ビクセン・ミクロン型 10倍30ミリ
売れた機種でした

 この双眼鏡は、昭和30年初頭から昭和50年近くまで生産したビクセンの看板商品でした。なつかしい製品です。自社製品ですからいろいろと書きにくい箇所もありますが、申し上げれば「売れた製品」でした。
 その理由は、スタイルが時代にマッチしていた事。大きさが日本人の手のサイズにふさわしい程よい大きさだった事(因に、当時の10倍30ミリツアイス型はH=110mm W=160mm 一方このミクロンはH=120mm W=115mm)。軽い事(同じくツアイスは600g ミクロンが400g)。対物口径、倍率、共々充分であった事。ワイドであった事(ツアイスは見かけ60度、ミクロンは65度)。価格は多少高めでしたが(ツアイスは9.000円 ミクロンは11.000円『昭和47年当時で』)手の届く範囲であった事。等々優れていた点が一杯あった製品でした。
 欠点はなかったか?。----実は、この方も一杯あったのです。とにかく組みにくい製品でした。構造設計がデザイン先行であったため組み立て方法に無理があり、流れ作業的な生産方法が取れず、最後まで職人依存から抜け切れなかった----これが最大の欠点だったような気がします。更に外観の白の梨地アルマイトに傷がつき易く、性能以外の、外観検査で検査落ちする数量が多く、歩留まりが余りにも悪かったと云う決定的な問題も抱えていました。結局、売れた製品にも拘わらず生産効率の良いツアイス型に収益の点で遅れをとり、20年近く続いたオリジナル製品もやがて製造中止に追い込まれてしまったのです。

 今回のこの製品は生産開始から間もない頃の製品です。当時はブランドや倍率の刻印は機械彫刻で彫り、彫ったあと黒エナメルを塗り込んで仕上げるのが普通でした。丁寧な仕事でした。それが昭和50年近くからは機械彫刻は廃れ多色印刷が可能となるにつれて見かけは派手になったものの、何となく安っぽくなったのは否めない事実でした。
 目当てはこれも当時はゴムではなく硬質のエボナイトを使用しています。昔風です。勿論、これは後に折り畳み可能なゴム見口に変更されましたが、その分便利になったとは云え独特の特徴が失われてしまった感じがしたものでした。
 又、後年になるにつれ、中心軸の上下につくキャップもピカリと光った金属製ではなくコストダウンのため黒ムクの味のないプラスチックに代わってしまいました。
 結局はそれらの改良が為されると同時に特徴一杯のこの製品も何となく普通の製品のイメージになってしまい、間もなく市場から消え去る運命を迎えたのでした。

 今回のこの製品はかなり古い時期のもので、ともかくも最初からの原形を留め置く数少ない「お宝」の姿そのままです。私共にとっては貴重な存在です。カバーに刻印されてある数字から判断するにこの製品は昭和35年生産分だという事が分かります。この双眼鏡が最高に輝いていた時代でした。

 一般的に云えば、中心軸の短い双眼鏡は精度が出にくく調整に手間がかかるという事。皮張りを省いて表面をアルマイト等で外観美を出そうとすると極端に歩留まりが悪くなる---この鉄則から逃れられない製品であった、と云うのが正直のところです。

 参考までに、この製品は単価が高すぎる、と云う事で、それならば単眼にしたらどうか、との発想から出されたのが下の写真右の単眼です。然し、この単眼は殆ど売れずに終わりました。性能や機能とは別に、見てくれの格好が悪かったのだと判断しました。従って短命で終了しました。

(左)双眼鏡 (右)単眼鏡 (下)添付の小冊子(ビクセンあらかると)

 カバーの彫刻が機械彫刻から印刷に代わったのは昭和50年前後からです。一般的に云えば、国内生産の双眼鏡では彫刻した製品は古く、印刷は比較的新しい、との判断目安になるかと思われます。参考にして下さい。

カバーの彫刻文字(左)と印刷文字(右)

 なお、この時代の双眼鏡には「ビクセン双眼鏡あらかると」と銘打った小冊子が添付してありました。小型とは云え70ページの堂々たる内容です。双眼鏡の性能仕様から始まって「あらかると」に相応しくいろいろと面白い記事や写真が満載されてあります。
 この冊子は断然たる価値を持つ秀逸の一冊!!と申し上げてよいでしょう。後年、コストの関係があってカットされたのはいかんとも残念至極と申すほかありませんね。



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