礼文島の金環食

 昭和23年5月9日、北海道 礼文島で金環食がありました。戦後の復興は端緒についたばかり、混沌とした荒々しい世相の中、平和な話題に飢えていた空気もあってか、日本国中大変な騒ぎになったような記憶があります。金環食そのものは学術的にはそれほどの価値がないと分かっているので、騒ぐこと自体がナンセンスなのですが、世間の関心は別でした。新聞(毎日)の社説には次のような文言が書かれてありました。「----何故に日食がこのように大騒ぎをされなければならないのか。われわれはその意義をよく認識する必要がある。---」とか
なんとか云いながら、新聞がまっ先に騒ぎを煽っていたのです。
 

 それはそれとして、私は天文の生かじりの知識をひけらかしながら、いっぱしの解説員よろしく私も大いに張り切ったのものでした。
                        

            その日の新聞は大体保管してあります。その中から見出しだけでも取り上げてみると・・・・・

●捕らえた世紀の光輪 日食の観測成功
●礼文島にあがる歓声 金環食見事とらう 直前雲晴れ幸運の観測
●捉えたぞ金環食
●金環食 観測に成功
●存分に観測 礼文島の科学陣語る
●日食観測について(社説)
●金環食 現地青空座談会 生物の体温、脈拍下がる。漁師の予報に萩原隊長うなる
●親子 馬上で観察 巣へ戻るアリの大群
●成功した礼文観測 現地で座談会
●快晴の空に黒い太陽 燦然 真珠の首飾り 荘厳の礼文島海岸 歓呼に沸く
●渦巻く九群の黒点 磁気嵐に弱る柿岡班
●空にらむ一瞬の興奮 街にあふれた黒色ガラス
●撮影に成功した礼文島の金環食
●世紀の一瞬、雀躍の日米観測隊
以下、等々・・・・

◎座談会の記事には・・・本社「コロナの色はどうでした、あの色はすばらしかったですね」との記者の問いかけに、さすが学者の方ではそれを否定していた文面がありました。金環食ではコロナは見えないのに、記者の方は浮かれていてトンチンカンになっていたのです。そんなオソマツな記事もありました。
                        

 
新聞記事の一例

 時の東京天文台長萩原雄祐氏が詠んだ一首、『天かけてむら雲晴れてすがすがし 天津日が見ゆわが胸おどる』(天津日はアマツヒと読む)
天文台長も大変感激されたのだと思います。

 日食は毎年世界中どっかで起きているので、現在は、それらの地帯は、その都度世界中の学者や観光客でごったがえす事になります。今では台長といえども一句読む時勢ではないようです。


 萩原台長いつまで勤められたのか、随分長く「おつき合い?」が続いたような気がしますが...?。

                     

 数年前、知人が礼文島を含めた北海道ツアーに参加するというので、出来たら、あの時の観測跡でもあったら写真を写してきて欲しい、と頼んだところ、写して下さったのが上の写真です。手前右の柱に「金環日食観測記念碑」と金文字で書かれてあります。奥の石碑が記念碑で、左中あたりにある青い掲示板に当時の経緯が書かれているのだと思います。早いもので、もう約50年前のことです。

 各地での観測はどうであったか。日本本土では部分食で、東北地方でも約70パーセントぐらいの欠けぐあいでした。

                                       ------当時を知っている天文ファンから------


 


 |戻る|