フオトキナ
(世界カメラショー)

これがビクセンのブースです。

 フオトキナはドイツ・ケルン市で2年ごとに行われる世界一のカメラショーです。世界中のカメラメーカーがこの場で製品を展示し競い合います。現在はカメラに限らずあらゆる周辺機器や他の光学機器を含め、一大オプトショーの様相を呈しています。
 ビクセンがフオトキナにブースを持つようになって20年以上になりました。このショーでは言わば常連になっています。

 

 ビクセンが最初にフオトキナに出店したのは1978年(昭和53年)でした。但し、その時は他の小さな商社の店頭に数本の天体望遠鏡を並べさせて貰っただけの淋しい展示風景でした。下の写真がその時の全景です。
 単独でブースを構えたのは翌回からです。以後、ブースの大きさ、品種の豊富さにおいて、他を圧倒するブースまでに成長するようになって今日に至っています。


1978年当時。閑散としていました。


今回は2000年記念として、フオトキナからビクセンの名前入りの記念品を頂きました。高さ30cmばかりの金の置き物です。なお、この記念品を頂いたのは、カメラ以外の光学関業界としてはビクセンを含めて3社のみでした。

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 フオトキナ余談

 フオトキナの歴史の中で、有名なのは1954年の秋、会場で行われた新製品ライカM3 の発表でした。当時すべての新製品はフオトキナで発表されるのを通例としていたので、始めて姿を現したライカM3 に世界中が度胆を抜かれたのです。ライカM3 は完璧なカメラでした。圧倒的なパワーで他のカメラを全く寄せつけなかった最高のカメラだったのです。そして何よりもM3のあらゆるメカは強固なパテントで防御されていたので、世界中のカメラメーカーは手も足も出せずポカンとしてその勇姿を見入るだけでした。
 日の出る勢いだった日本のカメラメーカーはどうしたか。----どうするスベもありませんでしたね。このテのカメラの開発を諦めるほかありませんでした。
言わば完全敗北でした。
 然し、敗北を認め 諦めた結果、あらぬ方向から思わぬチャンスが訪れました。日本勢は、このテのカメラから全面撤退して方向を変換し、当時未成熟だった1眼レフの本格的開発に向かったのです。
 以後、1眼レフについて日本の独走的な快進撃が始まりました。それまで独壇場だったM3 の市場制覇は長く続きませんでした。
 M3 にこだわったライカはその後の1眼レフ競争に完全に立ち後れ、今に至るも世界の大勢から取り残されたままです。

   一世を風靡したライカM3の勇姿
   
M3 は現在もマニア垂涎のカメラです。

 現在のフオトキナでは、会場での発表を目指した開発競争は行われていません。 新製品の発表は、完成するやいなやフオトキナを待つまでもなく、その国その会社で即発表です。 安閑とした姿勢はとても取れない 超スピードの世界になってしまっているからです。



|続く|                              |戻る|