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60年代
- [1] 名無しのゴンベエ - 2006/08/01 08:05
- [1] ロッド - 2005/03/25 22:22
「天文と気象」68〜69年の完全セットと、64〜67年少々、入手しました。
天文ガイドに比べると広告がきわめて少なく、ちょっと期待していた「景山スコープ」は載っていませんでしたが、足立光学は対物レンズ短焦点広視界をどうぞ(と言ってもF11)とか、短くても凄い性能=カスグランの清原光学は「皆さんの工作室」とあります。ビクセンはジェミニエーター→パラボラ100→エーターカスタムと変遷して行きます。
読者の怪しげな自作品はほとんどダウエルの光学系を使用しています。当時のダウエルのシェアは90%ぐらいのように思えてきます。さかんに広告を出しています。
60mmのアクロマートを持っている人は恵まれた人で、普通は怪しげな80mm単レンズとか、40mm屈折とかが平均的だったようです。反射鏡を自作した人はフーコーテストの光源に「ろうそく」を使ったと書いています。他にも面白い記事がたくさんあって、ここでは書ききれません。
[2] ジーク - 2005/03/25 23:03
小学生のときに,お小遣いの前借りでジェミニエータ型を買って,友達にうらやましがられました.当時は,プリンスの4cm屈折が主流でしたから...
[3] ロッド - 2005/03/26 21:10
ジェミニエーター型というのはビクセンの記念すべき一号機らしいです。経緯台なのに立派な木箱入りなんですよね。そして接眼部が太くて大型アイピースが使えるのは当時の6cm屈経としては珍しかったです。
ところで、凄い記事を見つけました。微動なしの赤道儀で手動ガイドをやって、立派な星野写真を撮っていた人がいたんです。まったく、考えられません。クランプをゆるめて、接眼部を片手で持って10分も追尾し続けるんです。
[4] コメト(^0^) - 2005/03/26 22:05
世はまさにアポロ計画のまっただ中。。。
このブームに乗って望遠鏡も今だ健在の勘違いしたバイヤーの為に売れに売れていたんではない
ではないでしょうか。
ガイド撮影も超人的な手動1〜2時間などと言う長時間露出がなされ、本家天文オタクのレベル
もウナギ昇りではなかったかと思います。私などその快挙の前に黙って指をくわえて見ている
だけ。。の感ありました。
それにしてもダウエルの存在が大きかったんですネ!なにせ自作用品でレパートリーが広いのは
ここしか無いような雰囲気があり、他の追従を許さなかったのではないでしょうか?
そんな中、自作の反射鏡をアストロ光学にメッキに出したら僅か1年で真っ白になり、改めて
オーバーコートの重要性を実感した出来事がありました。仕方がないのでダウエルに再コートに
出したら何年かは大丈夫でした。元請けのコートメーカがそれぞれ違う所だったんでしょうが、
オーバーコートをして数年の寿命では同じ所かもしれません。今のコートはY光学でやって30年
持っているんですから技術の違いが明白であります。 (×_×;)
[5] ロッド - 2005/03/26 22:49
コメトさん、こんばんは。
まさに、そうなんです。いつも月面の話題が満載なんです。今では月面は単なる観望=お月見の程度にしか扱われませんけど、60年代には天文研究の第一線の感があります。実際に月探査機が行くので、着陸地点などなど詳細な調査の必要があったものと思われます。まさに宇宙時代ですね。人工衛星の話題も満載です。エコー1号、パジオス何号とか、懐かしいじゃないですか。この前、画像掲示板にUPされた堂平天文台の機材だったかにあったアポジ望遠鏡(ムーンウォッチ)=人工衛星用観測望遠鏡ですが、アメリカ製の12cm口径の物を2本も同架した観測室の写真がありました。凄く良く見えるそうです。
それと、63年の網走日食に新潟大のメンバーがユニトロン(!)10cm屈赤を持って遠征したレポートもありました。ユニトロン(日本精光)の歴史の古さに感心しました。
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