単対物 35ミリ電動ズーム双眼鏡
-----双眼鏡設計の終点がこれです----
現在市販されている双眼鏡の 半分くらいはズーム式双眼鏡です。ズーム式ですから倍率を低倍から高倍まで自由に選ぶ事が出来るようになっています。大変便利になってきました。価格の点でもズームであるとは云っても格別高価ではありません。
双眼鏡のズーム式には、接眼レンズをズーム式にする方法と、対物レンズをズーム式にする方法の二つの方法があります。然し、実際に販売されているのはすべて接眼レンズのズーム式製品です。
その事は、別に使う側にとってはどうでもよい事だろうと思いますが、まず
最初ですからその事を少しばかり説明しておきます。
接眼レンズによるズーム式が大部分だというのには、それなりの理由があります。その理由とは、接眼レンズによるズームの方が、対物レンズをズーム式にするよりは設計も楽で収差の影響も少なくて済むという利点があるからです。接眼レンズは文字通り目に近い位置にあるので例え多少狂いが生じても気になる程の影響はありません。又、ズームに必要とされる複数のレンズも大きなレンズはいりません。従って、それほど重くならずに出来るので、それだけ安くも出来るし、精度も普通の精度で充分だ、等々・・・対物レンズのズーム化を考えるよりも万事につけ製作がやり易いという理由がその根拠になっています。
当然ながら、その仕組みで悪いという事は勿論ありません。それでいいのです。
然し、実際に覗いてみればすぐ分るのですが、倍率が変化すると云っても、いわゆる視界が大きくなったり小さくなったりするだけで、視界の中に見える景色は、単に、それにつられて大きくなったり小さくなったりしている-----と、それだけなので、これでは何かおかしいぞ、と思うのが普通です。
例えて云えば、額縁の絵を遠くから見たり、近づいて見たりするのと似ています。絵に近づいて絵が大きく見えてくると額縁も一緒に大きく見えてくるので、別に絵が大きく見えてくるという実感はあまりありません。これがもし、額縁を常に一定の大きさにして、中の絵だけが大きく見えたり小さく見えたりしてくると、これは面白い、と思うようになります。これがズーミング効果なのです。これでないと本当のズームの醍醐味は味わえません。そうする事で、居ながらにして景色が大小に変化するという人間ワザでは出来ないズームの世界に浸れるのです。
映画でも、テレビでも、写真の印画紙でも、枠は一定です。見えるモノが変化するのがズームの基本です。
双眼鏡で、そのような効果を出すとしたらどうすれば良いのか、それは接眼レンズはそのままにしておいて、対物レンズの焦点距離を変化させる設計にしないと出来ません。それこそが対物レンズをズーム式にしたい理由になってくるのです。(ちょっとムズカシイ理屈になったようですが、とりあえず そうだと納得して下さい。)
それでは、設計の段階で、最初から対物レンズを動かしてズームにすれば良いのではないか、と、極めて常識的な設問が出てくると思いますが、双眼鏡の場合は二つの対物レンズを非常に緻密に正確に連動させて動かさないと、人間の眼ではすぐその成否が分ってしまうので迂闊な設計製作は出来ません。最初に申し上げましたが、接眼レンズの場合は目に近いという理由から狂いは気にしないで済むのですが、対物レンズの方は目から遠い分だけ狂いが二乗に利いてくるという弱点を持ちます。人間の眼は
なにせ完全に正確です。常にパーフエクトなのです。二つの対物レンズが全く同じように動いてくれないと、見ている人間の頭がおかしくなって
ついには間違いなしに頭痛がしてきます。
双眼鏡は単純な器械で複雑なメカニズムは別にありません。然し、人間の眼に直接関係する道具だけに
あくまでも人間の眼をごまかす方法は取れないのです。
-----という事で、それならば二つの対物レンズは使わないで、一つの対物レンズでズーム式双眼鏡を作れば解決するのだ----と、そこに単対物双眼鏡という奇妙な形の双眼鏡が誕生するキッカケが出たのです。
今回のような単対物双眼鏡の、試作品やら試供品やら小ロット製品やらは、かなりの数この世に誕生しては消えていきました。腕に覚えのある光学技術者は争ってこれの製作に参加したキライがあります。それだけ作る事に魅力ある双眼鏡だったのかも知れません。双眼鏡設計の行きつく終点がこの単対物双眼鏡にあったような気がする位です。然し、この終点はいつも無情などんづまりの終点でした。成功した者は誰もいないのです。つまり、売れる商品迄には遂に達しなかったのです。そこまでは育たなかったのです。
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今回は、その稀有な、そして又 同じようにどんづまりに突き当たって消えていった単対物双眼鏡を取り上げてみました。
製品の写真をよくご覧になって下さい。単対物レンズですから、普通の双眼鏡とは違って、対物筒は一本です。
まず、光学系からいろいろ申し上げてみます。
一つの対物レンズに入って来た光を人間の両方の目に分割して届くようにするために最初に必要になるのは、そのために、新規に
通常の双眼鏡に使われる4個のプリズムに加えて更にハーフプリズムを含めて6個の高精度プリズムが別途必要になります。対物レンズが1個少なくなった分、安く出来るという算段はここでは通用しません。むしろ大幅なコストアップです。(覗いた範囲では、使用プリズムは通常のBk-7ではなくBak-4、つまり一段上のプリズムを使用しています。高級品です。)
それら計10個のプリズムを所定の位置に正確にセットするためのハウジングは、設計もさることながら機械加工も容易ではありません。なにせ秒の角度を争う仕事になるので大変な仕事になります。勿論、所定の精度は機械加工だけでは出来ませんから、要所々には人間の目と手による調整のための調整箇所をあらかじめ
かなりの数作っておく必要が出てきます。
ともあれ、まあ、それはOKになったとして、厄介な問題が出てきます。6個の新規プリズムを光が余分に通過するという事は、つまりは別途に細くて長いトンネルを光がくぐって来るようなものだ-----と、こんな問題が出て来るという事です。つまりこれでは大きい対物レンズを使うことが出来ません。いくら大きくしても、それを通して来る光はトンネルで遮られるので大きな対物レンズは使えないのです。当たり前の事です。使用しても意味がないのです。この双眼鏡が図体のワリには小さい35ミリ径の対物レンズを装着せざるを得なかった事情が分ると思います。(対物レンズを大きくするためにそれに合った大きいプリズムを使うとなったら目玉が飛び出る程の単価になり、更に凄い重量が加算されて
到底 使えるモノではありません。又、電動機構による内部のゾウモツが邪魔をしてそれだけの空間の余裕はない筈です。)
そしてもう一つ。上と重なる理屈になりますが、それは, 細くて長いトンネルを通ると、光はそこを通るだけの光束に制限されるという事です。従って大きいレンズが使えないだけでなく、小さくて焦点距離の長いレンズを使うほかない----となります。これはかなりキツイ条件です。その結果はどうなるか。ワイドの視界はおろか普通サイズの視界もキープ出来ず、この双眼鏡では8倍で約3度半という極端に狭い視界になってしまっています。通常では5度から6度位はどんな双眼鏡でも持っている性能です。然し、この製品では、まるで、オーバーな表現かも知れませんが「葦(よし)のズイから天井を覗く」そのままの、全く狭い視界になっています。覗いてみると惨めなくらいの迫力不足です。
更にイヤな点は、一つの対物レンズからの光が 二つに分かれて両眼に入って来るので、片眼には半分の光しか入って来ない---つまり明るさが半分になる----その分暗く見える---となります。これは単対物の宿命ですからどうしようもありませんね。
更に加えて、この製品では 倍率が2.5倍から8倍という、これも信じられない倍率に設定されています。オペラグラスではあるまいし、2.5倍で遠くを見て一体何を見ようとするのだろうか。又、最高倍率が8倍では、
高倍率を真っ先に考えて買う消費者をどうやって惹き付けるのだろうか。消費者は高倍率の双眼鏡でないと買わないのです。参考までに現在は8倍どころか、120倍程度の滅茶苦茶な高倍率の双眼鏡が売れています。倍率を1倍でも高くした機種が勝つ時代です。(然し、いくらなんでも無謀な高倍率双眼鏡は客の顰蹙(ひんしゅく)をかうだけで自粛の方法が取られてきていますが・・・然し、実態はそうです。)
と云う事は、たかだか8倍迄のズームでは全く魅力のない双眼鏡だ、とアクタイをつかれても止むを得ません。
もう一つ加えて、35ミリ径の対物レンズに2.5倍ではヒトミ径がなんと14ミリです。完全にオーバーフローです。然し、この双眼鏡では対物側に複雑なズーム系レンズが入っているせいか14ミリのヒトミは見えません。----そうなると何故そうなのか浅学の身では理解不能でしたが。
オーバーフローしない限界の 7ミリのヒトミで2.5倍となると対物レンズ径は17.5ミリで充分な計算です。この双眼鏡の表示では35ミリ径となっていますが、実質17.5ミリ径の対物レンズ使用という事で正しいのではないか、------となりますが、どうですか?、これでは、何かおかしい製品だと思うようになってきませんか?。
実際、これではどうしてもおかしいのです。
ヒトミ(射出瞳孔径)は接眼レンズを通して見た対物レンズの像そのままの姿です。そのヒトミ径は倍率によって変わります。
然し、実際に、物差でその径を計ってみたところ、ズーアップしてもズームダウンしても、なんとヒトミの直径は変わらないのです。結局、ここでのヒトミの姿は対物レンズの像ではなくして、ズーム系レンズのどこかで制限された単なる制限リングの姿なのだろうと思いました。それで正しいのかどうかは分りません。とにかく結果はそうです。そして又リング像の径は実測で約4ミリでした。
推測では、35ミリ径の対物レンズで8倍となると正式なヒトミ径は4.375(約4ミリ)なので、制限リングで絞った像の値が約4ミリだ、という事は、2.5倍ではなく8倍での数値に合わせてこれで良し、と決めたせいかも知れません。然し、忘れてならないのは、単対物では半分の光量しか片方の目に入ってこない、という事実です。通常の双眼鏡では8倍で4ミリのヒトミ径で
まず大丈夫なのですが、この場合は8倍では暗すぎるという点です。
然し、これ以上の考察は不可能です。ギブアップです。
従って、ここでのハナシはこれ以上深入りしても こちらの不勉強もありますので、残念ながら進展出来ません。
------次に進むほかありませんね。
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最初、この双眼鏡を覗いて驚いたのはレンズやプリズム類の汚れがひどく、覗いた視界が茶黄色に見えた事でした。どんな製品にも経年変化による汚れはつきものです、視界が黴(かび)だらけで濁っていたのは当然です。然し、これまでの経験では、放り出したまま何十年も経った双眼鏡を見て、確かに汚れていて
視界が透けて見えないケースは多々ありましたが、それが茶黄色の視界に見える事はありませんでした。
何故そうなったのか、理由は簡単です、内部に豊富に詰め込まれているギヤ、ヘリコイドの溝、等々から長期にわたって蒸発した内部のオイルのガスが付着してこびり着いて茶黄色に変色しているのです。
機械設計者とレンズ設計者の間には、そこまで杞憂した検討はされていませんでした。別々に設計をして単に繋ぎ合わせただけだったのではないかと考えられます。電動式双眼鏡の内部構造は単なる双眼鏡の場合と違って複雑です。従って一般の工作機械並みに相当量の油を使うのです。それに対する対策は何も取られていません。
さて、次に 前方に突き出るように長く伸びている対物外筒を外してみると驚きます。内径いっぱいに真鍮製の全周歯車、それも平歯ではなく立ち歯の凄い歯車が壮観な姿をして入っている事です。その歯車の相手になるのは本体側に同じような歯並びで同じように嵌め込まれた全周歯車です。両者が噛み合い内蔵モーターで回される事で対物筒の中のズームのピンが動かされてズームレンズが動く仕掛けになっています。
ズームレンズはグループ分けされており、グループごとカムを介して複雑に動くので、そのためにカム溝が何本か、かなりの傾斜で刻まれてありました。
ズームレンズの動きには、幾通りもの計算があって、ここではどのような式を採用しているのか分りません。通常はサインカーブでピンが溝を滑るように設計されているのが多いのですが、ここではなにやらもっと複雑なカーブの溝が切られている様子です。複雑なカーブとなると、当時のフライス盤での溝切り作業がさぞや大変だったろうと察しられます。
モーターはどこに内蔵されているのか、多分右の本体の中だと思われるのですが、正確には分りません。従ってどんな
形 大きさ パワーなのか把握出来ませんでした。然し、現在あるような小型で強力パワーのモーターではなく無骨で
それでいて力不足の出来の悪いモーターであろうことは容易に想像出来ます。
鏡体右にある W (ワイド)、T(テレ=望遠) 、それぞれのボタンを押すと辛うじて回転して低倍率
高倍率 と動きます。然し、動きはクリアーではありませんでした。歯車等の抵抗が大きい上に全体に油が切れて鈍くなっているからだと判断しました。
なお左の下カバーに10円玉で外せる蓋があって単3電池が4本入るようになっています。右接眼そばには
F(フアースト早い) S (スロー遅い)の区別でズームの駆動を高速と低速に選択出来るようになっており(あまり意味がありませんね。)、更に、左カバー上には、豆電球を嵌め込んだバッテリーチェッカーが備えてあります。(LEDなど無い時代です。豆電球からは
いじらしい赤い光が可愛らしく照らし出されてきました。)
結局、この作りでは、駆動装置が大袈裟過ぎて抵抗が大きいワリにモーターの出力が弱く、電池の消耗も大きく、到底実用に供する製品にはなっていません。
この設計は、どこか昔、帝国陸海軍の兵器にあった速射砲や機関砲、機関銃、対空砲、などの、銃砲兵器の駆動装置を連想させるような重厚な作りで、精密器械向きの軽やかな動きには不向きの設計です。そう思えます。
35ミリ双眼鏡でありながら、重量は1.5kg 普通の7倍50ミリと8倍30ミリ の2台分の重さです。これでは兵器ならいざ知らずレジャー用品には重くてダメです。設計の感覚がまるで違っているように思えました。
ズームレンズ鏡筒は本体の真ん中から宙吊りの形でぶら下がっています。その外側に対物筒がかぶさって締めている格好です。外筒の先端には対物レンズがズームレンズとは別途に装着され、その対物外筒は対物レンズごと回転が出来てピント調整可能になっています。然し、何故か、距離目盛が二重に並列して刻まれてあるので、ズームの位置関係でどちらかの目盛を使うよう指示されてあるのかも知れませんが、詳しい使用説明については不明でした。
それにしても、何故 対物レンズによるピント調整機構が必要なのか分りません。何故なら、この双眼鏡はIF(インデビヂュアルフオーカス)つまり個別繰り出し装置になっていて、ピント調整は接眼部で可能になっているからです。
但し、その件にもおかしい点があります。接眼部は左右共個別に回転出来るのですが、ついている目盛はプラス2からマイナス4迄、これは視度調整の範囲の目盛です。視度調整用ならそれはそれで理解出来るのですが、それが左右両方の接眼部についているのでややこしいのです。
理解に苦しむ機構です。----但し、これは、単対物双眼鏡に馴染んでいないせいで曲解しているのかも知れませんが・・・。
外観は、全体に角型のデザインでミリタリールックの匂いがしますが、これは、特別にこの双眼鏡だけの特徴ではなくして、当時あらゆる生産物資すべてにその流れがあったような気がします。カメラ、ラジオ・・・クルマ、そして汽車や電車に至るまで、実用性が優先され固有のデザインなどは顧みられない時代でもありました。従って、その観点からこの双眼鏡だけを責める事は不適当なのは分っていますが・・・それにしても・・・と思うのは、それは
この双眼鏡に使われている皮張りの無神経な色彩です。焦げ茶色という点がなんとも冴えないのです。せめても明るい色には出来なかったのか、と残念なのですよ。
かって帝国陸軍の侵略時代、中国大陸などで軍馬の背にくくりつけられていた雑曩(ざつのう)などの色がこの色調でした。とにかく大衆向けの色ではありません。軍隊や兵器のニオイがする色です。
皮張りは 勿論 本牛革製ではありません。初期の頃の硬いビニールシートを巻き付けたようです。平坦部はきれいに巻けるのですが、対物筒のようにテーパーになっている部品は、斜めになるのできれいには巻けません。従って、合わせ目のシボは食い違った形になっています。機能には無関係ですが、このあたりも多少の工夫が欲しかった箇所でした。見口はまだゴムが普及していなかったので金属製です。これはやむを得ないところでしょうか。
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この双眼鏡の対物レンズ枠には HARIKA POWER ZOOM BINOCULAR No.71169 と刻印されてあります。横文字はさておいて、ナンバーの数字は推測では1971年に作った169番目、こんな風に読めます。これがアタリなのかどうかは分りません。なにせ当てズッポなのですから・・・然し、この程度の推測が結構当たるのがこの業界の知的レベルです。多分間違いはないような気がします。
1971年は昭和46年、確かアポロ11号が月面着陸に成功した年です。30年ほど前の事です。
戦後の復興期は既に終わり、高度成長経済に向けて日本中がまっしぐらに走り出した頃でした。戦中戦後の軍人を含むかっての若かった青年達は中年を迎えた頃、又、中年の者は円熟期にさしかかり働き盛りの年令にありました。
然し、元軍人や 軍関係に従事していた働き盛りの大人達はどこに向かって落ち着いたのだろうか。
光学産業に入ってきて落ち着いた 働き盛りの彼等は 戦時中 軍需工場で光学器生産に携わっていた軍関係の技術者達がメインでした。
板橋には陸軍が主の東京光学、品川方面には海軍が主の日本光学が聳え立っていました。それらの会社が抱えていた大量の技術者の大半は終戦と同時に野に下って、それぞれの立場から新しい民需としての光学産業に身を投じたのです。
今回の単対物双眼鏡の設計者は誰であったのか詳しい事は何も知りませんが、ひと目見て、この製品のデザインにミリタリールックを感じたのは私だけなのかどうか---前述の通り
そんなニオイがしたのです。この双眼鏡はかっての軍関係の技術者達がいろいろと参加して完成したノスタルジックな製品ではないのか、と、勝手に想像してみた次第でした-----ホントに無責任な想像で恐れ入りますが。
彼等は 軍用双眼鏡を作り、飛行機の照準器を作り、砲体鏡を作り、更に 軍艦の測距儀を作り、そして潜望鏡を手掛けてきたのです。腕には充分自信がありました。
但し、トータルとして部門別に総力が結集されれば優秀な製品が完成するのは間違いありませんが、部門別に携わった者達に 資質や能力に差があったり、ポリシーに落差があるとチグハグな製品が出来上がります。この視点から眺めてみると、今回のミリタリールック双眼鏡には必ずしも統一されたポリシーはありません。それはデザイン、レンズ設計、レンズ研磨、機械設計、機械加工、組立て、そして最後に収益性、それぞれに強い関連性が感じられない点に由来します。特に客の希望要求(ニーズ)がどこにあるのか---とか、となると全く意識の外にあって考えてもみなかった条件だった筈です。従って、なによりも、商売を抜きにした旧軍技術者達の一人よがりの未練がましい傑作のように思えてなりませんでした。
この想定は、この双眼鏡の倍率の最高を8倍と設定した点にも見られます。かっての陸軍の主な双眼鏡の倍率は6倍〜8倍、海軍では7倍が最も使われた倍率です。作戦遂行に必要かつ充分な倍率はその辺にあったのです。それで充分だったのです。然し、民需では主にレジャー用に使用されるケースが多く、そこでは軍隊には見られないステータス的な意味を兼ねて買う客が多かったのも事実です。倍率はそのステータスを表す大きな指標になりました。売れたのは他より高い倍率を持つ機種です。並み以下の倍率では見向きもされませんでした。まして高価であれば余計にそうです。
最高8倍の、それでいて高価な双眼鏡では戦わずにして敗北の憂き目をみるのは火を見るより明らかでした。戦場ならぬ市場では敗北劇が展開されあっと云う間に終了したのです。その敗北劇とは、全く誰にも知られる事もなく自らこの世から消滅してしまう、というこれ以上ない屈辱の、無人の敵から抹殺されるという無言の悲劇だったのです。
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こちらの知識不足、誤った理解、加えて単なる間違い、等々、それらがある事は充分承知ですが、いずれにしても、携帯性を要求される双眼鏡に対する人間工学的な配慮には殆ど無関心な設計である事は否めません。無理な光学設計、重すぎる構造、複雑すぎる機構、そしてコストが想像以上に高くついている事、等々、問題山積を百も承知であっても、かっての軍の猛者達によって作られた究極の双眼鏡であろう事には変わりは無いと思っていますが・・・。
仮に、もし、これを現在 全面的に設計変更するとなれば----。
★電動ズーム式を止める事。手動で充分です。
★対物レンズは 固定式にし、本来の意味でのIFタイプにする事。
★単対物レンズ双眼部の構造は現在は双眼顕微鏡で広く用いられているので、眼幅調整は顕微鏡式にスライド方式にするのも一案。
★プリズムでなく大きめのミラーの多用を考えてみる。電動式でなければ光路にかなりの余裕が出る筈。
★徹底的に軽量化を考える事。プラスチック成形の利点(ボデイと共に プラの非球面レンズ等を含めて)を追求する。
★ズームレンズの移動にはサインカーブのみの設計をする。
★対物レンズ径は可能な範囲で大きくし、光路長の長い分はプラスに考え、思い切って倍率を上げられるように設計する。
★接眼レンズはLV方式のハイアイポイント方式にする。
★デザインは勿論現代風なイメージでまとめる。
★量産効果を期待し、徹底的にコストを下げ販売を有利に展開させる-----これを忘れないように意思統一を計って進む。
こんな点に留意して、新規にそして慎重に計画すれば、理想的な単対物双眼鏡が再び蘇って来るかも知れませんね。
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今回の製品は外観的には華麗なまでに洗練された見事な出来栄えです。然し、どう贔屓目で見ても、それはなにやら黄昏れの袋小路に現れた、場違いな美しさを漂わせた優雅な鳥、そんな印象を受けます。-----黄昏に飛ぶ一羽の
色褪せた「極楽鳥」とでも申し上げておきましょうか。
※ 因みに、極楽鳥は、確か 、ガダルカナル、ラバウル、タラワ・マキン、ニューギニア、等々の南方諸国に飛んでいるとの記憶があります。
かって帝国陸軍が玉砕して果てた暗い歴史を持つ激戦の地でした。