オズマ-80

[80ミリ大口径屈折経緯台 天体望遠鏡]

 ビクセンより[オズマ80]が発売されたのは昭和45年でした。ビクセンの工場ビクセン光学(株)設立の1年後に出され当時としてはかなり注目を浴びた天体望遠鏡でした。この機種の土台になってのは、設立と同時に生産されたカスタム60です。そのカスタム60が好スタートした関係で、その兄貴分として80ミリをなんとしても送りだそうという気概が会社全体に満ち溢れていた頃です。80ミリは大口径レンズと謳っても全くおかしくない時代でした。 

 当時、広く世に認められていた天体望遠鏡のひな形は、この業界の先駆者であったK氏設計の機構デザインを基にした製品が大半でした。K氏は小型天体望遠鏡での大変偉大なパイオニアで参考にすべき点は數多くにありましたが、私共のモットーは「脱K氏」でした。

 カスタムも含めてオズマに言える特色は、とにかく、それまで世にある機種とは全く違った独自の機種にする----これが最大のポリシーになっていました。

 そのために取り入れたアイデアやメカはざっと以下の通りです。(勿論、現在では半ば当たり前になっている箇所もかなりありますが...。)

◎三脚を大型測量器なみのガッチリしたものにした。

 当時の普及機が装備している三脚は「バッタの足」と云われるようなお粗末な三脚が一般的でした。それを常識外の大型三脚にしました。

◎三角板をやめてボックスタイプにした。

 当時の三脚板は、文字通り三角の板で、板面にアイピースが差し込める穴が数カ所あけてある簡単な板でした。これをボックタイプにした事で、暗がりで雑多な付属品などをランダムに入れる事が出来るようになったのです。

◎オズマ80の鏡筒は意表を突いた2段式デザインです。

 カスタムの鏡筒を部分的に拡大改良して80ミリ用にしたらどうか、と、そこに2段式にした発想の原点がありました。ただ、このデザインでまかり通るのかどうか大層気掛かりでしたが、結果的にこれがこの機種を有名にした?最大の特徴になったと思っています。

◎ドローチューブの太さを思い切って太くした。

 一般的に、当時のドローチューブは24.5ミリアイピース対応とは云え何故あのように細いのか疑問に思っていましたので、カスタムからいきなり38ミリ径を採用しました。36.4ミリのアイピースを通常使用としたかったからです。60ミリ経緯台に38ミリのドローチューブはこれも当時としてはかなり思い切った構造ではなかったかと思っています。

◎更にドローチューブの先端部には最初からライカマウント(スクリューネジ)が切ってあります。それによって、ライカマウントに共通するマウントのカメラ(ペンタックスがそうであった)が直接そのまま取り付けられる構造にしました。面倒なアダプターの手配は考えずに済んだのです。

◎アイピースにE(エルフレ)20ミリを入れた事。

 当時の一般的な製品に付属してあるアイピースは大抵がHMで、たまに高級機用と謳ったKタイプが入っている程度でした。それを一歩抜け出して、途方もないような?60度視界のエルフレ20を付属させたのです。そのエルフレのレンズは当時他の業界で広く量産されていたもので、それを流用したことで、単価についてはそれ程の懸念はありませんでした。(そのアイピースは現在でも時折り修理にやってきます。年代モノになっているとは言え、まだまだ現在でも愛用されている事が分かって感激しています。)

◎マウント

 マウントはカスタム用に新しく作った経緯台と共通使用です。このマウント自体にはそれほどの特徴はありません。とにかく安くあげる事を徹底的に追求した架台でした。

 ただ、質的には見るべき点もなく、むしろ上下微動に問題あり、とされましたが原価の点で以後の開発を許さず、30数年後の現在に至るまで超長々ロングセラーを続けています。更に、途上国から押し寄せて来る経緯台にはこのデッドコピーが大量に出現するという皮肉な現象を呈して、実のところ弱っている始末です。

◎思い切った低価格で発売。

 低価格であったからこそ飛ぶように売れた製品かも知れませんが、それは別にしても、オズマ80は、目新しい初級機として注目を引き、新しい若いフアン層拡大の役目を多少は果たしたのではないかと思ってもいます。

 思い残す点があるとしたら、対物レンズ枠を鏡筒内に宙吊りの形にして収め、鏡筒の外から三本のツマミで光軸の調整を行う形を取ったため、光軸調整がスムースにいかなかった事。又、最初から60ミリ用に作った経緯台に80ミリ、それも2段式構造によるトップヘビー鏡筒でバランスが悪く不評を買った事でした。又、三脚が大型とは言えスライド伸縮式ではなくボルトで締め上げる式で組立てに不便を来たした事などなど、いろいろありますが、とにかくコストパフオーマンス上、設計や部材の選択に制限が多く、荒削りな製品そのままでひた走りに走った製品となりました。当時の社員平均年令は20歳代半ば、恐れを知らぬ時代でした。そして又オズマ80は、高度成長の勃興期の波に乗った幸運な製品ともなったと考えています。

 現在の中年の天文フアンなら多分一度は耳にした「オズマ80」かと思います。感想文がありましたらお寄せ下さい。        (ビクセン光学 当時の担当者 記)

オズマ80の全体像

オズマ80の架台部

オズマ80の当時の仕様書

 ※ 参考までに、エルフレ20ミリアイピースの価格は3,500円でした。もし要望があれば当時の価格3.500円で限定復刻版が出来ないか検討中です。ご意見をお聞かせ下さい。



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