五藤望遠鏡 投稿者:
Stew 投稿日:2019/03/27(Wed) 04:18 No.11703
すべての尊敬するメンバー、そして特にガラクマさん、楽しいおはようございます。 私の名前はシチューです、そして私はアメリカ人です。 私は何年も前から五藤望遠鏡を集めました。 私は昭和13年(1938年)から昭和50年(1975年)までの14の五藤望遠鏡を持っています。 4つはゼウスブランドです。 いくつかは学校の望遠鏡です。 また、いくつかは最高の光学望遠鏡です。私の一番好きな望遠鏡は戦前のアポロンです。 最初の写真はアポロンです。 次のアポロンと初期の天王星タイプ4(こだまさんタイプ)の写真。私にあなたと共有させてくれてありがとう。
Re: 五藤望遠鏡
(^0^)コメト - 2019/03/27(Wed) 10:50 No.11704
ガラクマさん、皆さんこんにちは こんにちは、Stewさん 戦前のアポロンは架台が黒だったのですネ。(^0^; 戦後にウラノス号となっても黒い経緯台で、見事な艶のある状況は 保存の良い事を現していて好感が持てます。 質問ですが、戦前と戦後で★の見え方は変わりませんか? 戦前はノーコート、戦後は反射防止コートとかで対策されていますか? 多分、このメーカの品物ですから、見え味は変わらないと思います。8^0^8 それと、これらの望遠鏡の背景がご自宅のお部屋と思いますが、 センスの良い家具と、デザインであり、良い趣味を現しています。 アメリカの方を問わず、美しい背景を使うのは良い習慣。。見習うべきと 思っています。(^0^v
Re: 五藤望遠鏡
Stew - 2019/03/27(Wed) 12:26 No.11705
こんばんは、コメト、ガラクマ、そして皆さん。 Apollonの日付についてのコメントと質問をありがとうございました。 後藤の児玉氏は、自分のウェブサイトのブログ番号29に、ケースラベルの種類を通した後藤望遠鏡の年代測定に関する記事を掲載しました。https://www.domenavi.com/ippin/2018/24_1.html アポロンの場合のラベルの写真は下にあります。 このラベルは昭和13年(1938年)から昭和16年(1941年)までのみ可能です。 したがって、このアポロンは戦前ですが、この時期にいつ作られたのか正確にはわかりません。
Re: 五藤望遠鏡
もも - 2019/03/28(Thu) 00:01 No.11708
皆様。 こんばんわ、ももで〜す。 日本だと床の間。 欧米?だと暖炉? でしょうか〜??
Re: 五藤望遠鏡
Stew - 2019/03/28(Thu) 00:49 No.11711
こんばんは桃とみんな。 私の暖炉についてコメントしていただきありがとうございます。 それは私の家のメインフロアのリビングルームにあります。 天然ガスを燃やす。 私は石と木の側面とトップを商業用の暖炉のインサートの周りに建てました。 暖炉はたくさんの熱を生み出しますが、家全体を加熱する私の炉は地下にあります。 今日は日本光学5cm望遠鏡を受け取ります。 それはいくつかの五藤アクセサリーを持っているので、私はこの望遠鏡を入手しました。 昭和25年初期または昭和26年(1950 - 51)です。 それは五藤アクセサリーを持っているだろうことは私にとって奇妙に思える。 あなたはこれが普通のアクセサリーとの混合製品を持っていると思うか?
Re: 五藤望遠鏡
Stew - 2019/03/29(Fri) 08:34 No.11717
Re: 五藤望遠鏡
(^0^)コメト - 2019/03/29(Fri) 10:59 No.11718
ガラクマさん、皆さんこんにちは Hi!Mr.Stew この20p反射は保存状態が良く、ファインダーも暗視野照明で珍しい物です。 カタログに有る、南天赤道儀の物は見た事がありますが、接眼部から鏡筒先端迄の 長さがStewさんのはより長くて、それも初めて見ました。(^0^; 写真の赤道儀は以前にSky&Telescopeで見た覚えですが、追尾用運転モータが 極軸の後ろに在るのはこの雑誌で初めて見ました。8^0^8 日本の故人、富田弘一朗氏が盛んにこうするように望遠鏡メーカーに勧めましたが、 未だ日本の望遠鏡はこのようにならないで某国製に駆逐されつつあります。 (^0^)の五藤光学16cm赤道儀はこの写真ので、既にガラクマさん他の運営する 四国の天体望遠鏡博物館に収蔵されております。↓(^0^vhttp://www.telescope-museum.com/tls/tls-1513/ 鏡筒と架台は高橋製作所他の標準色に塗り替えてあります。 また、美しい暖炉や石材にも少しだけ興味があり、以下は先日見掛けた国立科学博物館 の2F廊下の装飾した壁で、アンモナイトが含まれております。↓http://yumarin7.sakura.ne.jp/joygazou/img/8883_0.jpg こちらも機会があったら行ってみることをお勧めします。m(_ _)m
Re: 五藤望遠鏡
NGC1999 - 2019/03/29(Fri) 19:34 No.11719
Re: 五藤望遠鏡
Stew - 2019/03/29(Fri) 23:33 No.11720
ガラクマ氏、コメト氏、皆さんこんばんは。 この20cm望遠鏡の筒はオリジナルではないかもしれません。 ミラーセル、ファイン ダー、フォーカサーは確かにそうです。 ブラックチューブエンドリングは私が作っ たレプリカです。 おそらくそれがもっと長いのでしょう。 鏡の近くにドアもありま せん。
Re: 五藤望遠鏡
Stew - 2019/03/30(Sat) 00:16 No.11722
Re: 五藤望遠鏡
Stew - 2019/03/30(Sat) 06:16 No.11724
ガラクマ氏、皆さんこんばんは。 すみません、私の日本語の翻訳は貧弱です。 Uranus 4 Zeusまたは五藤のブランド(ケースロゴ)ですか? AL60はCNメンバーに属しています。
Re: 五藤望遠鏡
NGC1999 - 2019/03/30(Sat) 07:00 No.11725
Stewさん こんにちは 翻訳された日本語は、よく判りますので、ご心配なく。 ウラノス4号機の木箱のラベルは、後で調べてみます。
Re: 五藤望遠鏡
NGC1999 - 2019/03/30(Sat) 18:59 No.11726
Stewさん、みなさん こんばんは 木箱のラベルの画像です。五藤(GOTO)の表示でした。 児玉氏の製作年代特定表によると、昭和28年から29年(1953〜1954)の製造となりますね。 また、アメリカにも、テレパックがあるのですね。びっくりです。
Re: 五藤望遠鏡
Stew - 2019/03/30(Sat) 21:22 No.11727
NGC1999さん、そしてみんなさん 児玉氏から天王星4は昭和22年(1947年)から昭和29年(1954年)まで作られました。 NGC1099氏のケースラベルはZeusロゴです(下の写真)。 児玉氏のチャートから、昭和27年(1952年)に最後に使用されたゼウスのラベル。 NGC1999氏の天王星4は昭和22年(1947年)から昭和27年(1952年)までさかのぼります。 昭和28年(1953年)から昭和29年(1954年)のケースラベルはGOToロゴ(Hepbern romaji)です。 NGC1999氏の天王星はレンズセルにコリメートネジを持っていますか、それともレンズセルは固定されていますか?
Re: 五藤望遠鏡
Stew - 2019/03/30(Sat) 21:48 No.11728
NGC1999さんと皆さん、こんばんは。児玉氏は、五藤望遠鏡の製造日程表を作成しました。 この図表は、ケースラベルのGOToロゴ(Hepburn romaji)が昭和29年(1954年)以降使用されていないことを示しています。ケースラベルにGOToのロゴ(Hepburn romaji)が付いた五藤望遠鏡が少なくとも昭和36年(1961年)にあります。GOToロゴ(Hepburn romaji)の使用は、昭和38年(1963年)閉店まで世田谷区 - 新町1-115番地で行われたことを示していると思います。GOToロゴ(Hepburn romaji)の日付が昭和38年(1963年)まで使用できるように調整された、児玉氏の日付チャートの修正が提示されています。 ケースラベルの特許情報または特許情報が追加されていない
Re: 五藤望遠鏡
A7M2 - 2019/03/31(Sun) 07:53 No.11729
コメトさん >>この20p反射は保存状態が良く、ファインダーも暗視野照明で珍しい物です。 これですが、対物キャップを本体側につけているただのヒモかと思います。 照明装置であれば、どこかに電池ケースとかがあるのではと考えましたが、一 見それらしいものが見当たらないですね。
Re: 五藤望遠鏡
Stew - 2019/03/31(Sun) 08:03 No.11730
Re: 五藤望遠鏡
Stew - 2019/03/31(Sun) 08:14 No.11731
これは私の望遠鏡に基づいて、ベストオプティクス望遠鏡とこの反射体昭和32(1957)から昭和36(1961)に含まれているファインダーです。 キャップは摩擦で保持します。 キャップが外されると、弦が失われるのを防ぎます。
Re: 五藤望遠鏡
Stew - 2019/03/31(Sun) 08:28 No.11732
おはようございます。 五藤先生の「天文物語」を読みたいです。 これはインターネット上で見つけることができますか?
Re: 五藤望遠鏡
(^0^)コメト - 2019/03/31(Sun) 09:22 No.11733
ガラクマさん、皆さんこんにちは なるほど。。(^0^;ファインダーキャップを失くさない為の工夫ですネ。 その辺り、五藤らしいと言えば五藤らしく、珍しい程の気遣いでつ。 16p反射ではファインダーの接眼部はベークライト製で、どうも他社同様に 双眼鏡用のを流用して内部に十字線を入れた物になっています。
Re: 五藤望遠鏡
NGC1999 - 2019/03/31(Sun) 09:47 No.11734
Re: 五藤望遠鏡
Stew - 2019/03/31(Sun) 10:52 No.11735
Re: 五藤望遠鏡
Stew - 2019/03/31(Sun) 11:02 No.11736
すみません、私のUranus 4 Serial 77はNGC1999 Uranus 4 Blackに似ています。 天王星4ブラックシリアル92ですか?
Re: 五藤望遠鏡
NGC1999 - 2019/03/31(Sun) 11:50 No.11737
Stewさん、みなさん こんにちは 私の黒色4号機の部品に刻印された番号は、02に見えます。 この番号は、いわゆる機種ごとの通しの番号ではなく、ある時期に工場内で組み立てる際に、良い組み合わせを見つけ、他と混じらないように付けたのではないかと思っていました。それとも、ロット毎に付けたのかな?どうなんでしょうね? 先のNo.11726で「昭和28年から29年(1953〜1954)の製造」と書きましたが、星空の逸品の写真の表と少し異なっておりました。Stewさんのおっしゃるとおりだと思います。もう少し古かったことが判りました。有り難うございました。 画像は、黒色4号機の部品に付けられた合番とフードとキャップです。
Re: 五藤望遠鏡
Stew - 2019/03/31(Sun) 21:51 No.11738
おはようございます。NGC1099さん、Galakumaさん、そしてみんな。 >>私の黒いユニット4の刻印されている番号は02に見えます。 この番号は各モデルのいわゆるシリアル番号ではなく、ある時期に工場で組み立てるときには、良い組み合わせを見つけて、他のものと混同しないように添付したと思いました。 それとも、あなたはそれをロットごとに入れましたか? どうですか? 私はその番号がある特定の望遠鏡のシリアル番号ではないことに同意します。 製造ロット番号または部品仕入先番号の場合があります。 私の初期のZeusブランドのUranus 4では、すべての数字は同じです - 77。 私は戦前のアポロン番号を調べました。 これらの数字は、フォーカサーの微調整プレートとノブが11であることを除いて、どこでも19です。 アポロンマウントライザー、三脚ヨーク、ファイン方位調整、ファイン高度調整全19
Re: 五藤望遠鏡
Stew - 2019/04/02(Tue) 08:28 No.11739
Re: 五藤望遠鏡
NGC1999 - 2019/04/02(Tue) 08:34 No.11740
Re: 五藤望遠鏡
Stew - 2019/04/02(Tue) 09:15 No.11741
おはようございます。NGC1099さん、そしてみんな。 ブラックユニットNo.3のケースラベルを見せてくれてありがとう。ラベルは世田谷が言っているので、ケースラベルは黒ユニット3番が昭和7年(1932年)から昭和12年(1937年)であることを示します。 昭和13年(1938年)から昭和16年(1941年)になるには、「後藤光学研究所」の前に「株」という文字が必要です。 戦後後藤はラベルに特許保護情報を追加しました。 そのため、Black Unit No. 4のケースラベルはZeusのロゴで、ラベルに特許保護情報が記載されています。 児玉氏は、ブラックユニットNo.4のケースラベルを取り扱っていない。五藤は昭和17年(1942年)から昭和20年(1945年)まで望遠鏡を製造・販売しましたか? 私はそうは思わない。 後藤が望遠鏡の製造と販売を再開したとき、私は昭和22年(1947)だと思います。 そしておそらく米国の占領のせいで、特許保護が必要でした。 だから私は上記のチャートを考慮する必要があると思います。 私の考えでは、ブラックユニット3番は昭和13年(1938年)より古いです。
Re: 五藤望遠鏡
NGC1999 - 2019/04/02(Tue) 11:05 No.11742
Stewさん みなさん こんにちは 以前撮影した黒色3号機の木箱の写真をよく見ましたら、蓋の裏側に次のように書かれているのに気が付きました。 望遠鏡(Telescope) 昭和24年3月30日購入(1949 March 30th Perchased) 24,800円(24,800Yen) 高等学校(HighSchool) また、児玉氏の五藤式望遠鏡の製作年代特定表を見ると、世田谷の住所が出てくるのは、1932〜1939と、もう1カ所1943〜1963の2カ所あります。2カ所目で、ZEUSと重なるところもあります(1943〜1952)。 以上より、2回目の世田谷時代の可能性があると思います。
Re: 五藤望遠鏡
Stew - 2019/04/02(Tue) 12:59 No.11743
おはようございます。NGC1099さん、そしてみんな。 これはとてもおもしろいです。 私のゼウスエロスのデートは、昭和26年(1951年)5月の後のように、指示書によって確認されます。 そのため、当時は特許保護情報がラベルに記載されていました。 1951年に五藤氏がプラネタリウムを観察するために米国に行ったときにクーデターがありました。 彼が帰国したとき、小島周介を含む多くの労働者が会社を辞めた。 ゼウスエロスの箱のふたのエロス指示のイニシャルはY.Iを示します。 そして1951.5の日付。 小嶋氏は以前に手書きの指示を持っていた。Astro Service CenterとKojima氏による後藤の会社情報のコピー防止のためにラベルに特許の保護が追加された可能性があります。上記の場合、Black Unit No.3のように特許保護のないラベルは、戦後の最初の生産から五藤への小島氏の離脱に出る可能性があります。
Re: 五藤望遠鏡
Stew - 2019/04/02(Tue) 22:27 No.11744
そのため、黒ユニット3号機の日付は昭和24年(1949年)になるでしょう。
Re: 五藤望遠鏡
青色つきこ - 2019/04/03(Wed) 00:01 No.11745
Stewさん、こんにちは。 Dear Stew The case label survey is interesting. I think checking each one is a difficult task. When I conducted a survey on Mr. Kojima, there were a number of differences from the conventional wisdom. About Mr. Goto and Goto Kogaku, It was in 1955 that Mr.Goto first traveled to the United States. From October 17, 1955 to the end of the year. It has been contributed by Mr. Goto in the February 1956 issue of the Tokyo Chamber of Commerce newspaper, Tosho. I can not confirm that Mr.Goto went to America in 1951. There are many patents and utility model registrations of Goto Optical Co., which Mr. Kojima has devised. Stewさんのケースラベルの調査は興味深いです。 ひとつひとつを確認していくのは、大変な作業だと思います。 五藤斉三氏が初めてアメリカに旅行したのは1955年です。 1955年10月17日から1955年の末にかけてです。 それは、東京商工会議所の機関紙「東商」1956年2月号に五藤斉三氏本人が書いています。 私は、五藤氏が1951年にアメリカに行ったという事実を確認できません。 五藤光学の特許及び実用新案登録には、小島修介氏が考案しているものが多くあります。 Stewさんのケースラベル調査に、新しい発見があることを期待しております。
Re: 五藤望遠鏡
Stew - 2019/04/03(Wed) 04:12 No.11746
おはようございます。 青色つきこさん、そしてみんな。 五藤氏が昭和30年(1955)に初めてアメリカに行ったことに同意します。 昭和26年(1951年)、五藤氏と小島氏の間に脱落があったことをブログで読みました。 記事はこちらです。https://blogs.yahoo.co.jp/kyainbabu77/42489656.html このブログをもう一度読む必要があります。 天文物語の五藤さんと小島さんへの言及があります。 私が最後に読んでから1年が経ちました。 正しくないものを投稿した場合は申し訳ありません。 五藤創立70周年記念書はまた、五藤氏の米国への最初の旅行が1955年であったことを確認しています。
Re: 五藤望遠鏡
Stew - 2019/04/03(Wed) 07:12 No.11747
おはようございます。 青色つきこさん、そしてみんな。 私は再びブログを読み、職場の不安が起きたのは五藤藤氏の昭和30年(1955年)の米国旅行の後であったことを理解しました。 私はここでAstro Opticalのエントリを読み、タイミングをよく理解するまで再びコメントしません。 混乱して申し訳ありません。 特許情報が昭和24年(1949年)のBlack Unit No.3のラベルに記載されていないのに対し、特許情報はBlack Unit No. 4および昭和26年(1951)または昭和のZeus Erosのラベルに記載されている 27(1952) この変更の原因は何ですか? それは昭和26年(1951)に終わるアメリカの占領と関係がありましたか?
Re: 五藤望遠鏡
Stew - 2019/04/03(Wed) 21:33 No.11748
Re: 五藤望遠鏡
Stew - 2019/04/03(Wed) 21:48 No.11749
Re: 五藤望遠鏡
ガラクマ - 2019/04/03(Wed) 21:59 No.11750
Stewさん。ますます日本語が分かりやすくなっております。 日本語で書きます。 左側のタイプの赤道儀は、カタログではみたことがありますが、現物を日本国内では見たことがありません。 五藤光学の6cm用赤道儀は、微妙に違うたくさんの種類があるようです。
Re: 五藤望遠鏡
Stew - 2019/04/03(Wed) 23:16 No.11751
ガラクマ氏と皆さん。 おはようございます。 小嶋さんと五藤さん。私はこのBBSの小嶋さんに関する投稿、特にGalakumaさんの投 稿を読みました。昭和26年(1951年)は五藤氏が米国に旅行した年ではありません が、昭和26年(1951)は小島氏と後藤氏が脱落した年のようです。小島氏は、後藤オ プティカルとの提携を継続している可能性があります。しかし、小島氏はAstro Optical Servicesにも関連していました。 後藤氏が1951年にGoto Opticalの所有権を保護するために変更を加えたと私は信じ続 けています。 GotoU Opticalの所有権を保護するために、ケースラベルに特許保護番 号が追加されたと思います。 NGC1999の昭和24(1949)の天王星ブラックユニットNo.3について。後藤氏は昭和23 年(1948年)の戦後、望遠鏡の製造を始めました。この日付は、後藤光70周年記念書 の裏のタイムラインからのものです。 GotoU Optical 70th Anniversary Bookの91 ページには、GotoU氏が天王星とダイアナ望遠鏡を古い部品から作り始めたことが述 べられています。私は、昭和24年(1949年)のNGC1999のブラックユニットNo.3が古 い部品から作られたと信じています。そしてGotoU Opticalが昭和24年(1949年)の 証券会社ではなかったので、後藤氏は昭和7年(1932年)から昭和12年(1937年)ま での古いケースラベルを使用しました。 私の日本語翻訳が好きなGalakumaさんに感謝します。 ブラウザでも日本語を書くの が楽になります。 まだ学ぶべきことがたくさんあります。
Re: 五藤望遠鏡
青色つきこ - 2019/04/05(Fri) 00:15 No.11752
Stewさん、みなさま、こんにちは。 Dear Stew 小島修介氏は、五藤光学研究所を、1951年の始め頃に、退職しています。 小島氏は、1950年〜1954年にかけて雑誌に連載記事を載せております。 それには肩書が記されており、勤務先がわかります。 、 小島氏は五藤光学研究所に勤務していた時は、五藤光学研究所の近くに住んでいました。 1951年には、転居しています。 小島氏は、天象普及協会を設立し、活動します。 天象普及協会の中にアストロ・サービス・センターを作り、啓蒙活動や天体望遠鏡の修理を します。 それは、雑誌に掲載されたアストロ・パブリック・ニュースという広告から明らかになって います。 小島氏が天象普及協会/アストロ・サービス・センターとして活動するのは、1951年〜1952年 のおよそ2年間です。 1953年には、旭光学工業(株)に勤務しています。 そして、1954年11月にアストロ光学(株)を設立し、代表取締役になります。 なぜ、五藤光学研究所のケースラベルが、特許及び実用新案登録番号を記載されているか。 その原因の調査は、たいへん興味深いです。 1950年〜1951年には、日本光学工業(株)、日本精光研究所、旭光学工業(株)が天体望遠鏡 の製作を始めます。日本光学工業(株)、日本精光研究所の架台は赤道儀です。 1950年代前半、五藤光学研究所と競合するのは日本光学工業(株)、日本精光研究所です。 特に日本精光研究所は、新しい天体望遠鏡メーカーです。 Shusuke Kojima retired from the Goto Optical Laboratory near the beginning of 1951. Mr. Kojima has published serialized articles in magazines from 1950-1954. By this, you can find out the company you belonged to. Mr. Kojima will set up and act as Tensyouhukyuukyoukai(天象普及協会). The Astro Service Center will be established in 天象普及協会, and will carry out educational activities and repair of the astronomical telescope. It becomes clear from the ad called Astro Public News published in the magazine. Mr. Kojima acts as 天象普及協会 / Astro service center from 1951-1952 For about two years. In 1953 he worked at Asahi Optical Co., Ltd. Then, in November 1954, Astro Optics Co., Ltd. was established and will be the representative director. Why is the case label of Goto Optical Laboratory listed the patent and utility model registration number? Investigation of the cause is very interesting. 日本光学、 日本精光研究所 , and 旭光学工業 will start producing astronomical telescopes from 1950 to 1951. In the early 1950s, 日本光学 and 日本精光研究所 are in competition with 五藤光学研究所. 日本精光研究所 is a new astronomical telescope manufacturer. ケースラベルに特許・実用新案番号が記されている理由が、小島氏に対抗するものだという主張、とても興味深いです。 このように理解しましたが、正しいでしょうか。 Stewさんは、五藤光学の望遠鏡で、何を見ているのですか。惑星、月、二重星 五藤光学のモノセントリック アイピースは、お持ちですか。
Re: 五藤望遠鏡
Stew - 2019/04/05(Fri) 05:31 No.11753
青いげっ歯類さん、Galakumaさん、そしてみんな。 おはようございます。 小島さんの仕事の歴史を教えてくれてありがとう。 小嶋氏は五藤 Opticalを昭和26 年(1951)に残しました。 エロスのふたの上の指示書は小島氏イニシャルを持っていなかった、それで彼はもはや昭和26年5月にそこにいないことを支持する (5.1951)。 小島氏は望遠鏡とマウントを作り続けるでしょう。 五藤 Opticalと競合します。 小島さんと五藤さんの間の個人的な議論ではないでしょう。 しかし、ビジネス競争は特許保護を必要とします。 ラベルの数字で積極的に保護を追求することが必要です。 学校の望遠鏡のLittrowレンズは、コマのない狭い視野を持っています。 Littrowレンズは惑星や二重星に最適です。 観察用接眼レンズはペンタックスSMCオルソスコープです。 Binoviewerが使われたので、接眼レンズのペアが使われました。 Zeiss moncentricとTMB monocentricは以前所有されていました。 ペンタックスSMCオルソスコープは現在使用されています。広視野接眼レンズはペンタックスXLとTelevue Panopticです。 五藤 Opticalの一軸接眼レンズの絵を投稿できますか
Re: 五藤望遠鏡
Stew - 2019/04/05(Fri) 05:43 No.11754
Re: 五藤望遠鏡
青色つきこ - 2019/04/05(Fri) 20:34 No.11755
Dear Stew 五藤の望遠鏡の付属のアイピースはMHだと思います。 MHは、使いにくいでしょうか。 最近、私は、MHやRを再評価しています。 モノセントリックは、五藤の古いカタログに載っています。 私は実物を見たことはありません。 リトロータイプは、覗いたことがありません。 焦点距離が長いので短所は隠されていると思います。 Stewさんの望遠鏡は、写真を見ているだけでも、楽しめます。 ありがとう。 I think the included eyepiece of Goto' telescope is MH. Is MH difficult to use? Recently I have reevaluated MH and R. Monocentric is in the old catalog of Goto. I have never seen a real thing.Litrow type does not have. The longer the focal length, the better the performance. You can enjoy Stew's telescope just by looking at the photos. Thank you. Stewさんは、ケースラベルの特許・実用新案番号の内容は、ご存知でしょうか。 このBBSの中で、かなり紹介されています。
Re: 五藤望遠鏡
ロッド - 2019/04/05(Fri) 22:23 No.11756
Stew様、はじめまして! 青色つきこ様、毎度面白い話題をありがとうございます。共感する部分が多いです。 Stew様の趣味は素晴らしいと思います。 よくこれだけの名機を集めましたね。貴重な文化財を多数収集され、もはや立派な博物館に匹敵すると思います。 また、我が国の光学製品をこれほどまで高く評価していただき、とても嬉しく思います。 私は過去には光学メーカーの社員でした。天体望遠鏡には特別のこだわりを持っていますし、そのもっとも基礎となるのは五藤光学の長年の蓄積された経験に基づく技術と、ユニークな設計思想だと思います。 五藤光学は我々にとって、もはや”神の領域”であり、現在は中古品しか入手できないし、それらの価格は高騰しています。 五藤 Model 106 76mm 焦点比はf / 17.3 これは過去の日本の高校ではスタンダードと言える望遠鏡でした。昭和33年(1958年)そんなに古い物だったのですね。 私の故郷の高校にもありましたし、最も五藤光学らしい望遠鏡だと思っていて、今も私の憧れです。 これが”Littrowレンズ”とはここで初めて知りました。 ”Littrowレンズ”は日本ではほとんど聞かれない言葉ですが、ヤーキス天文台の世界最大の屈折望遠鏡を始めとして米国ではポピュラーな設計思想とお見受けします。 この事は吉田正太郎氏の著書で知りました。 中心像はシャープだが、コマ収差が多く良像範囲が狭い。 しかし長焦点なので実用上まったく問題がない。むしろ技術的、製造上のメリットが大きい。 やはり”コリメーションは非常に敏感です” つまり光軸調整がデリケートだということですね。体験談として良く理解できました。理論と合致しています。 ↑にある1972年の60mmF15は私の中学校にありました。 当時新品でした。なぜならば、その前の古い五藤光学の60mm経緯台は対物レンズが紛失、三脚も紛失・・・ 空っぽの鏡筒と架台だけの残骸、ひどい状態でした。 それで、私たち生徒が学校に懇願して新しく買ってもらったのでした。 この望遠鏡で見た土星のリングは、私の家にあった10cm反射望遠鏡と同じぐらいの解像力だったので驚きました!! 五藤光学の望遠鏡は機械部分の設計思想や加工精度も、他社とは全然レベルが違うと実感します。 たとえば微動装置の動きの感覚や、クランプのフィーリングは、他社のどの製品にもない、しっくりとした素晴らしい安定感を感じました。 とてもシンプルな構造なのに、他社が真似しても、絶対に真似できないほどの不思議な要素があると実感します。 これは何なのでしょうか?そして素晴らしい耐久性、外観の芸術的な美しさ。 あの頃の古き良き時代の熟練工、まさに芸術家のような人が丹精込めて作った物だから、後世の他の人達には真似ができないような名人芸なのかもしれません。 だから今後も、この愛すべき五藤光学の製品たちを文化遺産としてずっと大切にして欲しいと思います。 一方、私が今愛用しているのは五藤光学とは敵対関係にあったアストロ光学の製品です。 正直言って五藤光学には負けますが、軽量で扱いやすく別の意味でメリットが多いので私の使用目的には良く合っています。 しかし根底に流れる設計思想には共通性がありますね。 小島修介氏は、なんと言ってもやはり五藤光学で育った人材だと思います。 それは彼が作った製品を見るとわかります。 しかし新しい時代に向けて、彼独自の発想で大胆に変革されているのがわかります。 現在の極めて完成度の高い高橋製作所の製品も、小島氏の影響を強く受けた高橋喜一郎氏の方針で発展して来たのは、疑いのない事実です。 そういう歴史的なストーリーはとても興味深く思います。 小島修介氏は五藤斉三氏ともに、歴史に残る偉大な人物だと思います。 私は高橋喜一郎氏に何度も直接お会いできて、親しく助言いただいたのはとても光栄で幸運な事で、一生忘れられない幸せです。彼は地味な職人風でしたが、全身から光を放つような人物でした! 古き良き時代でした。あのような時代は、もう来ないのでしょうか? ↑の”五藤 Optical Hershel対角プリズム”ですが、 日本では「星太陽両用プリズム」と呼ばれていました。 これは面白い設計ですね。昔の五藤光学には、このような面白い発明品がとても多くありました。 画像は、1970年の五藤光学の広告です。 魅力的な製品が満載ですね!! PS;私は初歩的な英語なら一応は書けますが、間違った表現などあるといけないので、日本語で書きました。 できるだけ翻訳しやすい文体で書くように配慮したつもりです。 若い頃はたった1人で外国へ放浪の旅をしたこともあり、しかし英語はもう30年も使っていないので忘れましたが、興味が湧いてきたので、これを機にまた勉強してみたいと思います。
Re: 五藤望遠鏡
ロッド - 2019/04/06(Sat) 00:33 No.11757
Re: 五藤望遠鏡
Stew - 2019/04/06(Sat) 04:07 No.11758
Re: 五藤望遠鏡
Stew - 2019/04/06(Sat) 04:19 No.11759
青色つきこさん、ロッドさん、そしてみんな。 またおはようございます。 古典的な接眼レンズも私のお気に入りです。 上記のPentax SMC、XLおよびTelevue Panoptic接眼レンズは、最新のEDガラス望遠鏡で使用されています。 私が古典的な望遠鏡で使う古典的な接眼レンズ。 これらの接眼レンズは私の孤児です(スコープキットの一部ではありません)。 五藤1.25インチの対角線私はいつか見つけたいと思います。
Re: 五藤望遠鏡
Stew - 2019/04/06(Sat) 04:38 No.11760
Re: 五藤望遠鏡
青色つきこ - 2019/04/06(Sat) 17:39 No.11761
Stewさん、みなさま、こんにちわ。 五藤光学の対物レンズの調査は、すばらしく、とても興味深いです。 五藤光学の6cm F=20 の対物レンズの実用新案はこれです。 五藤光学の対物レンズについての実用新案(3310569)の概要を添付しておきます。 1955年10月14日に申請されています。 この対物レンズの特徴は a.第1レンズの材料は青板ガラスです。青板ガラスは価格が安い。 b.工作上の手間を減らす為に、錫箔は使用しません。 c.長焦点に設計することで、対物レンズの色収差と球面収差を十分に補正できる。 レンズの曲率の比率 R1:R3:R4 = 1:2.8:6 R2 完全な平面 五藤光学が青板ガラスの在庫を抱えていたことが、設計の一因だったのでしょうか。 H10-20mm アイピースは、1.25inch(31.7mm)ですか。 はじめて、見ました。 ロッドさま、アイピースの情報、ありがとうございます。 TP-6mmについては、まだまだ興味が尽きません。 Swiftにも供給されたのに、シリーズ化はされていないんです。 全く、不思議です。
Re: 五藤望遠鏡
ロッド - 2019/04/06(Sat) 18:38 No.11762
青色つきこ様 五藤6cmは天文ガイドの天体望遠鏡テストの第一回に登場しました。 これを読んだ時「青板ガラス」というのが引っかかっていましたが、今その謎が解けました。青板ガラスはクラウンガラスの一種なので、色消しレンズの素材になるわけですが、特殊な設計だったのですね。 錫箔を省略できるのは大きなメリットです。 安価で高性能な対物レンズが作れる素晴らしいアイデアです。 こちらの画像は8cm対物レンズですが、錫箔が見えています。 ちなみに、アストロの6cmF20(R-61D)は錫箔を入れた普通のタイプですし、青板ガラスではありません。 五藤光学にライバル意識を燃やして作ったものではないか?と思います。 とすると発売は昭和33年以降でしょうか。古い資料には見られませんよね。
Re: 五藤望遠鏡
ガラクマ - 2019/04/06(Sat) 22:29 No.11763
Re: 五藤望遠鏡
ロッド - 2019/04/07(Sun) 01:04 No.11764
話が複雑になってきたので、 ガラクマさんに質問なんですが、 1)75mmに箔がないのには驚きました。これも60/1200と同じ設計と考えて良いのでしょうか? つまり青板ガラスが使われているのでしょうか? 2)75mmがリトロー型だというのはStewさんの情報でわかりました。それでは「リトロー型は箔がない」と考えて良いのでしょうか? 3)60/1200はリトロー型とは書かれていませんが、この五藤の実用新案はリトロー型なのですか? 追記です。 Stewさんご紹介のCloudy Nightsをざっと斜めに読んでだいたいわかりましたが、 残念ながらリトロー型についての記述は見つかりませんでした。 ちゃんと熟読してみる必要があります。 画像はCloudy NightsのStewさんの投稿記事より。 五藤75mmに箔がない事が不思議な設計なので、皆さん議論しています。 吉田正太郎氏の望遠鏡光学・屈折編P172より。 リトロー型の解説です。 私の所に対物レンズ用のφ11cmガラス材があるので、自作してみたいと思っていて、リトロー型ならばアマチュアの自作用に適しているというので、前から関心がありました。 この手の話になると深く嵌りそうですが(汗)
Re: 五藤望遠鏡
Stew - 2019/04/07(Sun) 06:15 No.11765
Rodさん、Blue Rodentsさん、そしてみんな。おはようございます。 最初に、私はf / 20モデル105学校望遠鏡のためのレンズデザインペーパーについてMr. Blue Rodentsに感謝します。 私がOSLOプログラムから投稿したレンズ設計は75mmの焦点距離1300mmのモデル106学校望遠鏡のためのものです。クラウン要素はBK7です。フリントはF2です。これは球面補正のための完璧な解決策を与えました。 1:2.8:8.2では、R1:R3:R4の比率がわずかに異なります。 BK7はブループレートガラスではないと思います。 私はLittrowがデザインであることを読みました。 Cloudy Nightsデザイン記事はModified Cooke Doubletを使用しました。それらは似ていますが、私が読んだ日本語の記事にLittrowがありましたので、代わりにここで使用しました。 そのため、LittrowまたはModified Cooke DoubletはModel 104、105、106、および107のレンズです。75mmでは、BK7を使用して、焦点距離を少し長くすることができます。 3つのコンバーチブル接眼レンズ。モデル201用のH10mm-20mm.965インチ(高度方位角マウント付きの60mmベスト光学タイプ)で、H6mmと結合されています。 モデル104、105, 106, 107(教育タイプ)用のH12.5mm-25mm965インチ。H6mmおよびH9mmと結合 そして米国市場のためのH10mm-20mm 1.25。
Re: 五藤望遠鏡
Stew - 2019/04/07(Sun) 07:10 No.11766
ガラクマ氏と皆さん。 おはようございます。 60mm 1200mmの学校望遠鏡レンズ(LittrowまたはModified Cooke Doublet - それは両方のバリエーションです)は非常に悪い画像になる可能性があります。 新しい望遠鏡からの画像は悪くないはずです。 何人かの所有者はきれいにするためにレンズを分解する。 一緒にもう一度イメージすると、もはや良くない。 分解しないことをお勧めします。
Re: 五藤望遠鏡
青色つきこ - 2019/04/07(Sun) 12:03 No.11767
Stewさま、みなさま、こんにちわ。 実用新案(3310569)について、説明を追加します。 実用新案では、対物レンズ径42mm 焦点距離981.057mm です。 第1レンズは、青板ガラスです。 第2レンズは、F2です。 実用新案では、フラウンフォーファ・タイプを改良したものと 記載されています。 リトロー・タイプとは、記載されていません。 実用新案と量産品には、相違があると考えます。 青色つきこ aoiro tukiko