東邦光学工業株式会社 投稿者:
ガラクマ 投稿日:2023/03/30(Thu) 00:14 No.13344 |
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Re: 東邦光学工業株式会社
原 - 2023/03/30(Thu) 20:32 No.13345 |
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手元の双眼鏡を調べるとJB251(Toho Optical Mfg. Co., Ltd., Tokyo)がありまして、 一台目がエイコーのSBW308(1979年カタログで16000円)8x30 8.5度でボシュロム型というものでした。 もう一台がSB520(1979年カタログで16500円)20x50 3度。 両者とも接眼レンズの反射光は複雑で空気界面は6面ありそう(エルフレ系と思う。同時期のケンコー20x50は2-1-2枚のエルフレだった。) 8x30はプリズムの陰りがぎりぎり出るか出ないか?という所で、屈折率の高いプリズムを使ったのか?対物Fをやや暗めにしたのか?もね?という感じ。アドラブリックが出るより相当前で、ニコン以外のCF非防水双眼鏡では高屈折率プリズムが普及する前ですね。意外と普及機+αくらいの製品を作ってたのかも。
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Re: 東邦光学工業株式会社
青色つきこ - 2023/03/31(Fri) 08:11 No.13346 |
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みなさま、こんにちわ。 東邦光学工業(株)は、とても興味があるメーカーです。
東邦光学工業(株)の創業者は東京光学の出身で戦後、染野製作所(共同経営)を経て 小泉製作所を設立し1953年に東邦光学工業(株)に改組しました。 事業は、光学機器製造、修理。当初は双眼鏡の筺体製造、そして組立がメインだった のではないでしょうか。後に望遠鏡も加わります。
エイコーは、1952年に(株)映光社として設立されました。創業者は宮川正氏です。 映光社の創業自体は1936年又は1937年です。 1962年に社名をエイコーに、また事業規模も拡大しました。 しかし、1972年に更生会社になり、経営は千葉光学硝子が担うことになります。 新生エイコーは、今のミザールテックに繋がっていきます。 映光社の1961年のパンフレットには6T-430,300,185が載っています。 もっと前の情報があれば、いいのですが。
マクロ光学工業、日本テレスコープ、高橋製作所、スイフト、相互産業をも含めて 考えていきたいところです。 |
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Re: 東邦光学工業株式会社
エド - 2023/04/02(Sun) 00:40 No.13347 |
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東邦光学工業の場所はガラクマさん示されたように板橋区若木1−27−18ですが、 昭和57年刊の「板橋工業50年のあゆみ」によると、 従業員数5人以下となっています。 また鰹汪ヤ光学機械は若木1−27−17です。これ完全にお隣さんです。 隣に同業者がいてもビジネス上でまったくお付合いがなかったりするのが 板橋区光学産業の摩訶不思議なところだったりします。 |
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Re: 東邦光学工業株式会社
見ざる・言わざる・聞かざる! - 2023/04/07(Fri) 08:58 No.13348 |
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ミザ−ルです。毎々古スコ広場楽しく拝見させて頂いております。東邦さん懐かしいです〜近年社内「断捨離」し思い出少なくなりました。(MIZAⓇ 古スコ広場G)
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Re: 東邦光学工業株式会社
青色つきこ - 2023/04/07(Fri) 11:33 No.13349 |
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見ざる・言わざる・聞かざる! 様
私、実は書き込みされるのを、お待ちしておりました。 写真から東邦光学工業(株)のマークはアルファベットのTとHを組み合わせたものであることが 良く分かると思います。Tの−に丸みを持たせ、Hは真ん中で左右対称に折ります。
米国Criterion のアイピース(サークルY)は東邦光学工業(株)製と認識しております。
エイコーの製品が、日野金属産業の製品に替わったのは、東邦光学工業(株)が廃業したからだったので しょうか。もしくは、エイコーが日野金属産業の製品に切り替えたので、東邦光学工業(株)も廃業され たのか。引っかかているところです。
もう少し、思い出を書き込んでもらえないでしょうか。 |
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