カメラ付き7倍50ミリ双眼鏡
-----日本製品・滅びの美学----

 複合製品
 二つの違った製品を一つに合体させて、より利便性を高めた製品の事を指します。一つの製品に二つの機能が付加されているので、確かに便利で、それぞれの製品を別々に揃える手間と費用が省かれるので文字通り「一挙両得」のスグレモノが出来上がります。
 ただ、その一挙両得も時と場合によっては「利便性」よりも「不便性」が突出するケースが出てきます。最近で目を引いた複合製品としては、テレビとビデオデッキを一緒にした「テレビデオ」があります。この製品自体は問題なしに便利なのですが、テレビが故障してダメになった時、まだ使えるビデオデッキまで捨てなければならなくなる、という不利益が出て来ます。これが問題であり複合製品の持つ大きななマイナス点と云ってよいでしょう。

 そんな目でこの日本製の「カメラ/双眼鏡」を眺めて見ると、成る程、そのマイナス点は確かに内在していますが、まあ、片方がダメになっても、なんとかあとの機能が使えるとしたら----例えば、カメラがダメになっても、それはその儘にしておいて双眼鏡としてフルに使えばよい、又、双眼鏡がダメになっても、双眼を片眼として使えない事もないと割り切って納得すればよい----と、そうプラス指向で進む事も出来ます。

 然し、この種の製品が持っている決定的な弱点は、その製品を一台持つよりは、個別に買った方が得策だ----つまり、この場合は、双眼鏡とカメラを別々に買った方がはるかに安いという点と、進歩が極端に早く進むカメラのモデルチェンジにこのカメラは追い付いていけない----ここにあります。結局、この製品の 行く末については多分誰もが予想した通り発売以来数年にして消え去る運命を辿りました。(そのへんのはっきりした経緯が分らないので断定してしまいましたが、この製品が世評にも上がらず、我々も知らぬ存在だったので、そう断言せざるを得ませんでした。)

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 カメラと双眼鏡をドッキングさせる、というアイデアはかなり古くからありました。然し、そのいずれもが試作の段階か、一部の好事家相手の限定生産に近かったような記憶があります。(詳しい資料については別の機会に譲るとして、)本格的に大量生産を目指して開発されたのは、板橋にあったG 社だったと思います。双眼鏡の方はH 型に近い小型のM 型を採用し、上に乗せたカメラは16ミリフイルム使用のミニサイズの機種でした。
 当時、その製品が売れていたのかどうか分りませんでしたが、その後、北海道に大きな工場を建てて本格生産に踏み切ったという話を聞いて、大丈夫かな、と一抹の懸念を持ちながら推移を気にしていたのですが、案の定 予想が適中して、数年にして生産を中止し、その後、交換レンズの開発と生産に切り替えた、との情報を最後に話題は途絶えました。それにしても約30年ほど前の事です。

 ここで取り上げた7X50 は、G 社の失敗からは かなりあとになってからの製品です。従って、G社の失敗事例はよく承知だったと考えられます。それにしても何故それにこだわったのか、そのあたりの開発ポリシーはどこにあったのか知りたい気もしますが、勿論 今となっては聞き出せるスベはありません。想定出来る範囲では、G 社の失敗は、まず、16ミリフイルム使用という当時の時代でも取り残された部材に頼った、と判断した点。カメラと双眼鏡をあまりにも安直にドッキングさせている、というストレートな意識に捕らわれた点。安く出そうという商売根性がミエミエの製品にしか映じなかった点。従って、全体にオモチャ的印象に取った・・・・そんな認識を持ったと思われます。

 さて---

 G 社の製品が、双眼鏡の上に単純にカメラを乗せたような形式だったのに反して、こちらの方は完全に一体化した製品です。双眼鏡の対物レンズ(構造上 片方のみですが)をハーフミラーを介してカメラのレンズとして使用しているので、対物レンズ側から覗くと途中に立派な大型の開閉絞りが見えます。凄い作りです。
 ※ (ハーフミラーを介して、と云っても、この場合は2回反射が必要なので、正立プリズムに工夫を凝らして切り抜けているのか、どうか、分解していないので正確には判らないのですが・・・。)
  

 双眼鏡は7倍50ミリですから 50ミリのレンズをカメラレンズとして使用する案は卓越しています。(焦点距離は165ミリ、f=3.5 )
 カメラの方は、35ミリサイズのフイルム使用ですが、ハーフサイズになっています。シャッターは 60 125 250の3段階、二重撮り防止機構がついています。フイルムの ASA(DIN)感度変更表示もOK。絞りは、無段ですが表示は 3.5 4 5.6 8 11 です。カメラ側の対物部にはスライド式のフードが付いているのが親切設計です。本体下部にはカメラネジ用の台座があり、三脚使用は勿論可能です。なにせ この双眼鏡の重量は2kg弱あり、普通の7X50の約2倍の重さです。手持ちでの撮影は可能だとしても、三脚なしには不安があるのでこれも安心設計です。

 双眼鏡を覗くと、カメラ側の視界にはクロスヘアが張られてありました。カメラのフアインダー用に供する設計です。
 カメラ側のレンズを絞ってみると、わずかですが視界が暗くなりますが、左右の明るさの差はそれほど気になる量ではありません。
 それにしても図体が大きいので、手で持ってシャッターボタンを押すとなると、相当に大きい手の持ち主でないと押せません。又、全体のガラが巨大?なので双眼鏡の操作性は決して良いとは言えません。特に双眼鏡のピント合わせは私の手では殆ど不可能に近い状況です。

 当時は双眼鏡の輸出には検査が必要だったのに加えて、この場合はカメラの検査も無論必要でした。それがあって鏡体にはカメラの合格証がキチンと貼付されていました。

 とにかく絢爛豪華な製品です。作りも丁寧だし、メカにも手抜きは見られません。アイデアを取り入れた設計にも構想にも文句のつけようがありません。G社の製品は到底足下にも及ばぬ圧倒的な迫力を持った優れた製品です。

 これによってこの製品は同じ「複合製品」ではあっても異なる製品を単純に重ねた「重箱製品」ではないし、又、俗悪な製品でもなく高級化を目指して完成した世界に誇れる製品なのだ、と、設計者を初めメーカー共々、自らの発想と成果に高いプライドを持ったと思います。

 然し、この製品は何故ダメになったのか。
 それは、もしかしたら単にG社の製品を凌駕さえすれば道は開けるのだと錯覚しただけなのではなかったか、それがなかったかどうか、です。
又、高級品を手掛ける事で齎される知名度アップ、それによる広告効果、しっかりした付加価値による少量販売高収益製品-----等々の増幅されたプラスイメージに幻惑され過ぎたのではなかったか----そうも思います。企業として根本的な「売れる製品へのチャレンジ精神」これが不足していたのではないかと残念にも思います。
 高級化は従来路線から齎される場合も勿論あるでしょうが、現在を展望する限り、旧来の構想からの延長線からではなくして、例えば、先端技術から派生的に得られる原理原則、それは、ある時は 非球面レンズ であったり、手ぶれ防止のための電子技術による防振機構 であったり、
複合製品であっても全く違った製品とのコンビで考え、これも例えばレーザーを組み込んだ距離計内蔵、イメージインテンシフアイヤーとの合体、とか、更にGPSなども登場してくるかも知れません。取るべき方向の選択は多様にあります。
 時代が今とは違っていたとは言え「カメラ/双眼鏡」は複合製品としては当時にしてもあまりにも単純かつ安易な選択だったと思います。

 現在は、安かろう悪かろう「売れる商品がいい商品だ」との、一点集約的生産ポリシーを前面に押し出して各企業共々凌ぎを削っていますが、多数派としては、もうそのカンバンでは多くのアジアの勢力には勝つスベがありません。「良い製品でなお売れる製品」日本製品はこれを掲げる時代になってきています。複合製品イコール駄目、ではないのです。その視点から見て当時の技術屋さんの心意気やヤル気が羨ましくさえ感じました。

 遮二無二「カメラ/双眼鏡」の実現に邁進して完成させたであろう今回の製品には、ありし良き時代の日本の一つの断面を垣間見た感じでした。然し、その製品は時代からもうズリ落ちていたのです。絢爛豪華な製品だけにそこには「滅びいくモノの哀れさ、」それを強く感じないわけにはいきませんでした。とにかく美しい双眼鏡です。それだけに、ひとしお哀れさが浮き出て見えた製品でした。虚しさを感じぜずにはいられませんでした。「滅びの美学」と静かな気持ちで語りかけたい傑作です。



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