.11)に、
輸出業者向けに「輸出と品質」(1956.1〜1957.7)、天文学界関係者向けとして「天文月
報」(1957.7〜1958.2)に広告を掲載していきます。
小島氏自身、加入していた東亜天文学会、日本天文研究会の機関紙には広告は出して
いませんが、広告の枠がなかったからでしょうか。
小島氏は、地人書館から「月面図」(1951年)を刊行しておりましたが、「天文と気象」
にも広告は出していません。
誠文堂新光社「子供の科学」「科学画報」にはそれぞれ屈折望遠鏡、反射望遠鏡の自作
記事を掲載していますが、広告掲載の有無については未調査です。


「輸出と品質」には、旭光学工業(株)の広告もあり、製造品目として望遠鏡も挙がって
いますので、参考までに。





Re: アストロ光学梶@その7 修介氏の足跡   (^0^)コメト - 2019/05/04(Sat) 20:10 No.11888   HomePage

utyuujin1.gif ガラクマさん、皆さんこんばんは

このスレは長くもなったんで、次にレスする方は新規にスレッドを
作って進行しては如何かと存じます。m(_ _)m


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