ビクセン20倍80ミリ双眼鏡
----巨大双眼鏡のはしり---

 現在は巨大双眼鏡も各社で作られているので、それ程珍しい製品でもありませんが、それでも現物を目の前にすると驚くのではないかと思います。
今回のこの製品は高さが45cmもあります。これでは手に持っては見られませんので使用する場合はカメラ用三脚を利用する事になります。

 この双眼鏡は1976年の生産です。この種の巨大双眼鏡は、その頃の国内ではビクセン単独の販売品だったような気がします。


 今回手にした現品には殆ど使われた形跡はありません。新品同様のきれいな姿を保持してあります。

 考えてみると「大きいことはいいことだ」そんなムードが日本中に溢れ出していた頃、そんな時期に生まれた製品だったようです。時流に乗ったこともあってか、売れ筋の双眼鏡の地位を長い間保持し続けました。

 双眼鏡の製作には大きい小さいにはあまり関係がありません。組み立ての仕方は大型も小型も殆ど同じ手順で進みます。然し、大きく重いだけに扱いに苦労が多いのはやむを得ません。
 問題になるとしたら組み立て調整の分野ではなく、機械加工の方かと思いますね。例えば、長い対物筒の加工などは厄介です。特に、内部の遮光線加工が大変です。旋盤加工を知る人にはすぐ理解出来るでしょうが、長い筒の中にバイトを入れて切っていくわけですから、まず、それをクリアーするだけの長いバイトを用意する事になります。それも細いバイトでは加工の段階で撓ってしまうので、かなり太めのバイトを専用に用意しなければなりません。それをカンナ台にしっかりと固定するわけですが、いくらスパナで締め上げても途中で弛んできます。どうするか?。カンナ台にバイトを溶接するほかありませんね。
 外注先の旋盤屋さんには、六尺旋盤にバイトを溶接した専用旋盤が片隅に据え付けられていました。遮光線だけを切る旋盤を一台特別に用意したあったのです。驚きました。
 万事がその調子です。巨大になるとそれなりの工夫がないとダメだと云う事が如実に分かります。


 この双眼鏡には、当時、皇室納入と云う特筆すべき慶事がありました。天皇陛下(昭和天皇)が立たれているそばに、この双眼鏡を覗かれている皇后陛下の写真が公表され、ビクセンでは拡大してパネルに仕立てて(53x42cm)長い間応接間に飾っていたものでした。
 当時、その写真を宣伝材にしようと云うハナシが出たと聞きましたが、天皇陛下を宣伝に利用するとはいかがなものか、との判断から見送られたとの事でした。当然の判断でしたね。仮に、それを実際にやったとしたらどうなったでしょうか。大変な事になった事でしょう。

 カバーには印刷で表示がしてあります。倍率は20倍、対物レンズ径は80ミリ。視界は3.5度。従って見かけ視界は70度のワイド。
 全体の構造はボシュロムタイプ。長い鏡筒を変更する事でシリーズとして各種サイズの機種が出来る設計になっています。
 この80ミリ巨大双眼鏡では、鏡体の全長が特別に長いので、中心軸は目一杯長くして光軸を狂わせずに保持出来るよう、対物枠近くで再度固定されています。独特の作りです。
 プリズムはBAK-4の高級硝材を使っています。当時は市販品にはBAK-4はまだ珍しい時期でした。BAK-4は口称では「ビーヨン」と呼んでいた事もあって、表示をデザインした担当員の勘違いで大きな文字で高級品を誇示すべく
B4と描いて表示した----そんなオソマツな話しがありました。そのミスも、或る外部の人物からその意味を尋ねられ全社員一同始めて気が付いた、とのオマケつきでした。
 その
B4の文字がおこがましくも堂々と表示されてあります。記念すべき偉大な文字になっています。

 語るに落ちるハナシでご免あそばせ。

 右カバーの 20x80の表示の上の緑色の箇所が B4 と書かれている箇所です。

 この接眼部まわりの作りは普通のボシュロム双眼鏡と同じです。
 接眼レンズに装着してあるゴム見口には、片側に遮光用のフードがついていました。この見口は現在でも見かける事がありますが、あまり使われなくなっています。

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  天皇陛下(昭和天皇)がご覧になっている写真が丁寧に保管されてありました。満71歳のご誕生日でのご近影とあります。
 社内にはこのお写真にまつわるエピソードなどもあったと思われるのですが、さすが、事が古いだけに当時の経緯を知る者はもういません。参考としてお載せしておくに留めます。


 ◎ 輪郭が丸くカーブしているのは、デジカメで接近して写したための収差によるもの。



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