正体が不明のオペラグラス

 上の上の機種は、アルミで作られてある点、構造が至って簡単で細かい細工がされてない点、小型で軽い点など、そんな点から推測されるとしたら、第一次大戦頃の、軍の廃材などを利用して作られた軍向けの製品なのかも知れません。
 転輪のオモテには C.P.GOERZ・Berlin と刻印されています。ドイツの製品なのが分ります。対物口径は22ミリ、推定倍率は2倍です。
 昔の製品にはとかく傑作が多い中で、この製品は申し訳ありませんが「駄作」です。最低機能を保持していますが、構造、デザイン、材質、それらに見るべきモノがありません。

 上の下の機種は、凝った作りで、戦時中の製品とか、そんな雰囲気はありません。部品は真鍮製で出来ています。傑作です。
 対物レンズ径は20ミリ。------思うに、この製品では20ミリの口径で、焦点距離を長くして倍率を上げ、そして見え味を良くしたかった筈です。従って、接眼部を一杯に繰り出して伸ばした状態でピントが合うような設計になっています。推定倍率3〜4倍です。
 写真は、接眼部を一杯に伸ばした状態にして写しました。格納時には接眼部を縮めることでコンパクトにし、付属のパッチン袋に入れてオワリ、簡単至極この上もありません。

 問題はあります。ガリレオタイプの光学系での欠点は、とにかく視界が狭い事、これに尽きます。この場合も、その欠点はいかんともし難いモノとして残っています。20ミリの対物口径で3倍以上はキツイのです。通常は2倍以上の倍率設定はしません。ムリがあります。
 又、接眼部を一杯に伸ばした状態にすると、なにせ組み付けがぐにゃぐにゃに脆弱になってしまうものです。然し、この製品に限ってはそうではありません。しかっかりしています。アッパレな作りです。察するところ、相当に熟達したマイスター達が注意深く組んだに違いありません。見事です。
 袋、肩ヒモ、これらは 本革製で、贅沢といえば贅沢ですが、柔らかなビニールに馴染んでしまった私共には、無骨に感じられてそれほどの上等感は感じられません。
 残念な事は、この時代の製品に共通して見られる事なのですが、製品に製品名、製品ナンバー等の刻印が滅多に見られません。この製品にも製造の手がかりになりそうな文字や記号は何一つ刻まれてありませんでした。従って、どこの国のどんなメーカーの製品か、全く判っていません。

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「駄作」と申し上げた機種に関して、ドイツに問い合わせたところ、以下の文面が届きました。

 ------Old opera glass with 22mm objectives at the moment we can inform you that C.P.Goez was the manufacturer and  this glass was built between 1900 and 1910.
 This company does not exist any more

 More information will be available in a couple of days

 もう少し詳しい情報が入ってくるようですが、判った事の一つに、このオペラは1900年から1910年の間に作られたとあります。第一次世界大戦は1914年に始まったので、それをあらかじめ予測してドイツで作られた、と考えられない事はありません。
 いずれにしても、オペラグラスの歴史の中では、かなり最近に位置しています。贅(ぜい)を尽くしてオペラ鑑賞用として生まれた本来のオペラグラスの本流とは明らかに違った流れにあります。

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 We have some more information about C.P.Goerz-Berlin
1886 founded through Paul Goerz in Berlin(a one man company) delivering photographical goods
1887 Manufacturer for cameras and objectives(50 employees)
1891 C.P.Goerz is manufacturing the first galilean binocular C91 5X36(6000 pieces) for the Prussian army.
1897 C.P.Goerz is manufacturing the first poro binicular DF 99 for the imperial army.
   At.this time the company was producing high quality binoculars at the same level. as Zeiss.
   The first roof prism binoculars are in production.
1906 C.P.Goerz is manufacturing astronomical terescopes with a diameter of 50mm
1918 around 500 employees are working in the company.
1927 The government made a compulsory expropriation in favour of Zeiss for the optical business.
   C.P.Goerz started to manufacture headlights for cars.
    Becaus of this compulsory expropriation Mr.C.P.Goerz died bowed down with grief.

 上記の 新しいメールが入って来ました。簡単に訳しておきます。

1886 ポール・ゴエルツ氏によって写真用品を取り扱うワンマンカンパニーとして設立。
1887 従業員50人のカメラとレンズのメーカーになる。
1891 プロシア陸軍用に最初のガリレイ式双眼鏡 C91 5X36 を6000台生産。
1897 帝国陸軍用に最初のポロプリズム双眼鏡 DF99を製造。当時、ツアイス社と同水準の高級双眼鏡を製造していた。
    最初のダハプリズム式双眼鏡も製造された。
1906 径50mmの天体望遠鏡を製造.
1918 約500人の従業員が働いていた。
1927 ツアイス社が光学製品を販売する上で、有利になるように政府に強制接収される。
    その後、自動車のヘッドライトの製造を始めるが、ポール・ゴエルツ氏は、この強制接収による深い悲しみで亡くなった。

 ゴエルツ氏は最盛期に軍需産業に属していました。このオペラグラスも軍隊向けに作られた製品だという事が分ります。いかにも実用一点張りのスタイルです。観劇用のオペラグラスではありません。
 それにしてもゴエルツ氏は可哀相な人物でした。500人の工場がそっくり強制接収によってツアイスに呑み込まれてしまったのですから無念極まりない心情だったと思われます。年号から判断するに41歳!。500人の従業員を引っ張ってこれからが働き盛りだったのに、と、本当にお気の毒と申し上げるほかありません。然し、時代は第一次世界大戦の前後でした。強制接収は敗戦国ドイツが取った戦後のやむを得ない手段であったのかも知れません。ゴエルツ氏の悲劇は戦後ドイツのOne of them だったと思います。



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