岡谷光学の双眼鏡
ビスタ 3倍30ミリオペラグラス
ビスタ6倍15ミリ M型双眼鏡
岡谷光学はカメラで名を馳せていました。35ミリカメラ「ロード35」などは現在でもクラシックカメラの分野では名機として堂々と出ています。有名なカメラです。ライカ系統のカメラが横長スタイルであったのに反し、岡谷のカメラはどちらかと云うと四角に近いスタイルで独自の風貌を備えていました。
その岡谷光学はカメラのほかに、時計、眼鏡レンズ、その他 各種の光学機器及び部材部品を生産している総合光学機器メーカーでした。
その中でビスタブランドの各種双眼鏡は当時のビクセン双眼鏡にとっては大きなライバル的存在だったので現在でも良く記憶しています。いずれの製品も立派な製品で、現在でも通用する充分な構造と性能を持っていました。
3倍30ミリ オペラグラス(上の写真)
今回取り上げたオペラグラスは、この種の製品が市場に大量に出始めた昭和40年前半の頃の製品だと思います。四角いイメージのデザインは今見てもすぐビスタ製品だと判る独特の雰囲気を醸し出しています。
戦中から戦後まもなく出た光学製品の数々は、話しには聞いても実物は滅多に見られなかったのに反し、昭和40年も過ぎると、双眼鏡類も戦時色は完全に払拭され最初から一般用製品として作られ始めたので、直接店頭でいくらでも見る事が出来るようになりました。
高度成長時代を見据えて、日本列島は輝かしい幕開けを迎えた頃です。
このオペラグラスで真っ先に気が付いた事は、接眼見口をはずと分かるのですが、接眼レンズはキチンとレンズ枠に収めてあって、そのレンズ枠を外側の接眼枠から三本のビスで押して固定してある事です。三本ビスはレンズ枠の位置を微妙に動かして光軸を合わせるようにするためのもので、現在ではありふれた調整の仕方で珍しくもなんともない普通の仕掛けですが、これまで眺めた昔の製品には見られず、今回始めて見た画期的?な方法なのです。但し、この方法は別に岡谷光学の発明ではありません。いつからどこで最初に考えた方法なのか不明ですが、この方法が採用されるに至ってオペラグラスは完全に完成された製品に到達したのです。
この種の製品で、角張ったデザインは何かと加工や仕上げが面倒で、どこのメーカーでも作りたがらない形なのですが、岡谷光学という社名にかけてか無難に纏めあげられて問題は見られません。強いて申せば、この時期にはまだ見られた無骨なストラップです。革製であればまだ納得出来ますが、現在では見られない変な?合成樹脂製のストラップです。時代の制約でどうにもならなかったと思われますが、これならまだ綿のヒモを使ったようが見栄えがしたかも知れませんね。
見え味ーーー問題ありません。慴動部の動きもスムースです。価格の点もあってか全体に超高級のイメージには欠けていますが、普及品としては豪華です。多分、売れ筋のオペラとして岡谷光学の中ではベストセラーに入った機種かと推測していますがどうだったのでしょうか。
6倍15ミリ M 型双眼鏡(下の写真)
ここで云う「M型」の呼称は、通称のミクロンタイプと同一の呼び名ですが、形としては、2本の対物レンズ筒が両接眼レンズの間隔より狭い形式の機種を総称して指しています。小型の双眼鏡によく採用される形式で、対物部が接眼部より内側に来るので、全体がコンパクトに纏まります。外国人よりは手の小さな日本人に好まれているタイプです。
ビスタ6倍15ミリは従って典型的なM型双眼鏡です。
それにしても良く出来た製品です。但し、ここにある現物はレンズ類すべてがカビだらけで義理でも見え味が抜群とは言える製品ではありませんが、それを間引いて覗いてみる限りかなりの性能だという事が分かります。
角張ったデザインはビスタの特徴である事は前述しましたが、確かにこの製品も角張った形で、一目で岡谷製品であることが一目瞭然です。ただ、角張ったデザインには好き嫌いがあると思われるし・・・どうかな-----とも思ったのですが、持ち歩いても、テーブルに置いても、結構収まり具合に意外な良さを感じます。更に加えて、同じミクロンタイプの双眼鏡でも前項の各社のピカピカタイプと違って、こちらの方は作りがしっかりしているのでかなり乱暴な使用にも充分対応出来る優れた製品となっています。
表示は BISTA 6X15 No.1688584 これが左カバーの刻印です。右には OKAYA
optic LAMDAX Field 8.5°Coated とあります。
ピント調整は対物レンズ部を動かす方式で、本来ならいろいろ問題が発生する設計ですが、ここでは全く無理のない設計で出来ています。設計の基本がツアイスタイプに似た形をとっているので、その良さを充分汲み取ってなおかつミクロンタイプにしてあるので不安箇所はすべてクリアーしている感じがしました。
これ程優れた設計で出来た双眼鏡でありながら、それ程寿命が長くなかったような気がした背景には、申し上げれば、同じミクロンタイプでも前述のピカピカタイプと違って多少地味なスタイルで若者達の注目度にはもう一つ及ばなかったのかな、とか、価格にあったのかも、とか、勝手に推測してみたのですが・・・。確かに、実販価格はいくらであったか正確な記憶がありません。然し、かなり結構な値段であったような覚えがあります。価格破壊を目指した各社とは違って、王者の貫禄で岡谷光学は他社に対してはどろどろした姿勢は取らずあくまでも紳士の態度で接していたのかも知れませんが。