昔の双眼鏡-・
左 東京光学製の8倍30ミリIFタイプ
この双眼鏡にはコーテイングが施されてありませんので、戦前戦中の製品です。表示には (左)MAGNA 8X30 11005(右)Toko
Field 7.5 とあります。ごく一般的なタイプです。軍需用として大量に生産された製品だと思われます。
これぞといった特徴のない機種のように見えますが、そこはそれ現在見なれている同型の機種とは大きく違っている点もあります。
まず、内部を覗いてみると分かるのですが、対物レンズ枠から下方のプリズムの底辺にギリギリに達する遮光筒が装着されてあります。筒内の迷光や余剰光をカットするために必要な配慮ですが、現在の、申し訳程度についているプラスチックの短いそれと比較して、こちらは真鍮のムク材から挽きおろした立派なものが入れてあります。実に気持ちのよいものです。
外観で気が付いた事に、プレスで抜いた下カバーには対物側に立ち上がりをつけ、そこにネジを切って対物キャップを介して締め付ける方法がとられていました。当時はこれが主流だったのです。その方が良いという明確な理由はありません。然し、更に加えて云えば、当時はプレスから上がってきたカバーは一個一個手を使って丁寧に磨きをかけたものです。確かに、今回の製品では上カバーのみ綺麗なのでそこだけは一生懸命磨いた形跡が見られます。現在は加工が面倒なので、プレス材では抜きっぱなしにして穴だけあけ、鏡体部のダイカストに直接ネジを切って対物キャップで締め付けています。磨きの工程などどっかに忘れさられています。やっている所はどこにもありません。但し、それだけ材料の外観も重視されて来ているのでその必要もなくなったのだ、という理屈も成り立つかも知れませんが・・・・。
ともあれ、今回の製品は、やはりやるべき事をちゃんとやっているという印象を強く受けます。
覗いて見ると、多少の像の倒れ、不等倍が見られます。これは後年、誰かがいじって狂わしたもので、当初からのエラーではありません。
プリズムはかしめの方法で固定されてあり、勿論それで万全で文句はないのですが、かしめの爪に変型箇所があり、いじった形跡があるので分かりました。プリズムの材質はBK7、普及タイプの硝材です。単価の点で止むを得ない処置だったと考えられますが、別に問題はありません。プリズムも無論ノーコートです。なお接眼レンズは5枚構成のエルフレタイプです。
高級製品によく見られるプリズムカバーの装着、プリズムの底辺に溝を切ってゴーストを防ぐスロット、それらはありません。
下カバーと鏡体の隙間のギャップがかなり大きく、前項で触れた「水防」がたっぷり詰め込まれてあります。これは頂けませんね。
上カバーの方には隙間が少ないので水防の形跡があるものの気になる程ではありません。その上カバーには表示のための彫刻が彫られてあり、本来なら白のエナメルで「白詰め」されるのですが、ここでは彫りっぱなしでした。真鍮の生地で黄色に見えますが長年のサビにより侘びしい色合いになっています。戦時中ではそこまでの配慮は不要だったのでしょう。(因に、本当の「白詰め」は白エナメルではなく、彫刻で彫られた僅かな凹みにハンダを垂らして熱いうちにさっと拭き取るという離れ業でやられていたのですが、そこまでの職人芸はすっかりムカシバナシになってしまいました。)
全体の塗装は半ツヤ黒です。本来は高級感のある上品な塗装なのですが、これも使い古されたせいもあってか貧弱に変容しています。塗装の塗りが薄かったためもあったのかも知れません。次のニコンの双眼鏡の塗装が黒ツヤでたっぷり塗られてあるので、比較してみると残念ながら見劣りがします。戦争も末期の頃はいろんな事情で本来の生産が出来ず止むを得ず省略やら簡略化が為され、メーカーとして不本意な生産を余儀無くされたのだろうと思います。
右 日本光学製の6倍30ミリIFタイプ
上記東京光学製8倍30ミリと倍率は違いますが殆ど同じ系列に入る機種です。この方はコートがしてあるので戦後の製品です。下カバーには昔なつかしい
MADE IN OCCUPIEDE JAPAN の刻印が彫られてありました。OCCUPIED(オキュパイド)とは「ーーー占められている」つまりこの場合は「占領下の」という意味で、メイドインジャパンの品物には残らずこの文字の表示が義務づけられていました。日本はアメリカの占領下にあったのですから仕方がありませんでしたね。
下カバーにはオキュパイドジャパンの文字とは別に 27106の数字が彫られています。
最初に気が付いたのは、この双眼鏡は重い、という実感でした。重量は約700g(前述の東京光学の8倍30ミリは約600gでした。)これは本体自体がダイカストではなく、鋳物で作られているせいかと思ったのですが、それとは別に、プリズムがBAK4、高級品を使っているからだとも思われます。東京光学の8倍30ミリのプリズムが普及品のBK7を使っているのとは対照的です。品質は勿論BAK4の方が上ですが、結局それは価格の差になるので一概にどちらがどちらと断定して優劣を論じる事は出来ません。
構造は基本的には東京光学製と殆ど同じです。特別な差異は認められませんでした。塗装が立派だと前述しましたが、軍需用として機能本意のポリシーとは一線を画して、民需用としての特色を出そうと考えたせいもあるのかな、と思いましたが、はっきりした事は分かりません。とにかく塗装が立派です。良く塗られてあります。(保管の状態が良かったという理由もあったでしょうね。)
こちらの方は像の倒れ、不等倍等のエラーはありませんでした。後年いじられた形跡は見当たりません。内部は当時そのままのきれいな状態にあります。
IFタイプの双眼鏡を組む場合、同一視度で左右の接眼部が全く同じ高さでピントが合うように組み付けられます。どちらかの接眼部に高低の差があってはまずいわけです。差が生じた場合は、その誤差を取り除くために、対物レンズが入る対物枠に調整用として数ミリ単位の調整リングを用意しておくのが普通です。そのリングの出し入れによって対物レンズの焦点位置をわずか変えるか、又は接眼レンズが入る接眼枠にも同じような調整リングを用意しておいて、接眼レンズの焦点距離を微妙に変化させて矯正するか、になります。接眼レンズの内部にリングを入れるとなると焦点距離が変わるわけですから、当然微妙ながら倍率が変わり、不等倍の原因になります。本来はあくまでも対物部をいじって行うのが常道ですが、対物部をいじるのは厄介なので、とかく接眼部を矯正する事になります。
その場合は、注意しないと接眼外筒の下に刻印されてある視度目盛りとの整合性が崩れて混乱を招きかねません。それを防ぐために、目盛り部に目盛りを切ったネジ込みリングを予めはめ込み
遊ばせておいて調整が完了した時点で、所定の位置にねじ込みセットして固定する、と、そのように配慮されてある双眼鏡もあります。その場合はニクイことに、リングのネジは緩みを懸念して逆ネジに切られてあるのが特徴です。
このニコンの製品でも、その構造になっているのかと期待したのですが、そこまでの配慮はされてありませんでした。
CFタイプでは右内筒にネジが切ってありそれをねじ込む事で視度を出し、差が出た場合(「突出」との言葉を使います)は対物枠にリングを入れるか、対物レンズ鏡室の中にリングを入れるか(外リング、内リングと区別しているようです。)で、対物の焦点位置を変え、視度を合わしたあとに遊んでいる接眼外筒を回して所定の目盛り位置に合わせてセットをする作りになっています。IFタイプとは違って接眼レンズをいじる事はありません。
対物枠の中には対物レンズが入る鏡室とエキセンリング(偏芯リング)が入ります。光軸調整の段階で、エキセンリングを回すことで正確な光軸を出すのですが調整が完了した後は、エキセンリングが振動などで不用に動かないようにビスでセットをするのが本当の組み方です。このニコン(前述の東京光学の分も含めて)では、対物枠に対して120度方向から2本のビスでキッチリとセットされてありました。これなどは現在生産されている双眼鏡ではお目にかかった事は全くありません。生産のスピードが何よりも重視される昨今では、そんな面倒な工程はあっさりすっ飛ばされてしまっています。無ければ無いで済む箇所ですが、隠れて見えない箇所であってもキチンとやるべき事はやるのが「モノツクリ」の基本だと思うのですがどうでしょうか。
最後になりましたが、接眼レンズは3枚構成のケルナータイプ。コーテイングがされてあるといってもフルコートではなく対物接眼共々一面のみのコートです。
東京光学、日本光学、どちらも革張りは立派です。然し、戦中の東京光学の製品の方が時代背景を考えるとアッパレです。軍からの指示に従っただけの事かも知れませんが、自社都合で塗装も選択出来たと思われるので、それにも拘わらず本来の革張りを実行したとなるとモノツクリ集団の心意気をそこに感じます。但し、戦中と云っても開戦前後の、まだ物資が豊富な頃だったとしたら別でしょうがね。
いずれにしても、日本光学、東京光学、共々、日本のトップメーカーです。両製品共やるべき事はすべてキッチリやっている素晴らしい双眼鏡でした。それが偽わらざる感想でした。
(今回は、混み入ったハナシになって恐縮でした。)