脇本善司さん
脇本さんは、超高解像力レンズの開発によって、昭和58年春 紫綬褒章を受章された方です。
以下の文章は受章された脇本さんの受章内容についての記事です。
「昭和23年(1948)、日本光学工業株式会社に入社し、その後累進して同56年より同社取締役大井製作所長となる。同社においては一貫して光学技術の開発に従事、数々の発明を行い、また実用化に力を尽くした。
ことに、超高解像力レンズの開発は、待望のIC(集積回路)の量産化を大きく前進させたものである。これは、無収差の状態に於いて可能な限りの明るさを求めたレンズであり、光学理論の限界解像力への挑戦であった。
そこで、レンズの配分や形状に新機軸のアイデアを盛り込み、素材を選択、さらに照明光の波長などの条件を研究し、ついに2ミリ径視野内において解像数1260本という超高解像力レンズをはじめ、8ミリ径視野内に0.7ミクロン線幅相当で解像数800本のレンズまで、世界に先駈けて開発した。
この超高解像力レンズは、世界のフオトマスク製造用機械に独占的に供給され、フオトマスクの高精度化を促進、ICの進歩に大きく貢献するとともに、関連産業の進歩発展に多大に寄与している。」
次のような文面も合わせて紹介しておきます。
「・・マイクロニッコ-ル50ミリF3.5を設計したのは日本光学(現ニコン)の脇本善司氏である。脇本さんは小穴先生の文字通りのまな弟子であった。小穴先生の東大時代の教え子のうち、一生をレンズ設計者で通したのは脇本善司氏ただ一人である。
・・・・(退任されたあとも)しばらく脇本さんは顧問としてニコンに残った。社長室を一つ隔てた先に顧問室があり、そこで脇本さんはハイタック10というミニコンのキーボ-ドを一人で叩いていた。ステッパーと呼ばれる超LSI製造用露光装置のレンズ設計をしているのだという。「僕にはこれしか能がありませんからね」と言い、しかし楽しそうに「ハハハ」と笑った。」
脇本さんは平成9年惜しまれながら亡くなられました。
ビクセンと脇本さんとのおつき合いは、ニコンを退任されたあとからでしたが、かなり長期にわたっていました。甲南カメラ研究所さん(現 (株)コ-ナンさん)を通してのおつき合いでした。
脇本さんの設計でビクセンから一般製品として出たのは、かってのAVアイピ-ス、現在のLVアイピ-ス、LVワイド、ズームアイピ-ス、DXバロ-、などがあります。
一方、ビクセンとして出した特注の工業用、業務用光学製品の数々については一寸思い出せない位多岐多種に亘ってレンズ設計をして頂きました。
ビクセンに対しても大変に貢献をされた方でした。
下の写真はありし日の脇本さんです。
実は、脇本さんに設計をお願いしておきながら、製品としては実現せずに設計のまま終わっている機種が何点が残されてあります。故人の偉業を思うにつけ、又、与えて下さった功績に報いる意味においても実際に製品化してそのレンズに光を通してやるべきであろうかと考えてみました。
その中の一点が120度の超広角アイピ-スです。ミリ数は15、アイポイントは14ミリ。レンズ径は最大で約100ミリ程あります。
このアイピースを実際生産したとなると相当な高価格になる事が予想されますので、一般向きというよりは公共施設か地域の天文台とか、その方面の需要に応えるようになるのではないかと思われます。勿論一般アマチュアを含めてもOKだと思いますが、いずれにせよ限定生産となる性質の製品と考えております。
下の写真は参考までに作ってみた大きさを比較するためのダミ-で、レンズは勿論入っていません。又、外観のデザインも適当なもので、形を取るためのものです。
アイピースの差し込み口は50,8ミリです。